Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中のギュスターヴ・モロー展へ。パリのモロー美術館所蔵の作品279点を前期と後期に分けて展示するもので、現在は前期展示を行っている。

まず目を引くのは、硬直的な肢体を持つ、石化したような人物たちだろう。(例えば『ヘラクレスとレルネのヒュドラ』の、攻撃の直前の瞬間にも関わらずスタティックで直線的なポーズのヘラクレスと、柱のように直立した鉱物的な質感の多頭の大蛇。あるいは、衣装の翻った襞の表現からしても、重力の制約を受けずに宙に浮いているように見えるエウロペ。)異種の動物たちの、あるいは人間と動物の混淆であるような神話上の存在も数多く登場する。エウロペを攫う上半身が人、下半身が牛の姿のゼウスや、水棲の女セイレーン、ユニコーン、ペガサス、キマイラ、スフィンクスなど。『レダと白鳥』や『エウロペ』、『オイディプススフィンクス』、また繰り返し描かれる一角獣と若き貴婦人のモチーフなど、人間と獣との交流、もしくは対峙を扱った作品も多い。獣と戯れる女性たち、あるいはセイレーンやスフィンクスのような半ば獣と化した女性たちの、無意志的で思惟も感情もないような、まるで大理石でできた彫刻のような表情が印象に残る。

モローの描く女たちには、美しい歌声で船乗りを魅了し難破に導くセイレーンや、謎かけに答えられない旅人を殺すスフィンクス、凶暴なユニコーンを一瞬のうちに手懐けてしまう高貴な処女たちなど、男性の運命を支配し破滅に導くような、どこかサディスティックな存在が多い。その極北がサロメであろう。光り輝く預言者ヨハネ(ヨカナーン)の切られた首が、ほとんど透明に近い薄布を纏って踊るサロメの眼前に浮かび上げる『出現』は、毅然としたサロメの表情や身振りと相俟って、峻厳な緊張感の漂う作品である。サロメは同じ首切り女のユディットとの融合もあって、ルネサンス以来しばしば描かれた画題だ。しかし、男の切られた首を抱えて恍惚の表情を浮かべる従来の常套句的なサロメが放つ直截的なエロティシズムは、モローの描く男性的で硬質なサロメにはないように思う。また例えばオーブリー・ビアズリーの同主題の作品『お前にくちづけしたよ、ヨカナーン』の、唇の接触というクライマックスを形成する行為の直後を捉えた構図がもつ温度の高さとは異なって、モローは時が凍りついたかのような、緊迫していながらも静的な瞬間を描いている。

モローはアラベスク模様に非常な執着をもっていたらしい。『サロメ』のためになされた鉛筆描きの習作では、サロメの身体を飾る装身具の、互いに絡み合う繊細な線条模様が、非常に精緻に描きこまれている。面白いのは『一角獣』や『出現』におけるアラベスク表現で、荒い筆致で塗られた衣装や建築付属物の上から、黒の線描と白のハイライトでくっきりとアラベスクが描かれているのである。紋様だけが浮き上がって、まるで絵の上からレースを掛けたように見える。不思議な表面の効果である。

モローと言うと、大理石や貴石を連想させるような硬質で精密な筆致の画風を想像していたのだが、その実ほとんどの作品は非常に荒い筆致で描かれている。『セイレーンたち』や『ヘラクレスとレルネのヒュドラ』の岸壁の表現は、マックス・エルンストのデカルコマニーを思わせるし、水彩や油彩を使用した習作には、ピグメントを流したかのような色斑のみで構成されているものも多い。

モローの絵画でもっとも美しいのは、柘榴石のような、動脈を流れる血のような、鮮烈でありながら深い色合いをもつ赤であろう。人物たちの、やや緑がかった雪花石膏色の肌の質感と相俟って、いつまでも眼の奥に残る色彩である。