月下の一群 (講談社文芸文庫)

月下の一群 (講談社文芸文庫)

  • 作者:堀口 大學
  • 発売日: 1996/02/09
  • メディア: 文庫
 

彼は机の前に坐つてゐた、
彼の夢想は甘やかに
ランプの光の輪の中に集まつてゐた、
彼は窓に来て突き当る
脆い吹雪の突貫をきいてゐた

(シャルル・ヴィルドラック「訪問」堀口大學訳、『月下の一群』所収、上掲書82ページ)

 夜、燈火の光、静かに思索に沈潜する時間。

 

蝋燭の焔 (1966年)

蝋燭の焔 (1966年)

 

夢想を呼び起すこの世にあるかぎりの物象のなかでも、焔は最大の映像作因のひとつである。焔は、われわれに想像することを強いる。焔の前で夢想しはじめる時、ひとが想像しているものから見れば、ひとが知覚しているものなどはなにものでもない。焔はその隠喩およびイマージュとしての価値を、このうえもなく多様な瞑想の領域にもっている。

バシュラール『蠟燭の焔』澁澤孝輔訳、現代思想社、1988年、7ページ。)

 

輪郭のかすんだ壁に囲まれ、中央に向かって引き締められ、ランプに照らされたテーブルの前に坐っている瞑想者のまわりに濃縮されたようなひとつの部屋。[…]孤独な仕事の真の空間とは、小さな部屋のランプに照らし出された輪のなかなのだ。

(同上、149-150ページ。)

 

黄昏が忍び寄るテーブルの上で僕は書く。生きているかのようなその胸の上にペンを強く押し付けると、胸は呻き、自分が生まれた森を思い出す。黒インクはその大きな翼を広げる。ランプは砕け散り、割れたガラスがケープとなって僕の言葉を覆う。僕は鋭い光の破片で右手を切る。影が湧き出るその切り口で僕は書き続ける。夜が部屋に入り込む、真向かいの塀はその石の唇を突き出す、大きな空気の塊がペンと紙の間に割り込んでくる。ああ、単音節語がひとつだけあれば、十分世界を吹き飛ばせるのに。けれど、今夜は単語もうひとつ分の余地がない。

オクタビオ・パス「詩人の仕事」、上掲書、26-27ページ。)

 

夜はその身体から時間を一つ、そしてもう一つ抜き出す。どれもが異なり、しかも厳かだ。葡萄、無花果、緩慢な暗黒の甘い雫。噴水、身体。廃墟の庭の石の間で、風がピアノを弾く。灯台は首を伸ばし、回転し、灯を消し、叫ぶ。一つの思考が曇らすガラス、柔らかさ、誘い、おお、夜よ、世界の中心で成長する樹から剥がれた、光り輝く広大な葉よ、

(パス「夜の散策」、上掲書、116ページ。)

 「夜想」という言葉には、静謐でメランコリックな甘美さがある。

 

心変わり (岩波文庫)

心変わり (岩波文庫)

 

この『心変わり』という小説でまず注目されるのは、主人公を二人称「きみ」――フランス語では"vous"――で呼んでいることである。おそらく小説の歴史のうえではたぶん前例のすくない(ヴァレリーラルボーの小説にいくらか似たものがあるらしい)この人物呼称は、実際、ひとびとの注意を惹き、この作品が1957年度のルノードー賞を受けたとき大きく問題視されて、ちょうどフランス文壇ジャーナリズムでにぎやかになりかけた《ヌーボー・ロマン》論議のなかでひとつの中心となったほどである。

[…]

ビュトールは受賞当時のあるインタヴュー記事のなかで、二人称呼称についてこう語っている。

 「物語がある人物の視点から語られることがぜひとも必要でした。その人物がある事態をしだいに意識してゆく過程が主題となるのですから、その人物は《わたし》と語ってはなりません。その作中人物そのひとの下部にある内的独白、一人称と三人称の中間の形式にある内的独白が、わたしに必要だった。この《きみ》という呼称のおかげで、わたしには、その人物の置かれている位置と、その人物の内部で言語が生まれてくるときの仕方のふたつを描くことが可能となるのです」(『フィガロ・リテレール』紙、1957年12月7日)

