散策(promenade)としてのディドロの絵画描写

 

『サロン評』でのディドロによる絵画の記述は、もちろんエクフラシスの伝統に則ったものである。と同時に、とりわけその対象が風景画である場合には、それは「テクストによる空想の散策」ともなる。例えばクロード=ジョセフ・ヴェルネの7枚の風景画について、ディドロは一人称の語り手が案内人の神父(ディドロはまた彼を mon cicerone とも呼んでいる)と対話しつつ、美しい風景の中を散策したときの報告という体裁で記述する。はじめに語り手は宣言する。

 

私の企図は、あなた方にその情景を描写してみせることだ。これらのタブロー には、それだけの価値があると思う。私の散策の同行者は、その土地の地形や、 それぞれの田園風景に適した時間帯[...]をよく知り抜いていた。まさしく、 その地方のチチェローネである。[...]さあ、私たちは出発した。私たちはお喋りをする。私たちは歩いて進む。 Mon projet est de vous les décrire, et j’espère que ces tableaux en vaudront bien d’autres. Mon compagnon de promenades connaissait supérieurement la topographie du pays, les heures favorables à chaque scène champêtre [...]. C’était le cicerone de la contrée. [...] Nous voilà partissic. Nous causons. Nous marchons.

(Diderot, Salons, vol. III, p. 99.)

 

「最初の場所」(=一枚目の絵)の描写は次のようなものだ。

 

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k23398g/f103.item

(つづく)

 

 

 

【メモ】活人画(tableau vivant)について

18世紀半ばには、フランスを中心に活人画が流行したという。西村清和は、この活人画ブームを、同時代のピグマリオン神話への関心や、古代彫刻に人工照明を当て生きているかのように見せる趣向の流行などとともに、「美的イリュージョニズム」としている。これは1750年代のモーゼス・メンデルスゾーンによる表現「美的イリュージョン」に因むもので、現実ではなく仮象、自然そのものではなくその模倣なのだという意識を持ちつつも、それに美的に幻惑され、錯覚を起こすような状態をもたらす。これは、現実と虚構の境界を無化するような「ゼウクシス的イリュージョニズム」とは峻別される。(西村清和『イメージの修辞学:ことばと形象の交叉』三元社、2009年、249-250ページ。)

 

西村はフリードリヒ・メルヒオール・グリム(ディドロの友人であり、彼のサロン評を掲載した『文芸通信(Correspondance littéraire)』の発行者でもある)による活人画の記述を紹介し、それはグリムにとって、美的な趣味を涵養する美的イリュージョニズムであったと結論づけている。

 

まず、タブローとおなじ舞台装置で背景を仕立てます。つぎに、めいめいがタブローに描かれた人物のうちのひとつの役割を選び、その衣装を身につけた上で、その人物の姿勢と表情を模倣します。これら場面の全体とすべての演じ手が画家が配したとおりに整えられ、その場の照明がしかるべく設定されると、観客となる人びとが呼びこまれ、タブローがそのように作られたその流儀についてそれぞれの意見を述べるのです。わたしとしては、こうした楽しみは趣味を、それもとりわけ青少年の趣味を形づくり、またかれらに、タブローに描かれたあらゆる種類の性格や情念が見せるもっとも繊細なニュアンスを把握することを教えるのにきわめてふさわしいものと考えます。《最愛の母親》[ディドロがサロン評で取り上げたグルーズの絵画La mère bien aimée]は、こうした遊びにとって魅力的な場面を提供するでしょう。(邦訳:西村『イメージの修辞学』250-251ページより。)

 

ここで興味を引くのは、「情念」や「性格」という語彙(ル・ブランとヴァールブルクを繋ぐ系譜上に位置づけうる)、それから「照明」がどうやら重要であったということだ。《ラス・メニーナス》活人画演習でも、一つの肝は「照明」であったことを思い出す。

 

グルーズの《最愛の母親》の図版や完成年については、モンペリエ第3大学のこちらのウェブページに掲載されている:La mère bien aimée - Greuze - Utpictura18

グルーズらしい芝居掛かった絵画で、活人画にはまさに御誂え向きだという気がする。

 

