2022年度前半に刊行されたもの

だいぶアナクロニックになってしまったものもありますが、2022年前半に刊行された拙稿です。

 

蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵編著『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』フィルムアート社、2022年3月。

私は「第1部 理論編」の「7. 身体」の項目を執筆いたしました。

フィルムアート社の紹介ウェブページ:

filmart.co.jp

 

 

国立歴史民俗博物館編『REKIHAKU 特集・人工知能の現代史』文学通信、2022年6月。

私はコラム「人工知能をめぐるジェンダーの問題 AIはだれの顔をしているのか? 」を寄稿しています。AIが「人間的」なインタフェースを搭載するとき、またAIがフィクションのなかで表象されるときのジェンダーの問題に言及いたしました。

日本知能情報ファジィ学会誌『知能と情報』2018年12月号に寄稿した、「フィクションにおけるテクノロジーの表象とジェンダー」(https://doi.org/10.3156/jsoft.30.6_308)のアップデート&ダイジェスト版です。

 

 

短歌ムック『ねむらない樹』第9号(書肆侃侃房)の「小特集:左川ちか」に、短いエッセイを寄稿いたしました。

 「真夜中の純粋愉楽読書」にふさわしい彼女の詩の魅力について、植物の生命力と植物への変貌、触れることの両義性、鉱物性といったテーマから書いております。

書肆侃侃房の紹介ウェブページ:

www.kankanbou.com

 

 

『群像』2022年9月号に、随筆「小さな部屋についての思索」を寄稿いたしました。

「空気の流れ」と都市計画

■Richard Etlin, « L’air dans l’urbanisme des Lumières », dans Dix-huitième Siècle, n°9, 1977 ; Le sain et le malsain, p. 123-134. doi : https://doi.org/10.3406/dhs.1977.1119 

Michel Foucault, Les Machines à guérir : aux origines de l'hôpital moderne, P. Mardaga, 1979.

アラン・コルバン『においの歴史:嗅覚と社会的想像力』山田登世子鹿島茂訳、藤原書店、1990年。

以下、『においの歴史』からメモ。

 

これ以降、「換気」ということが公衆衛生戦略の基軸となる。何にもまして制御しなければならないのは空気の流れである。気体性流動体の流れを確保することは、汚物を排除すること以上に、停滞と固定に対する恐怖と関連している。

(126ページ)

気体論の理論が啓蒙主義の建築に与えた影響はよく知られている。[…]計画の立案者の野心は、「建築の手段はすべて、空気を捕え、循環させ、排除するためにのみ用いる」ことだった。[…]リヨンの病院はこの点でモデルとなるものである。スフローは、楕円形の形態のおかげで空気が淀むことなく、すべて上のほうへと昇っていくような丸天井の部屋を考案する。

(131ページ)

拱廊の目的はこれ以後、建物の下部の換気を可能にし、瘴気の逆流を断ち切ることに変わる。柱廊は空気の入れ換えを確実に行ない、散歩者が空気の戯れに身をさらすことができるようにする。門と窓を大きく取り、向かい合うかたちで扉を部屋に取り付け(この方法はしばしば称賛された)、廊下を広くし、悪臭の導管になる塔や螺旋階段は廃絶するという方針は気体論的強迫観念の強まりを雄弁に物語っている。[…]こうして、一階を放棄して、二階に住むべしという主張が行われるようになっていく。

(131-132ページ)

 

・1713年:ゴージェ『火の力学』出版。室内で暖炉を中心に環流する空気流をコントロールすることで、暖房と換気を同時に行うことを提案。ゴージェが想定していたのは私的空間、とりわけ女性の部屋であり、空気の循環によって婦人病の治癒を試みるものだった。後世に重要文献となる。

・1736年:デザギュリエがゴージェとトゥラルの著作を英訳、さらに英国下院に換気装置を導入。1730年代後半にはヨーロッパ各地で相次いで換気装置が設計・導入される。

・1783年4月10日王令:空気の流れを妨害しないよう、通りの広さと建物の高さに関する規制が発令される。

・ルドゥーが『芸術、習俗、法制との関係の下に考察された建築』(1804年)で提示する「ショーの理想都市」に、モナ・オズーフは「気体論的な流れの影響」の体現を見てとる。

