展覧会

銀座のハウス・オブ・シセイドーで開催中の「セルジュ・ルタンス...夢幻の旅の記録」展へ。女性の身体を覆い隠しつつも、隙間から彼女の皮膚を垣間見させるレース。漆黒の繊細なカットレースは、モデルの肌に一分の隙もなく貼り付き、まるで皮膚の上に直接描…

Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中のギュスターヴ・モロー展へ。パリのモロー美術館所蔵の作品279点を前期と後期に分けて展示するもので、現在は前期展示を行っている。まず目を引くのは、硬直的な肢体を持つ、石化したような人物たちだろう。(例えば『ヘ…

ドレスデン国立美術館展「世界の鏡」(国立西洋美術館にて、9月19日まで) ドレスデン宮廷のクンストカンマーの生成史と内容を辿れる展覧会。当時の科学技術と結びついた機会仕掛け(天球儀やコンパス、集光器、時計など)、オスマン・トルコや中国・日本と…

レオノール・フィニ展(Bunkamura ザ・ムージアム、7月31日で終了)鳥の羽根や爬虫類の皮膚を使った仮面に惹かれる。エルンストのコラージュに出てくる怪鳥のような。幼年期のフィニは、別れた父親の差し向けた追っ手の目から逃れるために、少年の格好をさせ…

神奈川県立近代美術館の葉山別館でベン・ニコルソン展を観る。原色のコンポジション/対比や差異による分節化/中間色の調和/グラデーションが必然的に意味してしまう光と陰影/三原色と無彩色と長方形と円/絵画の純粋性とか還元性とか自立性とか/白の上の白/絵…

BunkamuraのGalleryで開催中のハンス・ベルメール展に行ってきた。球体関節人形を写したモダン・プリントが殆どだが、エッチングやデカルコマニー作品、またベルメールが挿絵を手掛けた書籍(『眼球譚』や『マダム・エドワルダ』など)も展示されている。窃…

メゾン・エルメスのギャラリーで開催中の『幽霊たち ジョン・ケスラー+ポール・オースター展』に足を運んだ。オースターの小説『幽霊たち』に登場する人物やテーマを、インスタレーション作家ケスラーが組み立てた展示。床には色とりどりの色紙(いろがみ)…

六本木ヒルズ森美術館で開催中の『六本木クロッシング』に行って来た。なんと言っても、金曜・土曜・祝前日は24:00まで開館なのが嬉しい。展示の方は、前回の企画『ハピネス』展と同様、アミューズメント・パークのような娯楽性だ。「コンセプチュアル」だの…

リートフェルト展 府中市美術館 デ・ステイルにも参加していた家具デザイナー、リートフェルトの展覧会。単純な平面によって構成された作品は、一枚の板に還元できてしまう。なんとなく三宅一生のA-POC(a piece of cloth)を連想した。VAST FUTURE スーザン・…

東京都現代美術館に行って来た。目当ては『球体関節人形展』。精緻な造形力に裏付けられた山本じんと、奇妙な無気味さをもつ井桁裕子の作品が印象に残る。前者(山本じん)は、皮膚を剥ぎ取られて筋肉組織が剥き出しになった解剖模型のような作品や、蝶とと…

ICCギャラリーへ『FUTURE CINEMA』展を見に行く。ドイツのZKM(カールスルーエ・アート&メディアセンター)による企画の巡回展だという。空間や時間の知覚が撹乱されるのを楽しむ。

渋谷に用事があったので、そのついでに松涛美術館まで足を伸ばし、『谷中安規の夢』展を見る。最近は田中恭吉や恩地孝四郎、そして今回の安規など、日本近代の「マイナーアーチスト」がとみに面白い気がするのだ。 木版画の太く濃い輪郭線、圧倒的な黒。(そ…

『ヨハネス・イッテン造形芸術への道』

「主観的色彩」という概念、また色彩や輪郭は「差異」によって知覚されるという理論が面白い。フランスの芸術学者ティエリー・ド・デューヴは、ドローネー夫妻らの抽象絵画の背後にあるシュヴルールの色彩理論(「色彩の同時性」)が、ソシュールの言語学・…

*ワタリウム美術館「I Love Art 7」「ロトチェンコのプロダクト・デザイン」「有馬かおる」展 フロアを分けての三点同時開催。以前の「バックミンスター・フラー展」など、3フロア1テーマの展示でもまだ物足りなさが残ってしまうスペースのワタリウム。今…

水戸芸術館で開催中の『YES,オノ・ヨーコ』展へ。「インストラクション・アート」と呼ばれる作品のうちのいくつかは経年変化のために劣化し、美術館側の「インストラクション」によって接触や参加が禁止されるという事態が出現していた。まるで、リアルなパ…

前々から行きたいと思っていた原美術館(品川)の「パトリシア・ピッチニーニ展」に赴き、その後隣駅の田町まで足を伸ばして「ヴィンセント・ギャロ展」へ。ピッチニーニは強度をもって訴えかけてくる作品だったけれど、いかんせんインスタレーションで6作品…