街道手帖 (シュルレアリスムの本棚)

街道手帖 (シュルレアリスムの本棚)

 

 この本を構成するメモが扱う街道は、もちろん地上の風景を横切り、つなぐ街道である。しかし、それはときには夢の街道であり、しばしば記憶の街道でもある。その記憶は私の記憶であるが、集合的な記憶、ときにはそのもっとも遠いもの、すなわち歴史でもある。

(上掲書、1ページ、著者による前書き)

 

これもふと思い浮かんだこと。川端康成の『片腕』に、テオフィル・ゴーティエの『ミイラの足』の影響はなかったのだろうか?(CiNiiやGoogle Scholarも含め、ざっとインターネット検索した限りでは情報が出てこない) ゴーティエの身体断片が(亡霊という形で)たやすく全体性を回復するのに対して、川端の「片腕」は断片のままであり続けるという決定的な違いはあるけれども。

断片となった身体(ミイラの足、『ポンペイ夜話』の溶岩に捺された女性の胸部)の持ち主が、美女の亡霊となって主人公の元を訪れるというのがゴーティエの「幻想」だから、それはネクロフィリアや人形愛、断片や痕跡へのフェティシズムではないだろう(ネクロフィリアや身体断片への愛好ならば、それが生きているかのような美女となる必要はなくて、むしろ屍体そのもの、断片そのものに留まらなくてはならないはずだ)。

ゴーティエと川端の違いという以上に、小ロマン派の時代と、新感覚派を生み出すような無機的で神経症じみた時代との間の、心性そのものの違いのようにも思われる。

Au château d’Argol

 

シルトの岸辺 (岩波文庫)

シルトの岸辺 (岩波文庫)

 
アルゴールの城にて (岩波文庫)

アルゴールの城にて (岩波文庫)

 

最近、ジュリアン・グラックによるテクストの「建築性」のようなものについて考えている。「建築(architecture)」のような、人為的で明確な構造をもつものというよりは、岩山のような砦(その中の海図室)、全体が崩落しつつある廃墟の街、ヴェッツァノの入江の真っ白な断崖、岩と岩の隙間に穿たれた、洞窟にも(しかし頭上は開いている)地下室(クリプト)にも喩えられる空間(『シルトの岸辺』)、あるいはゴシック・ロマンスめいた城と森(『アルゴールの城にて』)といったもの。人工物が圧倒的な自然と融合しているような、明瞭な構造がむしろテクストの語りのなかで失われていくような空間である。

『シルトの岸辺』に登場する架空都市オルセンナはヴェネツィアを連想させるけれども、例えばカルヴィーノ『見えない都市』で語られる想像上のヴェネツィアの、杭の上に建てられたモンタージュ都市といった浮遊的な軽やかさ(作中では、マルコ・ポーロが語るたびに、要素が入れ替わってゆく)と比べると、はるかにずっと重々しくて、砦や洞窟や入江といった他のモティーフ、大地に穿たれた地下墓室(クリプト)的な空間と連続しているように思われる。

場所とテクスト、空間とテクストといえばプルーストがまず思い浮かぶが、しかしプルーストの空間の移動とある種の時間性が結びついたような要素は、グラックにはほとんど無いような気がする。

 

『アルゴールの城』白水社版に付された安藤元雄の訳者あとがきによれば、グラックのテクストは以下のような性質をもつという。

 

[…]グラックを真に彼自身たらしめているのは、何よりもまず、その特異な書法であるように私には思われる。というよりも、この書法そのものが作品の真の主題を担っているのだから、もはやそれは単なる修辞論や文体論の枠をはみ出して、むしろ話法論や物語論のレヴェルで検討さるべきものとなっているのではあるまいか。[…]これらのおびただしい比喩が決して単なる作者の恣意でないことは、「遊歩道」の章の終わり近く、アルベールがエルミニアンの容態を気遣いながら見る夢の記述の部分をひもとけば明らかになる。ここでは誰しも、このような書法がまさに夢の記述にふさわしい、必然的な性格のものであることを悟るだろう。とすれば、この物語全体が、一連の悪夢のようなものとして読まれていいのであり、そう読まれたとき、この特異な城館を舞台にした陰惨な物語が、恣意による弛緩どころか、むしろ宿命の避けがたい必然のもたらす緊張に満ちた、異様に澄み切ったものであることが見えてくるはずである。

 その緊張は、もの言わぬ自然のたたずまいと人間の営みとの間を、まるで稲妻のように最短距離で往復する直喩によって示される。言ってみれば、宿命のドラマを書法それ自体によって表現することこそ、グラックがこの作品を書いたときの本当の狙いだったのではあるまいか。

(訳者・安藤元雄による「解説」、上掲『アルゴールの城にて』194-195ページ。)

 

 

 

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シャガールの描く浮遊的な情景に惹かれる。夜、あるいはいつともつかない不分明の時間、人間の眼をもつ動物、深閑とした色彩どうしの混じり合い、重力を免れて空に浮くこいびとたち。地面から、魯鈍な現実法則から解放されていることの、虚ろな自由。

論考掲載のお知らせ

拙論「架空都市の地図を描く――地図と(しての)テクスト」が、『ユリイカ20206月号(特集:地図の世界)に掲載されています。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3437

