渋谷に用事があったので、そのついでに松涛美術館まで足を伸ばし、『谷中安規の夢』展を見る。最近は田中恭吉や恩地孝四郎、そして今回の安規など、日本近代の「マイナーアーチスト」がとみに面白い気がするのだ。


木版画の太く濃い輪郭線、圧倒的な黒。(そういえば、ピラネージの『牢獄』もゴヤの『カプリチョーサ』も、その「黒」が独特の不穏さを醸し出している。)ドイツ表現主義ウィリアム・ブレイクに、日本特有の異形のものたちが融合したような、不可思議な世界だった。

安規が活躍したのは、日本のアーバニズムが進展していった時代と重なるらしい。彼の描く都市の不安さに、すっかり惹きつけられた。

安規は版画というイメージの世界のみならず、詩も作っていたという。展示に添えられたキャプション中の彼の詩から、印象に残ったものをいくつか。

「開かれた扇面の空虚、閉ざされた書体の清涼」
(展示番号10『雲』)

「日の吐血した遠景に浮遊する蝶、音なくをつるわが骨の音。」
(展示番号9『力』)

「雲は屋根瓦の上に 雲は黄いろの蝶を迎へながら さまざまの形象を考案する 不図飛行機の快適な聴覚に身慄いする。」
(解説パネルより「旅の詩」第三段落『時間』第5号収録)

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最終日の前日だったためか、2週間ほど前にテレビの美術番組で取り上げられたためか、決して著名な作家ではないにも関わらず、展示場はごった返していた。

順路も大渋滞だった。一枚一枚の作品が非常に小さく(挿絵用の木版画や、それが使われた書籍が大半だった)、近距離での長時間の注視を必要とする展示品が多いのだ。さらには、作品のサイズとの兼ね合いか、あるいは展示スペースの都合からか、作品間の間隔が非常に狭いのである。これでは人の流れが滞って当然だ。開催側は「谷中安規」にここまで集客力があるとは予測していなかったのかもしれないが、もう少し「観客の数と動き」を考慮して配置をして欲しいと思った。