(訳者清水徹による解説、上掲書464-466ページ。)

 

語り手が主人公に二人称で語りかける小説の系譜として、ビュトール『心変わり』原著が1957年、ペレック『眠る男』(小説)は1967年。ペレックの方が10年も遅いのか。ロブ=グリエ脚本の『去年マリエンバードで』も、男性が女性に向かって「あなた(vous)」と語りかけるナレーションが延々と続くが、こちらは映画作品の公開が1961年(脚本はもっと前から用意されていたはず)。ただしこれは厳密には「語り手が二人称を用いる」ものではない。

日本語で書かれた小説で、語りが二人称のものはあるのだろうか? 「あなた」や「君」は基本的に翻訳語で、日常会話では滅多に用いられないから(「〇〇ちゃん」だとか「先生」だとか、三人称的な呼称を二人称に流用するのが普通だろう)、かなり不自然な文章にならざるを得ないと思うが。

卒業生と新入生に送りたい言葉

夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなく、友の足音だ、ということを、ぼくは身にしみて経験している。ぼくらは夜のさなかにいる。

ヴァルター・ベンヤミンヴァルター・ベンヤミン著作集14 書簡1』野村修編集解説、晶文社、1972年、76-77ページ。 )

 

周辺性という状態は、無責任で軽佻浮薄なものとみられがちだが、しかし周辺性はまた、ふだんの生活や仕事において、たえず他人の顔色をうかがいながらことをすすめたり和を乱さないかと心配したり同じ集団の仲間に迷惑をかけないよう気を配る生きかたから、あなた自身を解放してくれる。[…]わたしがいいたいのは、知識人が、現実の亡命者と同じように、あくまでも周辺的存在でありつづけ飼い馴らされないでいることは、とりもなおさず知識人が君主よりも旅人の声に鋭敏に耳を傾けることであり、慣習的なものより一時的であやういものに鋭敏に反応することであり、上から権威づけられてあたえられた現状よりも、革新と実験のほうに心をひらくことなのだ。漂泊の[傍点]知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動きつづけること、けっして立ち止まらないことなのである。
エドワード・W・サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1998年、109-110ページ。) 

 

 2020年2月20〜21日ベルリン滞在。「シークエンシャルな語り」「空間と記憶」をテーマに建築巡りを行う。

2月20日:クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション《失われた家(Missing House)》、街路に埋め込まれた「躓きの石」、博物館島からとりわけドイツ新古典主義を代表する旧博物館、そしてダニエル・リベスキンドのベルリン・ユダヤ博物館へ。

2月21日:ピーター・アイゼンマンの《虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑》(通称:ホロコースト記念碑)、その近隣にあったElmgreen & Dragset《ナチスに迫害された同性愛者の記念碑》、Karavan(イスラエルの芸術家だという)《ナチスに虐殺されたシンティ・ロマの記念碑》、ティーガルテンベンヤミンのように彷徨い歩き、ハンス・シャロウン設計のベルリン・フィルハーモニーホール、同じくシャロウンによるベルリン州立図書館(共に金曜午後のツアーガイドに申し込み)、残った時間で絵画館(Gemäldegalerie)へ。

順次写真をあげてゆきます。

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ローマのパンテオン(2008年8月撮影)と、それに倣ったというシンケル設計ベルリン旧博物館(Altes Museum)のドーム。
 

クロソウスキー象形文字としての「ステレオタイプ

事実、私は筆跡学から能書術、というかむしろ象形文字学へ移ったのです。私は絵を象形文字として扱っているわけです。[…]私が従う或る種のステレオタイプがあり、拒絶する別のステレオタイプがある。絶えざる自己批判です。私が出発したのは壁画、そこに含まれる演劇性、スペクタクル的な側面をひっくるめて、壁画という理念からでした。私は自分が仕事をしているのは壁面の上で、つまりその垂直性との関係においてなのであって、一冊の本を差し出すように差し出すこともできるようなイメージから出発してなのではないということを、かたときも忘れたことはありません。