Cf. Mona Ozouf, "L'image de la ville chez Claide-Nicolas Ledoux," dans Annales E. S. G., novembre-décembre 1966, pp. 1273-1304.  https://www.persee.fr/doc/ahess_0395-2649_1966_num_21_6_421483

ショーの町の家屋や公共建築物は「いっさい密着せずに一つ一つ独立している」。明白な機能性、建物同士の間隔の開き、それに左右対称性[…]などは、都市の健康状態を示す以外に、都市の構造が一目で読み取れ、しかも見る人にとって視覚的幸福感があるといった長所を作り出す。(コルバン、134ページ)

 

シャルル・フーリエ覚書

■Bibliothèque de l'école des chartes, Vol. 163, No. 1, janvier-juin 2005.
ENTRE NOSTALGIE ET UTOPIE: RÉALITÉS ARCHITECTURALES ET ARTISTIQUES AUX XIXe ET XXe SIÈCLES
Persée : https://www.persee.fr/issue/bec_0373-6237_2005_num_163_1

Marion Loire, « L'Architecture écrit l'Histoire » : les projets architecturaux des fouriéristes, 213 - 239を含む。

フーリエ関連文献一覧:ANTONY Michel, BOUCHET Thomas, « Bibliographie : Fourier » , charlesfourier.fr , rubrique « Bibliographies (tout ou presque sur...) », mai 2014, en ligne : http://www.charlesfourier.fr/spip.php?article1328 (consulté le 17 septembre 2022).

■Archives Nationales Fonds Fourier et Considérant (1796-1899) 10AS/15 https://www.siv.archives-nationales.culture.gouv.fr/siv/UD/FRAN_IR_024158/d_1_1_15

フーリエの理想の都市計画論が開陳される「1796年12月ボルドー市当局宛書簡(Lettre sur la reconstruction de Bordeaux. Marseille, 20 frimaire, an V.)手稿を含む(10AS/15 Pièce 18)。当該書簡(マニュスクリプト)のデジタルデータ公開は無し。

1796年12月ボルドー市当局宛書簡

フランス全土旅行で、当時の街並みの単調さに衝撃を受ける。「新しいタイプの都市モデル」を構想。「大火災を予防し有毒な腐臭を消し去る」ことが可能とする。

(ビーチャー、56ページ。Cf. AN 10AS 15 (18))

そして、ボルドーこそモデル都市建設の場に相応しいと主張する(ビーチャー、60-61ページ)。

・1789年(フーリエ17歳)、初めてパリを訪れ、建築と都市計画への関心を掻き立てられる。道幅の広い大通り、気品に溢れる邸宅、とりわけパレ・ロワイヤル(「パレ・ド・フェ」)。

初めて統一的(unitaire)な建築を着想したのは、パリの大通りを歩いている途中のことである(1822年の回想)。彼はアンヴァリッド大通りの途中、アカシア通りとN. プリュメ通りの間にある、2軒の小さな家の素晴らしさに目をとめる。「私は時を経ずしてその規則を見極めるようになった」。

(ビーチャー『シャルル・フーリエ伝』59ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠とのこと。)

・「ルーアンとトロワの二都市の醜さが衝撃的だったために、われわれのののとはきわめて異なる都市の計画を私は構想したのである。この配置については後で説明しよう。[…]これこそは家庭秩序に改良をもたらし、しだに情念系列の計算の発明へ導くものである」。

(アントロポ版フーリエ全集第10巻(草稿1851)17ページ。)

・1789年末、「パリの大通り[ブールヴァール]を初めて歩きながら」、新しいタイプの「統一的建築」を構想しようと思いをめぐらせはじめる。

(ビーチャー、42ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠。)

 

 

 メモランダム

1988年9月刊行の『WAVE』(特集:サイバーシティ東京)を読んでいて、「デッドテック」という言葉を知る。おそらく現在はもう生き残っていないヴォキャブラリーではないか。先端的なテクノロジーのイメージと死や病や崩落とが結びつく表現が、この頃に盛んになることに注目してきたのだが、「dead tech」という撞着語法的な語彙が当時存在していたとは。

 

