メゾン・エルメスのギャラリーで開催中の『幽霊たち ジョン・ケスラー+ポール・オースター展』に足を運んだ。

オースターの小説『幽霊たち』に登場する人物やテーマを、インスタレーション作家ケスラーが組み立てた展示。床には色とりどりの色紙(いろがみ)、1ページずつ切り離された『幽霊たち』の書籍(手前は原作、奥は邦訳版)、それから文中に出てくるモチーフに因んだイメージ(写真やポスターなどの複製)が、几帳面に並んだ形でコラージュされている。

ところどころには、登場人物のホワイト(依頼者)、ブルー(探偵)、ブラック(被監視者たる物書き)、ジミー・ローズ(ブルーが成り済ます浮浪者の老人)の塑像が置かれている。人間を石膏でかたどりして成形したものらしい。本物の衣服を身に着けている。蝋人形やマネキンのごとき「似姿」に付き纏いがちな無気味さは、不思議とない。顔や手が、登場人物の名に因んだ色のペンキで塗り潰されているせいだろうか。しかし、床のコラージュや数箇所に配されたモニタを眺めていると、何やら塑像から「気配」や「視線」が感じられるような気がして動揺する。

床面のコラージュの上を、プラスチックの白い半球体がいくつか滑ってゆく。どうやら、底にビデオカメラを取り付けた機材であるらしい。モニタに映る映像は、これが撮影したもののようだ。静かに、舐めるように滑走していく機械の切り取る映像は、カメラによってフレーミングされた断片がやけに拡大されている、奇妙な代物だった。

小説『幽霊たち』は、邦訳をもう十年も前に読んだだけである。当時は、登場人物たちの名の特異さ(何しろ全て色の名なのだ)と、一種のメタ構造(ブラックの書いている物語が、ブルーの生きている物語であり、それが取りも直さずこの小説である)の面白さにしか気づけなかった。いまちょっと捲ってみると、なるほど、(おそらくは)当時のアメリカを語るであろう固有名詞が大量に出てくる。(それにしては、肝心の登場人物たちが、まるで符牒のように色の名前でしか呼ばれないのは不自然だが。)今回の展示のコラージュも、この固有名詞の多さゆえに成立したのだろう。この機会に、もう一度じっくり読み返してみようと思う。