エゴン・シーレ:拷問を受ける肉体

シーレとロダンの連関に最初に着目したのはウェルナー・ホフマンであろうが[…]はじめてムードンのロダンのアトリエを訪れたときの、ガラスのケースに収められていた人体の断片のかずかずが唐突に視界に飛び込んできたのは、強い衝撃だった。肉体の細分化、フラグメント。残念ながら、ぼくらは指や手や足首を、独立したフォルムとして眺めることが稀なのだが、ロダンの石膏の断片の前では、一本の指にも脚があり胴があり、乳房にも眼があり頭があるのを直感し、戦慄的であった。シーレはこのことも知っていたのである。肉体の各部分は主たる部分に隷属して生きているのではなく、細部がふるえおののいて、はじめて全体が有機的に動くのを。線はけっして消滅することがないのだ。肉眼で見えないシーレの線はきっと皮下を走っているので、線はふたたび皮膚を破って急激に浮上する。

坂崎乙郎エゴン・シーレ:二重の自画像』岩波書店1984年、142ページ。)

 

 

2022年度前半に刊行されたもの

だいぶアナクロニックになってしまったものもありますが、2022年前半に刊行された拙稿です。

 

蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵編著『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』フィルムアート社、2022年3月。

私は「第1部 理論編」の「7. 身体」の項目を執筆いたしました。

フィルムアート社の紹介ウェブページ:

filmart.co.jp

 

 

国立歴史民俗博物館編『REKIHAKU 特集・人工知能の現代史』文学通信、2022年6月。

私はコラム「人工知能をめぐるジェンダーの問題 AIはだれの顔をしているのか? 」を寄稿しています。AIが「人間的」なインタフェースを搭載するとき、またAIがフィクションのなかで表象されるときのジェンダーの問題に言及いたしました。

日本知能情報ファジィ学会誌『知能と情報』2018年12月号に寄稿した、「フィクションにおけるテクノロジーの表象とジェンダー」(https://doi.org/10.3156/jsoft.30.6_308)のアップデート&ダイジェスト版です。

 

 

短歌ムック『ねむらない樹』第9号(書肆侃侃房)の「小特集:左川ちか」に、短いエッセイを寄稿いたしました。

 「真夜中の純粋愉楽読書」にふさわしい彼女の詩の魅力について、植物の生命力と植物への変貌、触れることの両義性、鉱物性といったテーマから書いております。

書肆侃侃房の紹介ウェブページ:

www.kankanbou.com

 

 

『群像』2022年9月号に、随筆「小さな部屋についての思索」を寄稿いたしました。

東京芸術祭 2022シンポジウム「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」

表象文化論学会MLで東京芸術祭 2022シンポジウム「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」オンライン配信の存在を知り、さっそく視聴した。

www.youtube.com

Cf. 東京芸術祭ウェブサイト上のシンポジウム紹介ページ:

tokyo-festival.jpこの数年間で体感していたことに、さまざまな実例と厳密な言語が与えられ、一気に遠く高い思考へと到達できた感じがある。

「顔の見えない」状態(Zoomのビデオオフ参加含め)について卒論で手掛けたいという3年次学生がいたので、さっそくプレゼミのLMSで共有した。別の授業(「解釈理論」)では、チェン氏の言うとおり「道具(技術)によって世界の見え方が変わる」ことも紹介しているので、これにも盛り込んでおきたい。

今年10月から発足した大学コンソーシアム助成共同研究のテーマが「Art and Culture for Convivial Society」なのだが、テクノロジーを通じた/テクノロジーとの「共生」についても考える必要がある、ということにも気付かされた。もっとも、東京芸術祭シンポでの「共に在る」はco-presenceであって、イリイチのいうcon-viviality(自立共生)と厳密にイコールであるかは、私の知識では分からないが……
なお、テクノロジーと(の)コンヴィヴィアリティというテーマでは、ひとまずウェブ検索でこのような情報を見つけた。
・緒方壽人氏ウェブサイト「コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ」:

convivial.tech・「道具としてのテクノロジーから人と共に生きるコンヴィヴィアル・テクノロジーへ」(緒方壽人氏へのインタヴュー):

furue.ilab.ntt.co.jp

ちなみに、シンポジウム内でドミニク・チェン氏が言及していた論文には、以下のリンク先からアクセスできた。
・A Systematic Review of Social Presence (2018):

www.frontiersin.org・Analysis and Design of Social Presence in a Computer-Mediated Communication System (2021):

www.frontiersin.org

第47回社会思想史学会フーリエ・セクションに行った

2022年10月16日(日)開催の社会思想史学会に赴き、フーリエ・セクションに参加。会場は専修大学生田キャンパス。地理的には神奈川県で、生田緑地の緑に囲まれたロケーション(すでに紅葉が始まっていた)。