  • 武邑光祐インタヴュー(聞き手:小川巧)「デッド&サイバーテック」

この特集号には、まず武邑光祐のインタヴューが収められている。武邑は、1980年代の初めから「デットテックな人工自然」に関心を寄せ始め、それはS.R.L(サヴァイヴァル・リサーチ・ラボラトリー)*1などの「ジャンク・マシーンとヘヴィ・メタルな文脈」のなかの、「廃墟を巡るさまざまな状況」が具体的になってきた時代だったと語る。当時ニューヨークではピア34の桟橋倉庫廃墟などを利用し、廃墟をテーマにした美術展や、廃墟の壁そのものを利用した作品展示なども行われていたという。(この種の1980年代インダストリアル廃墟趣味は、日本固有のものではなかったようだ。もちろんサイバーパンク、建築界のダーティリアリズム、ノイズやインダストリアルに分類される音楽とそれを取り巻く文化の系譜など、さまざまな要素が絡み合うなかで生まれ、国際的に影響し合って生成と変容を遂げたジャンルなのだろう。その辺りを広範に、かつ個別事例の固有性を切り落とさず丹念に浚ったうえで「見取り図」を作成するのは、かなり大変な作業になりそうだが。)

 

その時代にデッド・テックという言葉がハイテックの反語として、あるいは倒立した概念として出てきました。一般にデッドテックな風景として第一次、第二次世界大戦を通して崩れていった風景、あるいは過去の膨大な時間をひきずっている遺跡の発掘などによってたちあらわれていく廃墟などがあります。つまり掘り起こすこと、探査することで出現する廃墟と、今までそびえ建っていた人工的なアーキテクチャーが腐蝕と酸化と共に短期間の間に崩れてしまったもの、二つの戦争によって残骸として残された廃墟の三つがあります。そうした廃墟の中でも、僕が興味を持ったのは一九四、五〇年代に建てられたアーキテクチャーだとか、六〇年代に月へいった「スペース・ミッション・プログラム」の残骸や「ニュークリア」、核、原発ですね。この宇宙と核を巡る巨大な人工自然といったものが徐々に朽ち果ててきているといった廃墟性なんですね。

(『WAVE』第19号、1988年9月、26ページ。)

 

この武邑のインタヴュー内で言及されているのが、ドイツの写真家マンフレート・ハムManfred Hamm(文中では「マンフレッド」表記)の『Dead Tech: A Guide to the Archeology of Tomorrow』原著1981年、英語版1982・2000年(Amazon.jpでまだ中古が売られている)、スイスの写真家ルネ・ビュリRene Burri(文中では「レネ・ブーリ」表記)の『American Dream』1986年、アルゼンチン出身で、『RE/Search』誌のJ.G.バラード特集号(1984年)の写真も手がけたアナ・バラッドAna Barrado*2

またインタヴュー後半では、テクノロジーを人間の神経系と繋いで、「インナー・ヴィジョン」を得たり精神的なセラピーを実施したりするプロジェクトについての言及がある。武邑自身も認めている通り、ニューエイジがドラッグでやろうとしたことを、神経系とテクノロジーの接続によって発展させるという性質も強いようだ。広く言ってしまえば「サイボーグ」的技術だと思うが、この時代固有の要素もあって面白い。三上晴子によるプロジェクトのコンセプトなども考え合わせると、「神経(ニューロ)」への注目がそれに当たるのではないかという予感を持っている。それが「身体の廃墟化/廃墟としての身体」にも繋がってくるのではないか。よくよく調べてみたら外れているかもしれないけれど。

 

  • 三上晴子インタヴュー(聞き手:今野裕一)「ニューヨークのアイアン・アート:S・R・L/TODTたちの活動」

ここで三上が賞賛するのが、上掲のS.R.Lと、それからT.O.D.T*3というアーティスト・グループである。彼女がとりわけ注目するのが、機械が人間のコントロールを越えて動く(ときに暴走する)という部分だ。そこでは、機械の精確さ、忠実さ、被統御性といった一般的な(機械が人間に資する道具、目的を効率的に達成する手段であるための)性質は、その対極へと振り切れてしまっている。(インタヴューに添えられたS.R.L作品の写真には、「産業ロボットが意志をもつ漫画「わたしは真悟」を思わせる」とのキャプションが付されている。)

 

S・R・Lのパフォーマンスなんか、人間のコントロールを越えたマシン・レヴェルでの戦いでしょ。ケーブルとケーブルがほんとは接触しちゃいけないところが接触したりして変な動きになったり、人間が操作していることと違った機械レヴェルの動きでしょ。それをヤバイ止めようとか思うんじゃなくて、面白がっちゃうというか、そういうところがいいと思う。機械やテクノロジーに影響されるところがね。