月下の一群 (講談社文芸文庫)

月下の一群 (講談社文芸文庫)

  • 作者:堀口 大學
  • 発売日: 1996/02/09
  • メディア: 文庫
 

彼は机の前に坐つてゐた、
彼の夢想は甘やかに
ランプの光の輪の中に集まつてゐた、
彼は窓に来て突き当る
脆い吹雪の突貫をきいてゐた

(シャルル・ヴィルドラック「訪問」堀口大學訳、『月下の一群』所収、上掲書82ページ)

 夜、燈火の光、静かに思索に沈潜する時間。

 

蝋燭の焔 (1966年)

蝋燭の焔 (1966年)

 

夢想を呼び起すこの世にあるかぎりの物象のなかでも、焔は最大の映像作因のひとつである。焔は、われわれに想像することを強いる。焔の前で夢想しはじめる時、ひとが想像しているものから見れば、ひとが知覚しているものなどはなにものでもない。焔はその隠喩およびイマージュとしての価値を、このうえもなく多様な瞑想の領域にもっている。

バシュラール『蠟燭の焔』澁澤孝輔訳、現代思想社、1988年、7ページ。)

 

輪郭のかすんだ壁に囲まれ、中央に向かって引き締められ、ランプに照らされたテーブルの前に坐っている瞑想者のまわりに濃縮されたようなひとつの部屋。[…]孤独な仕事の真の空間とは、小さな部屋のランプに照らし出された輪のなかなのだ。

(同上、149-150ページ。)

 

黄昏が忍び寄るテーブルの上で僕は書く。生きているかのようなその胸の上にペンを強く押し付けると、胸は呻き、自分が生まれた森を思い出す。黒インクはその大きな翼を広げる。ランプは砕け散り、割れたガラスがケープとなって僕の言葉を覆う。僕は鋭い光の破片で右手を切る。影が湧き出るその切り口で僕は書き続ける。夜が部屋に入り込む、真向かいの塀はその石の唇を突き出す、大きな空気の塊がペンと紙の間に割り込んでくる。ああ、単音節語がひとつだけあれば、十分世界を吹き飛ばせるのに。けれど、今夜は単語もうひとつ分の余地がない。

オクタビオ・パス「詩人の仕事」、上掲書、26-27ページ。)

 

夜はその身体から時間を一つ、そしてもう一つ抜き出す。どれもが異なり、しかも厳かだ。葡萄、無花果、緩慢な暗黒の甘い雫。噴水、身体。廃墟の庭の石の間で、風がピアノを弾く。灯台は首を伸ばし、回転し、灯を消し、叫ぶ。一つの思考が曇らすガラス、柔らかさ、誘い、おお、夜よ、世界の中心で成長する樹から剥がれた、光り輝く広大な葉よ、

(パス「夜の散策」、上掲書、116ページ。)

 「夜想」という言葉には、静謐でメランコリックな甘美さがある。

 

心変わり (岩波文庫)

心変わり (岩波文庫)

 

この『心変わり』という小説でまず注目されるのは、主人公を二人称「きみ」――フランス語では"vous"――で呼んでいることである。おそらく小説の歴史のうえではたぶん前例のすくない(ヴァレリーラルボーの小説にいくらか似たものがあるらしい)この人物呼称は、実際、ひとびとの注意を惹き、この作品が1957年度のルノードー賞を受けたとき大きく問題視されて、ちょうどフランス文壇ジャーナリズムでにぎやかになりかけた《ヌーボー・ロマン》論議のなかでひとつの中心となったほどである。

[…]

ビュトールは受賞当時のあるインタヴュー記事のなかで、二人称呼称についてこう語っている。

 「物語がある人物の視点から語られることがぜひとも必要でした。その人物がある事態をしだいに意識してゆく過程が主題となるのですから、その人物は《わたし》と語ってはなりません。その作中人物そのひとの下部にある内的独白、一人称と三人称の中間の形式にある内的独白が、わたしに必要だった。この《きみ》という呼称のおかげで、わたしには、その人物の置かれている位置と、その人物の内部で言語が生まれてくるときの仕方のふたつを描くことが可能となるのです」(『フィガロ・リテレール』紙、1957年12月7日)