大会案内:http://shst.jp/home/conference/

大会特設ページ(パスワード保護中):http://shst.jp/2022/09/02/202247/

 

フーリエ・セクション「フーリエ研究の現在」では、まず福島知己氏と藤田尚志氏より、それぞれ「「シャルル・フーリエ『産業の新世界』の構成と位置づけ」と「フーリエ的思考と結婚の脱構築ベルクソンドゥルーズを参照しつつ」と題された報告があり、それに対して討論者の金山準氏(プルードン研究)と清水雄大氏(フーコーを中心とするフランス近現代哲学研究)の立場からコメントがなされた。

 

私は「フーリエの思想と建築・都市計画」という関心から参加したのだが、知識を得るとともに思考もおおいに触発される、とても良い機会だった。いくつか自分なりの関心に引っかかったポイントを。

会場との質疑応答では、経済学研究者の立場から、「フーリエの発想(『産業の新世界』で具体化されるファランステール計画など)は、周囲の空間を変えれば行動が変わるというものであり、これは行動経済学の考え方ではないか」との指摘があった。この行動経済学の背景には、背景に「行動主義」の考え方があり、これはアーレントが「人間を動物に還元するもの」として痛烈に批判したものである。しかし、フーリエの場合は、そのような「設計主義」に「偶発性(きまぐれ)」を導入するという特性があるのではないか? つまり、「ナッジ」の考え方と似て非なるものではないか、というのである。

フーリエの「新しい社会秩序は新しい建築を必要とする」という発想は、まさに環境管理型権力的であり、18世紀終わりのパノプティコン構想とも共通するのではないか、と私も考えていたところである。確かにそのような側面もあるが、そこに「きまぐれ(偶発性)」という要素が取り入れられているという指摘には、はっと気づかされるものがあった。

この点については、「フーリエはある種の「改造主義」であり、「気まぐれ」も設計主義に含みうる(それがフーリエの危険性でもある)、権力との関係も両面性をもつ」という指摘もなされた(清水氏)。フーコーは『監獄の誕生』で、フーリエそのものには言及していないが、ベンサムパノプティコンを「管理されたファランステール」と称しているという(福島)。その後に展開された議論では、フーリエの「きまぐれ」には、権力への抵抗の契機も見出しうること、設計(設定)されたオルジアの場が、性的欲望への気付きをもたらすこと(フーリエのいう「セリー」も一種の発見装置であること)、ナッジなどドゥルーズのいう環境管理型権力については、そのなかに組み込まれている人がそのことを「知っている/知らされているか」が重要であること、フーリエにとって重要だったのは、広い社会領野のなかに情念を解き放つことであり、それが新しい情念の分岐を生み出す、つまり広い社会のなかで自分が自分を見つけ出すことに繋がることなどが指摘された。フーリエによれば、各人の性的嗜癖manieが特殊であればあるほど、遠くへ旅行しなければならず、そこで合致する嗜癖の人間に出会い、新しい嗜癖を発見することとなる。つまり、文明-調和のなかを常時移行することが求められているという(Cf. ファランステールにおける「隊商宿」)。もっとも福島氏によれば、フーリエが提示したのは「規範」ではなく「記述」との由。

藤田氏の報告で焦点の当てられた結婚と性愛という契機、また質疑応答の場で言及のあった旅行というテーマも、私自身のフーリエに対する関心にとって、重要な鍵概念であることを再確認する。(どこかの地方自治体が、最近「AI婚活」なるものを打ち出したというニュースを見たときには、「最新テクノロジーによるフーリエみたいだな」と思ったのだが、AIはきまぐれ(偶発性)を排除するという点では似て非なるものなのだろう。)

以下、自分用メモ(学会で出された発言ではなく、私自身の着想)。フーリエは、自身で言及する建築の趣味はむしろ前時代的だが、「環境管理型権力」という点ではパノプティコン(さらにはルドゥーの「アルケ・スナンの王立製塩所やサドによる放蕩の館計画など)とも共通する、「建築物の構造によって人間の行動や内面を変える」「新しい建築物は新しい社会秩序をもたらす」という発想の持ち主であった。
このギャップはどこに出来するのか?
Cf. フーコーパノプティコンを「管理されたファランステール」と称す」