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モアの『ユートピア』やスウィフト『ガリヴァー旅行記』などの架空の紀行文と地図から始まって、ヴェルヌ『八十日間世界一周』にみる「地図から時刻表へ」、ビュトールの小説やピラネージの版画の「積層した時間の地図」、プルースト萩原朔太郎やロブ=グリエの文学作品における「地図の喪失」、ブルーノ・シュルツの小説で描かれる「世界創造としての地図」など、文学と図像を横断しながら、場所について語ることと地図を描くことの重なり合いを論じたものです。

 

拙論は乱筆乱文になってしまいましたが、他の寄稿者の論考が面白く興味深く、自分の研究という観点からも刺激を受けています。
私の論考とも重なるテーマのものが勉強になるのはもちろんですが、Googleマップという究極の「迷わないツール」の開発者たちと今度は「人をうろうろさせる」ゲームアプリを作った、という川島優志氏の「Not All Who Wander Are Lost」や、地図の暴力性を解剖図と重ね合わせる原木万紀子氏の「地図的パースペクティヴの暴力性」、「知覚の粉砕」をテーマにした木下知威氏の「知覚のクラッシュ:盲人と聾者における地図表象」が、発想として虚を突かれた感じで、面白く拝読しました。

散策(promenade)としてのディドロの絵画描写

 

『サロン評』でのディドロによる絵画の記述は、もちろんエクフラシスの伝統に則ったものである。と同時に、とりわけその対象が風景画である場合には、それは「テクストによる空想の散策」ともなる。例えばクロード=ジョセフ・ヴェルネの7枚の風景画について、ディドロは一人称の語り手が案内人の神父(ディドロはまた彼を mon cicerone とも呼んでいる)と対話しつつ、美しい風景の中を散策したときの報告という体裁で記述する。はじめに語り手は宣言する。

 

私の企図は、あなた方にその情景を描写してみせることだ。これらのタブロー には、それだけの価値があると思う。私の散策の同行者は、その土地の地形や、 それぞれの田園風景に適した時間帯[...]をよく知り抜いていた。まさしく、 その地方のチチェローネである。[...]さあ、私たちは出発した。私たちはお喋りをする。私たちは歩いて進む。 Mon projet est de vous les décrire, et j’espère que ces tableaux en vaudront bien d’autres. Mon compagnon de promenades connaissait supérieurement la topographie du pays, les heures favorables à chaque scène champêtre [...]. C’était le cicerone de la contrée. [...] Nous voilà partissic. Nous causons. Nous marchons.

(Diderot, Salons, vol. III, p. 99.)

 

「最初の場所」(=一枚目の絵)の描写は次のようなものだ。

 

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k23398g/f103.item

(つづく)

 

 

 

【メモ】活人画(tableau vivant)について

18世紀半ばには、フランスを中心に活人画が流行したという。西村清和は、この活人画ブームを、同時代のピグマリオン神話への関心や、古代彫刻に人工照明を当て生きているかのように見せる趣向の流行などとともに、「美的イリュージョニズム」としている。これは1750年代のモーゼス・メンデルスゾーンによる表現「美的イリュージョン」に因むもので、現実ではなく仮象、自然そのものではなくその模倣なのだという意識を持ちつつも、それに美的に幻惑され、錯覚を起こすような状態をもたらす。これは、現実と虚構の境界を無化するような「ゼウクシス的イリュージョニズム」とは峻別される。(西村清和『イメージの修辞学:ことばと形象の交叉』三元社、2009年、249-250ページ。)

 

西村はフリードリヒ・メルヒオール・グリム(ディドロの友人であり、彼のサロン評を掲載した『文芸通信(Correspondance littéraire)』の発行者でもある)による活人画の記述を紹介し、それはグリムにとって、美的な趣味を涵養する美的イリュージョニズムであったと結論づけている。

 

まず、タブローとおなじ舞台装置で背景を仕立てます。つぎに、めいめいがタブローに描かれた人物のうちのひとつの役割を選び、その衣装を身につけた上で、その人物の姿勢と表情を模倣します。これら場面の全体とすべての演じ手が画家が配したとおりに整えられ、その場の照明がしかるべく設定されると、観客となる人びとが呼びこまれ、タブローがそのように作られたその流儀についてそれぞれの意見を述べるのです。わたしとしては、こうした楽しみは趣味を、それもとりわけ青少年の趣味を形づくり、またかれらに、タブローに描かれたあらゆる種類の性格や情念が見せるもっとも繊細なニュアンスを把握することを教えるのにきわめてふさわしいものと考えます。《最愛の母親》[ディドロがサロン評で取り上げたグルーズの絵画La mère bien aimée]は、こうした遊びにとって魅力的な場面を提供するでしょう。(邦訳:西村『イメージの修辞学』250-251ページより。)

 

ここで興味を引くのは、「情念」や「性格」という語彙(ル・ブランとヴァールブルクを繋ぐ系譜上に位置づけうる)、それから「照明」がどうやら重要であったということだ。《ラス・メニーナス》活人画演習でも、一つの肝は「照明」であったことを思い出す。

 

グルーズの《最愛の母親》の図版や完成年については、モンペリエ第3大学のこちらのウェブページに掲載されている:La mère bien aimée - Greuze - Utpictura18

グルーズらしい芝居掛かった絵画で、活人画にはまさに御誂え向きだという気がする。