散策(promenade)としてのディドロの絵画描写

 

『サロン評』でのディドロによる絵画の記述は、もちろんエクフラシスの伝統に則ったものである。と同時に、とりわけその対象が風景画である場合には、それは「テクストによる空想の散策」ともなる。例えばクロード=ジョセフ・ヴェルネの7枚の風景画について、ディドロは一人称の語り手が案内人の神父(ディドロはまた彼を mon cicerone とも呼んでいる)と対話しつつ、美しい風景の中を散策したときの報告という体裁で記述する。はじめに語り手は宣言する。

 

私の企図は、あなた方にその情景を描写してみせることだ。これらのタブロー には、それだけの価値があると思う。私の散策の同行者は、その土地の地形や、 それぞれの田園風景に適した時間帯[...]をよく知り抜いていた。まさしく、 その地方のチチェローネである。[...]さあ、私たちは出発した。私たちはお喋りをする。私たちは歩いて進む。 Mon projet est de vous les décrire, et j’espère que ces tableaux en vaudront bien d’autres. Mon compagnon de promenades connaissait supérieurement la topographie du pays, les heures favorables à chaque scène champêtre [...]. C’était le cicerone de la contrée. [...] Nous voilà partissic. Nous causons. Nous marchons.

(Diderot, Salons, vol. III, p. 99.)

 

「最初の場所」(=一枚目の絵)の描写は次のようなものだ。

 

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k23398g/f103.item

(つづく)