マキコミヤの祝祭に巻き込まれてみた
7/14(土)、7/15(日)に、福岡県で開催された「マキコミヤ」の学術イベント、VerbFes#2と『シャルル・フーリエの新世界』刊行記念のトークに登壇した。
「マキコミヤ」とは、2019年に逝去した哲学者・宮野真生子を記念し、彼女の「知的で面白いことをしたい」という志を引き継ぐべく発足した、緩やかに連帯しながら将来に繋いでいく企画である。
7/14(土)には、登壇者が「動詞」を一つ持ち寄りプレゼンテーションするという学術イベント「VerbFes#2」に登壇した。
私は「さまよう」をテーマに、さまようことの可能性、哲学や文学における「さまよう」こと、「さまようこと」の意味がジェンダー(それから社会階層)によって異なってくることの問題などを取り上げた。
他の登壇者からはそれぞれ、「聞く」、「蒔く」、「つながる」、「べそをかく」、「うんこする」、「posess(憑依する)」、「絡む」、「変態する」という動詞にまつわる、個々の実践や思考、さらにはパフォーマンスが提示された。この「VerbFes」では、各自が持ち寄る「動詞」は事前には公開しないという決めごとがあり、あらかじめの相互調整などはできないのだが、「さまようことの受動性、非自発性ゆえの出会いや開かれ」「制度化されたものからの逃走」という私自身にとってのテーマは、その後の個々の(動詞としてはまったく異なる)発表とも響き、つながり合っていくものであり、懇親会で得られたフィードバックとも含めて、大いに示唆を得られた。
7/15(祝)は、私も論考「フーリエの理想建築構想とその変貌」を寄稿した分担執筆書籍『シャルル・フーリエの新世界』の刊行を記念するトーク「フーリエを笑いものにするとき、われわれは何を犠牲にしているのか?」に、編者の福島知己氏、執筆者の藤田尚志氏、司会の逆卷しとね氏とともに登壇した(対面・オンライン併用)。
論集には収められなかった発展的な話題やスピンオフの題材も含めて、研究成果を社会に広くアウトリーチし、さらにはフィードバックを得る稀有な機会となった。シャルル・フーリエの思想を元に音楽を作っている、詩を書いているという来場者からもコメントが寄せられ、狭い研究者間の共同体では得られない、フーリエのポテンシャルを垣間見ることもできた。
二日間の「巻き込まれ」を通して、興味深い活動実践を行っている多くの人々と新たに出会えて、自身の思考のダイナミクスを稼働するような、なにかうねりのようなものを受け取ることができた。