ギリシア派の建築理論家・イエズス会士、マルク・アントワーヌ・ロージェ(Marc-Antoine Laugier, 1713-1769)の著作『建築試論(Essai sur l'architecture)』(1755)より。この著作の「原始の小屋(田野の小屋)」という扉絵は、ギリシア派たちの思想を体現するものとして知られている。建築に非本質的な要素を除去していこうとする思想が、理想として掲げた、柱と屋根という基礎的部分からのみ成る建築物。壊れた神殿断片にもたれ、建築のアトリビュートたるコンパスを手にする女性(擬人像)はともかく、両手を広げて驚いている愛らしいプットーの存在が謎。建築断片も、経年劣化で自然に崩れたというよりは、機械できれいに切断したようになっていて(この辺りは廃墟画の系譜をはみ出している)、主題からは外れた部分でいろいろと突っ込みどころの多い一枚だ。

建築は、そのもっとも完璧なところを、ギリシア人に負っている。彼らは天性に恵まれた民族で、科学を少しも無視せず、芸術においてあらゆるものを発明したのはもっぱら彼らによるものだった。ローマ人はギリシア人が彼らにわかち与えた秀でた規範に感嘆の念を禁じえず、それを写すことに成功したが、そこに自分たちのものを加えんとして、結局全世界に教えたことといえば、ただ完成の度合が一度達成されたならば、もはや模倣か失墜しかないということだった。
[…](古典時代に後続するゴシックを、「野蛮の時代」として非難)
しかし、結局のところこのうえなく恵み豊かな天才たちが古代の記念物(ルビ:モニュメント)の内に、世界を覆っていた逸脱行為の証しとそこからの立ち直りの源とを認知することができたのである。それほどの世紀の間あらゆる人々の眼に徒らに映ってきた驚嘆すべき事柄を味わわんとして、彼らはその関係に想いを馳せ、その技巧を模倣した。研究、考証、試論を繰り返したおかげで、彼らは良き規範の学問を再生させ、古代の理にことごとくかなって建築を再興したのである。
(M.A.ロージェ『建築試論』三宅理一訳、中央公論美術出版、1986年、30−31ページ。)

ピラネージが依拠したとされるカルロ・ロードリも、ヴェネツィアイエズス会士。修道士が建築理論にも通じているという状況が、この時代にあったのかもしれない。ピラネージを通してみると、ロージェとロードリは相対立するかのように見えるが、「新古典主義」の典型的な建築思想として、両者の間にはむしろ共通する点が多い。