 (クロソウスキー「アラン・アルノーとの対話」、『ルサンブランス』154ページ(引用部分はクロソウスキーの発言)。)

 

 

 

【メモ書き】テクストの「挿絵(illustration)」と映画化(映像への翻訳あるいは「翻案」)

ギュスターヴ・フローベールは自らの小説に挿画を入れることを許さなかったという。「[フローベールは]文章以外の手段によって小説が「見える」ようになることを拒んでいた          [1]」。しかし、フローベールの『ボヴァリー夫人』はたびたび映画化される(されてしまう)。「その意志を映画は平然と踏みにじる          [2]」。ジャン・ルノワールヴィンセント・ミネリソクーロフ…… 

          [1]野崎『夢の共有』112ページ。

          [2]同上。

夢の共有――文学と翻訳と映画のはざまで

夢の共有――文学と翻訳と映画のはざまで

 

 

【思考の屑篭】クロソウスキーと活人画:テクスト、タブロー、映画

 

情念定型に通じる手法を二十世紀において意識的に実践したのが、ピエール・クロソフスキーであった。彼の絵画ではエロティックな主題に関わる特定のポーズが執拗に反復される。クロソフスキーは自分のデッサンを「パトスを見、かつ自分に見えるように差し出す一つの仕方」と呼んでいる。絵画とは彼にとって、画家のオブセッションを祓いかつ伝達する、「パトスの顕現パトファニー[ルビ:パトファニー]」にほかならない。そのようなものとして、クロソフスキーの妻ロベルトの似姿=類似ルサンブランス[ルビ:ルサンブランス]は、タブローからタブローへと反復され増殖する。        [1]

        [1]田中『政治の美学』35ページ。

政治の美学―権力と表象

政治の美学―権力と表象

 

 

【メモ書き】安部公房勅使河原宏:文学と映画

映画版『燃えつきた地図』(勅使河原宏監督、安部公房原作・脚本、1968年公開)では、ヌード専門のフォトスタジオに主人公たちが入った後のシーンで、室内のヌードモデルの女性たちの態様を捉えた映像が、静止画像の3連続で映し出される。このストップ・モーションのシーンはそのまま、原作小説と映画に共通するライトモティーフ「写真」に繋がっている。それはアルバムの写真(家族や夫婦の関係を映し出すポートレート)であり、窃視と接触への欲望の眼差しを体現したヌード写真であり、あるいは主人公の探偵が持ち歩く、失踪した男の肖像写真である。原作の小説では、失踪した男(作中では「彼」と呼ばれている)の写真とヌード写真のうちの一枚を、語り手の探偵がつぶさに眺める描写がある。やや長いが引用しておこう。

[…]枕元に「彼」の写真と、田代君から受取ったヌード写真のうちで、特徴はないが女の生理的表情を一番よく現している一枚を選び出し、並べて置いて、ウィスキーの小瓶を瓶ごと舐めながら、その二枚の写真の関係に、全神経を集中させてみる。

 左右の均衡がわずかに破れた、熱中型のタイプを思わせる、やや面長の男。顔の表面がざらついて見えるのは、実際の肌の凹凸よりも、色むらのせいではあるまいか。アレルギーを起こしやすい体質らしい。右眼は強く、意志的な感じだが、左眼は眼尻が下り、眼瞼にもたるみが目立ち、犬の一種を思わせる哀しげな表情。薄くて長い鼻も、やや左に彎曲している。定規でひいたような、ほとんど一直線の唇の合わせめ。上唇は薄く、神経質だが、下唇はゆたかに、穏和である。左端にちょっぴり髭の剃り残し。これまでは、もっぱら実務家肌の印象が強かったのだが、今夜は気のせいか、それにちょっぴり夢想家的な陰影が付け加えられている。なんの敵意も、抵抗も感じないが、この男が実際の姿を現わし、人間としてぼくに口をきくことがありうるなどとは、とうてい信じられないことだ。最初から、陰画紙の上の映像として生まれついて来たような、いまの状態がいちばんよく似合う顔立ち。背景には斜めに走る、ぼやけた光の線。薄日を受けて光っている建物の部分のようでもあるし、高架式の有料道路のようでもある。