(訳者清水徹による解説、上掲書464-466ページ。)

 

語り手が主人公に二人称で語りかける小説の系譜として、ビュトール『心変わり』原著が1957年、ペレック『眠る男』(小説)は1967年。ペレックの方が10年も遅いのか。ロブ=グリエ脚本の『去年マリエンバードで』も、男性が女性に向かって「あなた(vous)」と語りかけるナレーションが延々と続くが、こちらは映画作品の公開が1961年(脚本はもっと前から用意されていたはず)。ただしこれは厳密には「語り手が二人称を用いる」ものではない。

日本語で書かれた小説で、語りが二人称のものはあるのだろうか? 「あなた」や「君」は基本的に翻訳語で、日常会話では滅多に用いられないから(「〇〇ちゃん」だとか「先生」だとか、三人称的な呼称を二人称に流用するのが普通だろう)、かなり不自然な文章にならざるを得ないと思うが。

卒業生と新入生に送りたい言葉

夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなく、友の足音だ、ということを、ぼくは身にしみて経験している。ぼくらは夜のさなかにいる。

ヴァルター・ベンヤミンヴァルター・ベンヤミン著作集14 書簡1』野村修編集解説、晶文社、1972年、76-77ページ。 )

 

周辺性という状態は、無責任で軽佻浮薄なものとみられがちだが、しかし周辺性はまた、ふだんの生活や仕事において、たえず他人の顔色をうかがいながらことをすすめたり和を乱さないかと心配したり同じ集団の仲間に迷惑をかけないよう気を配る生きかたから、あなた自身を解放してくれる。[…]わたしがいいたいのは、知識人が、現実の亡命者と同じように、あくまでも周辺的存在でありつづけ飼い馴らされないでいることは、とりもなおさず知識人が君主よりも旅人の声に鋭敏に耳を傾けることであり、慣習的なものより一時的であやういものに鋭敏に反応することであり、上から権威づけられてあたえられた現状よりも、革新と実験のほうに心をひらくことなのだ。漂泊の[傍点]知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動きつづけること、けっして立ち止まらないことなのである。
エドワード・W・サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1998年、109-110ページ。) 

 

 2020年2月20〜21日ベルリン滞在。「シークエンシャルな語り」「空間と記憶」をテーマに建築巡りを行う。

2月20日:クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション《失われた家(Missing House)》、街路に埋め込まれた「躓きの石」、博物館島からとりわけドイツ新古典主義を代表する旧博物館、そしてダニエル・リベスキンドのベルリン・ユダヤ博物館へ。

2月21日:ピーター・アイゼンマンの《虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑》(通称:ホロコースト記念碑)、その近隣にあったElmgreen & Dragset《ナチスに迫害された同性愛者の記念碑》、Karavan(イスラエルの芸術家だという)《ナチスに虐殺されたシンティ・ロマの記念碑》、ティーガルテンベンヤミンのように彷徨い歩き、ハンス・シャロウン設計のベルリン・フィルハーモニーホール、同じくシャロウンによるベルリン州立図書館(共に金曜午後のツアーガイドに申し込み)、残った時間で絵画館(Gemäldegalerie)へ。

順次写真をあげてゆきます。

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ローマのパンテオン(2008年8月撮影)と、それに倣ったというシンケル設計ベルリン旧博物館(Altes Museum)のドーム。
 

クロソウスキー象形文字としての「ステレオタイプ

事実、私は筆跡学から能書術、というかむしろ象形文字学へ移ったのです。私は絵を象形文字として扱っているわけです。[…]私が従う或る種のステレオタイプがあり、拒絶する別のステレオタイプがある。絶えざる自己批判です。私が出発したのは壁画、そこに含まれる演劇性、スペクタクル的な側面をひっくるめて、壁画という理念からでした。私は自分が仕事をしているのは壁面の上で、つまりその垂直性との関係においてなのであって、一冊の本を差し出すように差し出すこともできるようなイメージから出発してなのではないということを、かたときも忘れたことはありません。

 (クロソウスキー「アラン・アルノーとの対話」、『ルサンブランス』154ページ(引用部分はクロソウスキーの発言)。)