10年ぶりくらいに、リルケの『マルテの手記』を再訪した。冒頭部分で「僕は見ることから学んでゆくつもりだ」と繰り返される通り、これは一種の「観相学」を展開した書なのだと気づく。語り手の眼は、人間の顔貌はもちろんのこと、都市、室内調度、服飾といった表層を撫でまわし、丹念に言葉に換えて描写してゆく。そこで眼差しの向かう先は、デスマスクや仮面という、作中に登場する別の「表層」としてのライトモティーフとも響き合っている。
以下、いくつかの文章断片のメモ。
僕はまずここで見ることから学んでゆくつもりだ。[…]さっきも書いたが、僕はぼつぼつ見ることから学んでゆくつもりだ。[…]たとえば、僕は顔というものがいったいどのくらいあるかなど、意識して考えたことはなかった。大勢の人々がいるが、人間の顔はしかしいっそうそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつかの顔を持っている。長い間一つの顔を持ち続けている人もある。顔はいつのまにか使い古されて、汚くなり、皺だらけになってしまう。
(リルケ『マルテの手記』大山定一訳、新潮文庫、1953年、10-11ページ。)
着古した衣服のように、顔が使い古されて汚れ、皺ばむという描写は、カフカの皮膚ー衣服の捉え方(例えば『衣服』1908年における、着古される皮膚)とも共通するのではないだろうか。
しかし、あの時の女。あの女はまるで身体を二つに折ったように腰を曲げていた。両手の中へすっぽり顔を埋めてしまっていた。僕はノートル・ダム・デ・シャン街の街角で会ったのだ。僕はその女をみると、足音をしのばせて歩き始めた。[…]女は驚いて上半身を起した。あまり素早い、あまり急激な体の起しようだったので、女の顔は両手の中に残ってしまった。僕は手の中に残された鋳型のように凹んだ顔をみたのである。僕はおそろしく一所懸命になって、その手の中を見つめていた。手の中から持ちあげられた顔を見ないために、僕はひどく真剣な張りつめた気持だった。裏返しになった顔を見るのは不気味に違いないが、顔のない、のっぺらぼうな、こわれた首を見る勇気はさらになかったのだ。
(上掲書、12-13ページ。)
僕はそのころ、ある種の服装から直接流れて来るらしい影響力のようなものを知ることができた。そんな古い衣装の一つを着ると、僕は容赦なくその奇怪な力に支配されるのを覚えるのだ。僕の体のこなしや顔の表情や偶然な思いつきのようなものまで、もう自分だけの自由にはならなかった。レースやカフスがいくら上げても落ちかかってくる僕の手は、もはやいつもの僕の手ではなかった。その手がまるで俳優のように動き出すのだ。[…]しかし、こんなふうな仮装がすっかり僕自身を失わしてしまうということはできなかった。むしろ反対に、僕がいろいろな姿に変化すればするほど、かえって自分というものがはっきり意識されてくる態のものだった。[…]しかし、その中で僕に一種の酩酊を与えてくれたものがある。それは豊かなマントや肩かけやベールなどだった。[…]僕は初めて、本当に自由な、無限の変化を含む可能性を、そこに予感することができた。これさえあれば、売られてゆく奴隷の女だの、ジャンヌ・ダルクだの、老いた王さまだの、魔法使いだの、なんにでもすぐなれそうな気がした。
(上掲書、125-126ページ。)
いままで一度も仮面を見たことがなかったが、たちまち僕は仮面の必要を理解することができた。[…]僕はなんのマスクをかむったのか、つい忘れてしまった。鏡の前に出て、初めて自分の姿を知るのが、新しい緊張した興味だった。[…]僕は頭ががんがんして、むしょうに腹が立って仕方がないので、鏡の前に走ってゆき、仮面の中から不自由をしのんで、僕の手をどう動かせばよいか見ようとした。しかし、柱鏡はその機会を待ちかまえていたらしかった。鏡にとって、復讐の時間がようやく訪れたのだ。僕はますます呼吸が苦しくなり、なんとかしてこの仮装を取りはずそうともがいた。すると、どうしたわけか、鏡はいつか知らぬまに僕の顔をあげさせ、じっと鏡の中を凝視させている。鏡は不思議な力で、僕にある映像を――いや、ある奇態な現実を演出させるのだった。僕は自分の意志で極力抵抗しながら、その異様な、得体の知れぬ、怪奇な現実の中に、ずるずると引きずりこまれてしまった。今や鏡が命令者になり、僕が一種の鏡に変わっていた。僕は目の前のこの偉大な恐るべき未知の存在をじっと一途に見つめねばならなかった。僕はほとんどこのような存在と相対していることに耐えられなかった。と思った瞬間、僕は何もわからなくなり、そこにぶっ倒れてしまった。
(上掲書、126-129ページ。)
ここでは鏡は、幻影や異界を映し出す場でも、自己のドッペルゲンガーを出来させるのでも、ヴァレリー『ムッシュ・テスト』のように主客の分離と交錯を見させるのでもない。オリジナルとその模像(=鏡像)の関係が入れ替わり、鏡がむしろ主体となって、鏡の前の存在に命令し、操るのである。