 もう一枚は、床も背景も、黒一色の中に置かれた、巨大な肌色の果物のような女の腰。巨大といっても、画面いっぱいにひろがっているというだけで、その腰自体は、むしろ小柄な感じである。この形は何かを想像させる。そうだ、枇杷の実……形が狂った、うらなりの枇杷……枇杷洋梨の合の子……色は、床の敷物が純粋な黒ではないためだろう、下半分がやや緑をおびた透明な半球……下から深いくびれがまわり込み、腰椎の先端のふくらみで終わっている。くびれの中は、焦茶の色素でくっきりと色分けされ、粘膜のような湿りをおびている。上半分は、淡い朱色を微かに刷いた不透明な白……その不透明さは、たぶん産毛のせいで、白も産毛による乱反射なのかもしれない。と言うのは、強く前かがみの姿勢をとっているために、砂に埋まった古墳群のように並んでいる、背骨の突起の、ある角度から見た斜面だけが、磨ぎ出した地肌のように、焦がした麦粉の色なのだ。そして、その色が、変にぼくをこだわらせる・

 見えないほど細く柔らかな、極上品のベルベットのような産毛……心もち茶系統がまじった、きめの細かい少年のような肌……むろん、最高の技術をもってしても、現在のカラー写真が、色調を完全に再現することはありえない。     

安部公房「燃えつきた地図」(1967年)、『安部公房全集』第21巻、新潮社、1999年、281-282ページ)

 

この部分は、テクストにおける擬似的なクロースアップと言ってもよい。他方で映画版『燃えつきた地図』の対応するシーンでは、女性の臀部をアップにした写真は一瞬映し出されるのみであり、男性の顔写真はやや長く画面に映るが、小説の描写のような粘着質の持続はない。この映画の「写真的な部分」はむしろ、ヌード写真スタジオに主人公が入った直後のシーンで頻用される、ストップ・モーションにこそ存在しているであろう。

 

勅使河原の映画は、たとえば流動する水や砂のショットと人間の身体を重ねていき、単一的な主体性を崩壊させるイメージを出現させることに成功している。彼のモンタージュは、自然と人工、生物と無機物、固定的なものと流動的なもの、捕らえる者と囚われる者、観察する側と観察される側、追跡者と失踪者といった基本的な区分を解除し、日常的な意味の世界が成立している人間世界の秩序を攪乱して見せるのである。また、安部は小説に「言語のモンタージュ」とも呼ぶべき手法を取り入れており、表層的な物語を構築する語彙体系の水準で、メビウスの輪のようにひと続きに反転していく未知の現実世界をイメージさせる。   

(友田『戦後前衛映画と文学』92ページ。)

戦後前衛映画と文学: 安部公房×勅使河原宏

戦後前衛映画と文学: 安部公房×勅使河原宏

 

 

ドーピングの哲学: タブー視からの脱却

ドーピングの哲学: タブー視からの脱却

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2017/10/31
  • メディア: 単行本
 

 スポーツと「健康」の両義的関係と身体の近代

いったい競技スポーツはいつから「健康」とたもとを分かってしまったのだろうか。[イザベル・]クヴァルはその発端を、「スポーツ」と「体育」とが分離を始めた二十世紀初頭に見出す。心身の健康の促進を目指す近代的な「体育」は、十八世紀の啓蒙思想の発明品であり、フランスでは「体育」(éducation physique)の語は医師ジャック・バレクセールが一七六二年に刊行した書物にまで遡るとされる。クヴァルの言うように、「スポーツは、まずは教育的なプロジェクトとして出現した」。この体育が、古典的な体操から別れて、貴族的・軍事的な価値ではなく、「自己の超越」というブルジョワ的な価値を追求し始めたときに、スポーツが体育から分離して、独自の発展を遂げるための萌芽が生まれる。絶えず事故を超越し、「より速く、より高く、より強く」(citius, altius, fortius)を目指す、近代的な競技スポーツの出現である。

(訳者解説、上掲書298ページ。)