(上掲誌、56ページ。)

 

彼女はバイオやコンピュータ、ロボティクスなどのテクノロジーにインスパイアされることが多いと言い、反対に「コンセプチュアル」なジャンク・アートティンゲリーなどは、人間が関与・介入しているゆえに面白くないとしている。

 

その後に収められたスチュアート・アーブライト(Stuart Arbright)へのインタヴューでは、聞き手の小川功が「ちょっと前までは廃墟感覚とかデッドテックとかいって、三上[晴子]さん達のやっていた仕事のイメージがコマーシャルなどのポピュラーな場所で使われることが多かった」(66ページ)とも発言している。この種の事実は、同時代感覚としてはある程度共有されていても、歴史化された記録としてはなかなか残りにくいので、なかなか貴重である。

 

この号の収録インタヴューには、「コンピュータ・ウィルス」をテーマにしたものもある(インタヴュイーは石原恒和)。ウィルスという病、死、人体のイメージがコンピュータにも用いられるようになったことに注目して、「コンピュータ観を変えるような契機になるんじゃないか」との発言がある。人間の想定し設計した完璧さから自ずと外れていく機械、事故的に思わぬ方向へとブレてゆく機械にこそ面白さを見出している、という点で、他のインタヴューと共通している。もちろんこの雑誌の(編集者である今野裕一氏の?)編集方針もあるだろうから、これを「同時代性」とまで言ってしまうには留保が必要だが。

 

飴屋法水×いとうせいこう 対談「東京サイバーキッズ」

無機物の一種の不完全性、無意味さ、無根拠性の支持(根拠づけることへの批判)、完全なテクノロジー有機性や「母性」・「女性性」に向かうことに抗う、創造としての「壊すこと」、身体のなかに機械を取り入れること、無機性と対極にある「演劇性」に抗うための「男の子」などについて語られる。

記事タイトルの「東京」「サイバー」そしてなにより「キッズ」という言葉遣いが、とても80年代という感じがする。現実的な意味での「子供たち」とはまた違う、概念としての「キッズ」。勝手な主観的イメージでは、大友克洋のマンガに出てくるような? ちなみに、『逃走論:スキゾ・キッズの冒険』は1984年刊行。

*1:Wikipedia英語版:https://en.wikipedia.org/wiki/Survival_Research_Laboratories、個人ブログ「ガタリ夜話」2018/3/28記事(1999年日本公演の回想):https://gatarinaeda.com/srl/

*2:1989年にはペヨトル工房から『アナ・バラッド写真集』が刊行されている。『InterCommunication』第2号(1992年)で紹介されたこともあったようだ:https://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic002/contents_j.html。まとまった説明のある日本語ブログ記事はこちら:https://atgs.hatenablog.com/entry/20130908/1378649593

*3:Fleisher/Ollman galleryのウェブサイトに、詳しい説明と作品の写真が掲載されている:https://www.fleisher-ollmangallery.com/exhibitions/todt_after_next

【メモ】同人誌『同時代』を刊行している「黒の会」の会報、「黒の会手帖」第14号(2021年11月)に寄稿したエッセイ「文学散歩というテクスト」から抜粋。

 

  「文学散歩」それじたいが、テクストの創造的な解釈行為であり、一種の翻案や二次創作でもある。まずは対象となる作品を徹底して読み込んだうえで、場合によっては曖昧な部分や余白の部分を解釈によって補わないと、文学作品の舞台や背景となっている場所を特定するのはむずかしい。さらに、文中に登場する地名やモニュメント名を抜き出すだけでは不十分である。その場所が、どう描写されているのか、物語の展開にどのような役割を果たしているのか、いかなる象徴性を帯びているのか、それを見抜かなくてはならない。現存しない地名や場所も多いから、古地図や地域史資料を丹念に調べる必要もある。そのつぎに、実際に現地に赴いて、残っている痕跡や断片や、あるいは「気配」のようなものに、眼を凝らし、感覚を向ける。換言するならば、それはテクストの探偵術であり、街角の探偵術でもあるのだ。

 

