【メモ】活人画(tableau vivant)について

18世紀半ばには、フランスを中心に活人画が流行したという。西村清和は、この活人画ブームを、同時代のピグマリオン神話への関心や、古代彫刻に人工照明を当て生きているかのように見せる趣向の流行などとともに、「美的イリュージョニズム」としている。これは1750年代のモーゼス・メンデルスゾーンによる表現「美的イリュージョン」に因むもので、現実ではなく仮象、自然そのものではなくその模倣なのだという意識を持ちつつも、それに美的に幻惑され、錯覚を起こすような状態をもたらす。これは、現実と虚構の境界を無化するような「ゼウクシス的イリュージョニズム」とは峻別される。(西村清和『イメージの修辞学:ことばと形象の交叉』三元社、2009年、249-250ページ。)

 

西村はフリードリヒ・メルヒオール・グリム(ディドロの友人であり、彼のサロン評を掲載した『文芸通信(Correspondance littéraire)』の発行者でもある)による活人画の記述を紹介し、それはグリムにとって、美的な趣味を涵養する美的イリュージョニズムであったと結論づけている。

 

まず、タブローとおなじ舞台装置で背景を仕立てます。つぎに、めいめいがタブローに描かれた人物のうちのひとつの役割を選び、その衣装を身につけた上で、その人物の姿勢と表情を模倣します。これら場面の全体とすべての演じ手が画家が配したとおりに整えられ、その場の照明がしかるべく設定されると、観客となる人びとが呼びこまれ、タブローがそのように作られたその流儀についてそれぞれの意見を述べるのです。わたしとしては、こうした楽しみは趣味を、それもとりわけ青少年の趣味を形づくり、またかれらに、タブローに描かれたあらゆる種類の性格や情念が見せるもっとも繊細なニュアンスを把握することを教えるのにきわめてふさわしいものと考えます。《最愛の母親》[ディドロがサロン評で取り上げたグルーズの絵画La mère bien aimée]は、こうした遊びにとって魅力的な場面を提供するでしょう。(邦訳:西村『イメージの修辞学』250-251ページより。)

 

ここで興味を引くのは、「情念」や「性格」という語彙(ル・ブランとヴァールブルクを繋ぐ系譜上に位置づけうる)、それから「照明」がどうやら重要であったということだ。《ラス・メニーナス》活人画演習でも、一つの肝は「照明」であったことを思い出す。

 

グルーズの《最愛の母親》の図版や完成年については、モンペリエ第3大学のこちらのウェブページに掲載されている:La mère bien aimée - Greuze - Utpictura18

グルーズらしい芝居掛かった絵画で、活人画にはまさに御誂え向きだという気がする。