また、フーリエファランジュ(理想的共同体)にとっても「旅をすること」は重要である。これは人間の交流と循環をもたらすものである。
Cf. 18世紀における旅、あるいはサドにおける旅などとの比較

 

これはずいぶんと大雑把な「日常へのあてはめ」になってしまうが、最近の大学に要請されている「学習成果の可視化」(ラーニング・ポートフォリオや学習カルテによる学習履歴のデータ管理)や、コロナ禍でいっきに普及したLMS(教育管理システム)などのテクノロジーで、学生の授業資料へのアクセス履歴から、講義動画視聴時間まで監視とコントロールができてしまうこと(講義動画の倍速視聴や同時再生に対し制裁を行なった大学もあったとか)なども、要は(環境)管理型権力の一種なのではないか。それを「望ましい規範」だとか「文科省の要請だから」などといって、無批判に、あるいは目をキラキラさせて唯唯諾諾と従うことの危険性も、改めて認識させられた。勤務先でもいちどドゥルーズの管理社会論で読書会をすべきなのではないか、ジェリー・ミラーの『測りすぎ』とともに。そもそも「権力には批判的であることが必要(check & balanceを機能させるためにも)」という考え方自体が、共有されていないのだろうなと思う。フーリエには全然関係ない話になった。

 

学会会場に出店していた晃洋書房で、『ユートピアのアクチュアリティ』と『アート・ライフ・社会学:エンパワーするアートベース・リサーチ』の2冊を購入。後者で紹介されているart-based research(ABR)の考え方は、今秋から開始となった大学コンソーシアムの共同研究にも参考になりそう。ABRもSEA(socially engaged art=社会参画型芸術)などと並んで、すでにさまざまな批判も出ているだろうから、そういうメタレベルからの批判も織り込みつつ、実践という形で探究できれば。

 

午後は東京に戻り、根津美術館を訪問。11月に課外授業の美術館ツアーで訪れるので、その下見も兼ねて。企画展では蒔絵が取り上げられていた。一言で「蒔絵」といっても多様な技法があり、地の黒とのコントラストも含めて多彩な表現が可能であることを目の当たりにする。庭園にはさまざまな草木が植えられ、歩くだけで精神が浄化される。苔むした石仏や池に浮かぶ庵つきの質素な船(水に侵食されて荒屋の趣がある)、点在する庵(茶室)の簡素さ(まさに『小さな家の思想』)を堪能する。ここ数年なぜか心を惹かれているガンダーラ美術についての解説本と、白檀と龍脳を調合した美術館オリジナルのお香を買って帰宅。

 

   

ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館)

 

昨日は当日券完売済で入場できず、関連書籍だけ買ってとぼとぼと引き上げたリヒター展、やはり大きさやマティエールなどを確かめるためにも実物を見ておきたいと思い、再び竹橋に。結論から言うと、やはり実際の展示を見られて本当によかった。見逃した人は、わざわざ巡回先の豊田市美術館に赴くだけの価値はあると思う。

実はリヒターについては「現代のスターアーティスト」程度の認識で、「アトラス」シリーズについてB. ブクローが論文を書いていたけど当時の自分には今ひとつ消化できなかったことと、SONIC YOUTHのアルバムジャケットの絵の人というくらいしか予備知識がなかったのだが、会期終了間際に「ビルケナウ」という連作が出展されていることを知り、これは俄然行かなくてはと思い立ったのだった。

展示室には敢えて展示順序は設けられておらず、個々人の関心に沿って観覧する方式。まずは実物を確かめたかった「ビルケナウ」連作へ。ディディ=ユベルマンの著作『イメージ、それでもなお』に触発を受け、ビルケナウ絶滅収容所で秘密裏に撮影された4枚の写真を元にした「フォト・ペインティング」の上から、油彩絵の具の層をスクィージで塗りつつ削る手法で制作されたという。絵の具の層の下に描かれている絶滅収容所の光景が、表面から少しでも視認できるのかどうか知りたかったのだが、完全に塗りつぶされていると分かった。スクィージで引っ掻かれた表層は、ビルケナウ収容所に生えている(地名の語源でもある)白樺の樹皮を連想させた。実際リヒターには、ビルケナウ・シリーズとは独立したもののようだが、《グレイ(樹皮)》と言うタイトルの、やはりマティエールが樹皮の捲れ剥げかけた白樺を思わせる作品もある。