 作品に基づいて、ある土地を徹底して歩き回ることは、新たなテクストをも生み出す。たとえば川本三郎の『荷風と東京 『断腸亭日乗』私註』(一九九六年)は、「書かれた土地」をひたすら歩くことが、徹底した解釈と註釈の行為でもあることを、如実に物語っているだろう。実際に歩いてみてから、ふたたびテクストに立ち戻れば、そのつど新たな読みが現れてくる。地名を軸に、時代や作風のまったく異なる作品が、インターテクスチュアルに繋がってゆくのも面白い。

 ふたつめの発見、というか再認識は、「テクスチュアルに伝達・共有されてゆく場所の記憶」というものが存在するということだ(「歌枕」はその典型だろう)。「市川の文学」ときてまず名が挙がるのは、万葉集に謳われた「真間の手児奈」なのだが、興味深いのは、詠み手が旅人であり、ある場所を通り過ぎる一瞬に、すでに消え去った過去の記憶を「想起」しようとしていることである(実際に会った者の個人的記憶でも、定住者にとっての土地の記憶でもない)。手児奈という女性のイメージは、真間という地名と結びつけられつつ、インターテクスチュアルな記憶としてのみ反復される。その意味では、手児奈という「古代の女」幻想は、アビ・ヴァールブルクが夥しいイメージ群を貫いて見出した「残存する古代の情念」の定型「ニンファ」の、テクストヴァージョンとも言いうるのかもしれない。

 

 

【メモ】同人誌『同時代』を刊行している「黒の会」の会報、「黒の会手帖」第14号(2021年11月)に寄稿したエッセイ「文学散歩というテクスト」から抜粋。

 

 作品に基づいて、ある土地を徹底して歩き回ることは、新たなテクストをも生み出す。たとえば川本三郎の『荷風と東京 『断腸亭日乗』私註』(一九九六年)は、「書かれた土地」をひたすら歩くことが、徹底した解釈と註釈の行為でもあることを、如実に物語っているだろう。実際に歩いてみてから、ふたたびテクストに立ち戻れば、そのつど新たな読みが現れてくる。地名を軸に、時代や作風のまったく異なる作品が、インターテクスチュアルに繋がってゆくのも面白い。

 ふたつめの発見、というか再認識は、「テクスチュアルに伝達・共有されてゆく場所の記憶」というものが存在するということだ(「歌枕」はその典型だろう)。「市川の文学」ときてまず名が挙がるのは、万葉集に謳われた「真間の手児奈」なのだが、興味深いのは、詠み手が旅人であり、ある場所を通り過ぎる一瞬に、すでに消え去った過去の記憶を「想起」しようとしていることである(実際に会った者の個人的記憶でも、定住者にとっての土地の記憶でもない)。手児奈という女性のイメージは、真間という地名と結びつけられつつ、インターテクスチュアルな記憶としてのみ反復される。その意味では、手児奈という「古代の女」幻想は、アビ・ヴァールブルクが夥しいイメージ群を貫いて見出した「残存する古代の情念」の定型「ニンファ」の、テクストヴァージョンとも言いうるのかもしれない。

 

 

【メモ】絵画とヴェール:日本絵画のなかの「ヴェール的なもの」

喜多川歌麿葛飾北斎の浮世絵には、しばしば「ヴェール」的なもの=あちらとこちらを遮断しつつ透かし見させる表面が登場する、という感触がありつつ、それ以上は掘り下げられていなかったのだが、ジークフリート・ヴィッヒマンという研究者の著作『ジャポニスム』(Siegfried Wichmann, Japonisme, London, 1981)の「格子と柵」の章に、次のような分析があると知った。引用は馬渕明子ジャポニスム:幻想の日本』より。

 

浮世絵版画に描かれる障子や格子戸などの格子構造は、ヨーロッパの芸術家たちによって、美しくも効果的な、ヴェール状の空間分割の工夫と見なされた。歌麿はそれらを使って、浮世絵版画の伝統に従っていささか乱雑ではあるが、別の絵画空間を作り出した。

(馬渕、93-94頁より再引用(Wichmann, p. 233.))

 

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喜多川歌麿《四手網》18世紀末〜19世紀初、ボストン美術館など

馬渕のジャポニスム論は、このような浮世絵における「透かして見させる」効果(田中英二のいう「すだれ効果」)との共通点を、モネのいう「à traverse」に見出してゆく。