Au château d’Argol

 

シルトの岸辺 (岩波文庫)

シルトの岸辺 (岩波文庫)

 
アルゴールの城にて (岩波文庫)

アルゴールの城にて (岩波文庫)

 

最近、ジュリアン・グラックによるテクストの「建築性」のようなものについて考えている。「建築(architecture)」のような、人為的で明確な構造をもつものというよりは、岩山のような砦(その中の海図室)、全体が崩落しつつある廃墟の街、ヴェッツァノの入江の真っ白な断崖、岩と岩の隙間に穿たれた、洞窟にも(しかし頭上は開いている)地下室(クリプト)にも喩えられる空間(『シルトの岸辺』)、あるいはゴシック・ロマンスめいた城と森(『アルゴールの城にて』)といったもの。人工物が圧倒的な自然と融合しているような、明瞭な構造がむしろテクストの語りのなかで失われていくような空間である。

『シルトの岸辺』に登場する架空都市オルセンナはヴェネツィアを連想させるけれども、例えばカルヴィーノ『見えない都市』で語られる想像上のヴェネツィアの、杭の上に建てられたモンタージュ都市といった浮遊的な軽やかさ(作中では、マルコ・ポーロが語るたびに、要素が入れ替わってゆく)と比べると、はるかにずっと重々しくて、砦や洞窟や入江といった他のモティーフ、大地に穿たれた地下墓室(クリプト)的な空間と連続しているように思われる。

場所とテクスト、空間とテクストといえばプルーストがまず思い浮かぶが、しかしプルーストの空間の移動とある種の時間性が結びついたような要素は、グラックにはほとんど無いような気がする。

 

『アルゴールの城』白水社版に付された安藤元雄の訳者あとがきによれば、グラックのテクストは以下のような性質をもつという。

 

[…]グラックを真に彼自身たらしめているのは、何よりもまず、その特異な書法であるように私には思われる。というよりも、この書法そのものが作品の真の主題を担っているのだから、もはやそれは単なる修辞論や文体論の枠をはみ出して、むしろ話法論や物語論のレヴェルで検討さるべきものとなっているのではあるまいか。[…]これらのおびただしい比喩が決して単なる作者の恣意でないことは、「遊歩道」の章の終わり近く、アルベールがエルミニアンの容態を気遣いながら見る夢の記述の部分をひもとけば明らかになる。ここでは誰しも、このような書法がまさに夢の記述にふさわしい、必然的な性格のものであることを悟るだろう。とすれば、この物語全体が、一連の悪夢のようなものとして読まれていいのであり、そう読まれたとき、この特異な城館を舞台にした陰惨な物語が、恣意による弛緩どころか、むしろ宿命の避けがたい必然のもたらす緊張に満ちた、異様に澄み切ったものであることが見えてくるはずである。

 その緊張は、もの言わぬ自然のたたずまいと人間の営みとの間を、まるで稲妻のように最短距離で往復する直喩によって示される。言ってみれば、宿命のドラマを書法それ自体によって表現することこそ、グラックがこの作品を書いたときの本当の狙いだったのではあるまいか。

(訳者・安藤元雄による「解説」、上掲『アルゴールの城にて』194-195ページ。)