エゴン・シーレ:拷問を受ける肉体

シーレとロダンの連関に最初に着目したのはウェルナー・ホフマンであろうが[…]はじめてムードンのロダンのアトリエを訪れたときの、ガラスのケースに収められていた人体の断片のかずかずが唐突に視界に飛び込んできたのは、強い衝撃だった。肉体の細分化、フラグメント。残念ながら、ぼくらは指や手や足首を、独立したフォルムとして眺めることが稀なのだが、ロダンの石膏の断片の前では、一本の指にも脚があり胴があり、乳房にも眼があり頭があるのを直感し、戦慄的であった。シーレはこのことも知っていたのである。肉体の各部分は主たる部分に隷属して生きているのではなく、細部がふるえおののいて、はじめて全体が有機的に動くのを。線はけっして消滅することがないのだ。肉眼で見えないシーレの線はきっと皮下を走っているので、線はふたたび皮膚を破って急激に浮上する。

坂崎乙郎エゴン・シーレ:二重の自画像』岩波書店1984年、142ページ。)