カンヴァスに油彩で描かれた「ビルケナウ」4連作の実物大の写真複製も、向かい合わせに(鏡像のように)置かれている。ビルケナウに顕著な表面のマティエールは、当然ながら消えている(図録やウェブ、あるいは会場で撮影した写真を見るのと変わらない)。この連作に限らず、リヒターはフィジカルで物質的な作品とその複製との関係、メディウム間を越境しつつ複製するというプロセスで顕わになるものに、意識的だということが分かった。リヒターにおいては、複製はcopyというよりduplicate(二つにする)という語の方がはまるように思う。

表層の凹凸や絵の具の物質性は豊かなのだが、作家個人の身体痕跡だとか、アブジェクシオンとかいった生々しさは不思議と希薄で、その点が他の「マティエール系」絵画作品とはだいぶ異なるように思った。スクィージの使用による、平された表面と規則正しい削り跡のせいもあるだろうか。

すでに物心のつく年齢で第二次大戦を経験した世代のドイツ人、という立場も含めて、リヒターは芸術家としての自己の責任と倫理のようなもの、何をどう引き受け表現するのかということに、極めて意識的だと思った。イメージへと加える操作(複製する、上から絵の具を重ね覆い隠す、描きつつ消す、輪郭をぼかしたりブレさせたりする……)へのメタ意識も含めて、リヒターは自らが制作することそれ自体を思考し、またイメージをめぐる思考を制作プロセスにおいて展開している、そのように感じられた。

展示会場の説明パネルは、ごく短く簡潔な文章ながら、的確で鋭く、リヒターを眼の前にした鑑賞者の思考を刺激してくれるもので、これも凄いと思った。この企画展のみならず、常設会場もパネル説明がとてもよい。

リヒター展を見た後もまだ時間に余裕があったので、ゆっくり常設展を見て回る。石内都の「連夜の街」シリーズや、ボナールから日本の画家たちが受けた(表面的には看守しづらい)影響を見せる展示をはじめ、こちらもよかった。一昨年度から授業で日本美術史も教えるようになったこともあり、日本美術を見るときの視点が自分のなかで増えていることを実感。

その後はカレーでも食べようと神保町まで歩き、古本屋巡りする時間はないのにうっかり「ロック アイドル サブカルチャー」を掲げた古書店にフラフラと入ってしまう。フィルム包装して飾ってある雑誌を見せてもらおうと店員のお姉さんに声を掛けたところ、「ソフバの表紙のですね?」とさらっとファン御用達の略語が返ってきて、ひとり勝手に気分が上がる(もちろん「ハイッ! ソフバのです!」と元気よく答えた)。

「空気の流れ」と都市計画

■Richard Etlin, « L’air dans l’urbanisme des Lumières », dans Dix-huitième Siècle, n°9, 1977 ; Le sain et le malsain, p. 123-134. doi : https://doi.org/10.3406/dhs.1977.1119 

Michel Foucault, Les Machines à guérir : aux origines de l'hôpital moderne, P. Mardaga, 1979.

アラン・コルバン『においの歴史:嗅覚と社会的想像力』山田登世子鹿島茂訳、藤原書店、1990年。

以下、『においの歴史』からメモ。

 

これ以降、「換気」ということが公衆衛生戦略の基軸となる。何にもまして制御しなければならないのは空気の流れである。気体性流動体の流れを確保することは、汚物を排除すること以上に、停滞と固定に対する恐怖と関連している。

(126ページ)

気体論の理論が啓蒙主義の建築に与えた影響はよく知られている。[…]計画の立案者の野心は、「建築の手段はすべて、空気を捕え、循環させ、排除するためにのみ用いる」ことだった。[…]リヨンの病院はこの点でモデルとなるものである。スフローは、楕円形の形態のおかげで空気が淀むことなく、すべて上のほうへと昇っていくような丸天井の部屋を考案する。

(131ページ)

拱廊の目的はこれ以後、建物の下部の換気を可能にし、瘴気の逆流を断ち切ることに変わる。柱廊は空気の入れ換えを確実に行ない、散歩者が空気の戯れに身をさらすことができるようにする。門と窓を大きく取り、向かい合うかたちで扉を部屋に取り付け(この方法はしばしば称賛された)、廊下を広くし、悪臭の導管になる塔や螺旋階段は廃絶するという方針は気体論的強迫観念の強まりを雄弁に物語っている。[…]こうして、一階を放棄して、二階に住むべしという主張が行われるようになっていく。

(131-132ページ)

 

・1713年:ゴージェ『火の力学』出版。室内で暖炉を中心に環流する空気流をコントロールすることで、暖房と換気を同時に行うことを提案。ゴージェが想定していたのは私的空間、とりわけ女性の部屋であり、空気の循環によって婦人病の治癒を試みるものだった。後世に重要文献となる。

・1736年:デザギュリエがゴージェとトゥラルの著作を英訳、さらに英国下院に換気装置を導入。1730年代後半にはヨーロッパ各地で相次いで換気装置が設計・導入される。

・1783年4月10日王令:空気の流れを妨害しないよう、通りの広さと建物の高さに関する規制が発令される。

・ルドゥーが『芸術、習俗、法制との関係の下に考察された建築』(1804年)で提示する「ショーの理想都市」に、モナ・オズーフは「気体論的な流れの影響」の体現を見てとる。

Cf. Mona Ozouf, "L'image de la ville chez Claide-Nicolas Ledoux," dans Annales E. S. G., novembre-décembre 1966, pp. 1273-1304.  https://www.persee.fr/doc/ahess_0395-2649_1966_num_21_6_421483

ショーの町の家屋や公共建築物は「いっさい密着せずに一つ一つ独立している」。明白な機能性、建物同士の間隔の開き、それに左右対称性[…]などは、都市の健康状態を示す以外に、都市の構造が一目で読み取れ、しかも見る人にとって視覚的幸福感があるといった長所を作り出す。(コルバン、134ページ)

 

シャルル・フーリエ覚書

■Bibliothèque de l'école des chartes, Vol. 163, No. 1, janvier-juin 2005.
ENTRE NOSTALGIE ET UTOPIE: RÉALITÉS ARCHITECTURALES ET ARTISTIQUES AUX XIXe ET XXe SIÈCLES
Persée : https://www.persee.fr/issue/bec_0373-6237_2005_num_163_1

Marion Loire, « L'Architecture écrit l'Histoire » : les projets architecturaux des fouriéristes, 213 - 239を含む。

フーリエ関連文献一覧:ANTONY Michel, BOUCHET Thomas, « Bibliographie : Fourier » , charlesfourier.fr , rubrique « Bibliographies (tout ou presque sur...) », mai 2014, en ligne : http://www.charlesfourier.fr/spip.php?article1328 (consulté le 17 septembre 2022).

■Archives Nationales Fonds Fourier et Considérant (1796-1899) 10AS/15 https://www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr/siv/UD/FRAN_IR_024158/d_1_1_15

フーリエの理想の都市計画論が開陳される「1796年12月ボルドー市当局宛書簡(Lettre sur la reconstruction de Bordeaux. Marseille, 20 frimaire, an V.)手稿を含む(10AS/15 Pièce 18)。当該書簡(マニュスクリプト)のデジタルデータ公開は無し。

1796年12月ボルドー市当局宛書簡

フランス全土旅行で、当時の街並みの単調さに衝撃を受ける。「新しいタイプの都市モデル」を構想。「大火災を予防し有毒な腐臭を消し去る」ことが可能とする。

(ビーチャー、56ページ。Cf. AN 10AS 15 (18))

そして、ボルドーこそモデル都市建設の場に相応しいと主張する(ビーチャー、60-61ページ)。

・1789年(フーリエ17歳)、初めてパリを訪れ、建築と都市計画への関心を掻き立てられる。道幅の広い大通り、気品に溢れる邸宅、とりわけパレ・ロワイヤル(「パレ・ド・フェ」)。

初めて統一的(unitaire)な建築を着想したのは、パリの大通りを歩いている途中のことである(1822年の回想)。彼はアンヴァリッド大通りの途中、アカシア通りとN. プリュメ通りの間にある、2軒の小さな家の素晴らしさに目をとめる。「私は時を経ずしてその規則を見極めるようになった」。

(ビーチャー『シャルル・フーリエ伝』59ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠とのこと。)

・「ルーアンとトロワの二都市の醜さが衝撃的だったために、われわれのののとはきわめて異なる都市の計画を私は構想したのである。この配置については後で説明しよう。[…]これこそは家庭秩序に改良をもたらし、しだに情念系列の計算の発明へ導くものである」。

(アントロポ版フーリエ全集第10巻(草稿1851)17ページ。)

・1789年末、「パリの大通り[ブールヴァール]を初めて歩きながら」、新しいタイプの「統一的建築」を構想しようと思いをめぐらせはじめる。

(ビーチャー、42ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠。)