締切仕事2本が未だ終わっていないけれど、よく晴れた冬の日の今日はワタリウム美術館の「磯崎新 12×5=60」展(http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html)、それからトラウマリスで開催中の「片山真理展 You're Mine」(http://traumaris.jp/space/)へ。


磯崎新展では、映画『他人の顔』の空間美術についての、磯崎氏と勅使河原監督のコンセプトを知ることができたのが思いがけない収穫だった。主人公の男が「他人の顔」を作ってもらう、精神科医の診察室のあの独特な空間は、天上も床も壁も無くし、しかし開放的というのではなく、重みも影も存在しないようなものを目指したという。「カメラを正面に据えることで奥行き感覚をなくす」だとか、「突然外部が侵入する場としてのドア」だとか、映画内の空間を考える上で示唆的なフレーズが並ぶ。(磯崎新年代記的ノート 1965-1966」『建築』1967年4月号、94ページ。「」内はその場で取ったメモに基づくもので、正確な引用ではない。)

原寸大レプリカの設置された鳥小屋(トリーハウス)は、ドゴン族の梯子のような、丸太に刻み目を入れただけの急な階段で3メートル程度の高さを上り下りする仕組み。上りはつい調子良く駆け上がってしまい、2階の室内に入った後で自分が高所恐怖症だったことを思い出して、改めて腰を抜かす(腰を抜かしながら、『Inogo Jones on Palladio』の説明書きをメモしたり、蔵書を逐一チェックしたりして心を落ち着ける。ミース・ファン・デル・ローエ関連多し)。下りはたいそう恐ろしかった。恐ろしすぎて身体感覚がフル覚醒したのか、何処にあるのか不確かだった自分の身体が戻ってきたような感覚を味わう。ともかくこのトリーハウス、パリのノートル・ダム、バルセロナサグラダ・ファミリア、ミラノのドゥオモに続く、私にとっての「腰抜かし高層建築」となった。

『Inogo Jones on Palladio』と「井上有一臨 『顔氏家廟碑』」についての、磯崎氏の記述。

本文と〈余白〉の書き込みの関係は、本文を〈引用〉へと変換し、包含関係を逆転した、共時的な織物[テクスチャー]の集積に増幅する手法です。

マリリン・モンローのグラヴィア写真の身体カーヴから取り出した曲線を、「雲形定規」として定型化するプロジェクト「マリリン・オン・ザ・ライン」も、情報化された現代の時空間への、イニゴ・ジョーンズや井上有一が書物や書に行なったのと同様の「書き込み」ないし「転写」であるとのこと。

「マリリン・オン・ザ・ライン」に関して。建築のアントロポモルフィズムは基本的には、抽象的な男性身体を基準とすることが多いけれども、マリリン・モンローという個別具体的な肉体を持った女性の、その身体の曲線を抽出するという発想が面白い。このマリリン曲線を用いて作られた椅子は、座る者の身体には合わないかもしれない、と磯崎氏はいう。あまりにも個人的な「ヒューマンスケール」に基づく家具は、不特定多数の他の身体に対しては「ユニヴァーサル・デザイン」ではないということか。

篠山紀信とコラボレイトした「建築行脚」シリーズのコンセプトは、「女性の肢体を撮るように建築を撮れないか」というものであったとか。確かに、ある種の建築表象(図面、絵画、写真、映画……)は建築物をあたかも肉体のように(あるいは屍体のように)、何らかの欲望の眼差しを潜在させつつ映しているように思う。


その後は恵比寿のトラウマリスへ。作者の片山真理とほぼ同寸と思われるレザー製の人形(顔はミラー付きの鏡、ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》みたいなポーズで横たわる)、おそらく自身の部屋にあったと思われる小箱と大量の薔薇のドライフラワー、フェイクパールをあしらったインスタレーション(少しボルタンスキーを連想した、文脈の分からない事物が観る者に想起させる、虚構かもしれない記憶のようなもの)、ビーズやスパンコール、スパイスやお菓子をオイル漬けしたガラス壜、そして彼女の日常をモノクロで切り取った、親密だけれど静謐な雰囲気のする写真……

「身体とその人工的補綴物」だとか「身体とテクノロジーの接続としてのサイボーグ」だとか、彼女の表現やその身体性を抽象化して語る言葉は色々あるのかもしれないが、私は彼女の作品を見るといつも、「他の誰でもない片山真理がそこにいる」という感覚に、涙が出そうになるのである。「私の身体をどうするのか」という表現は、フェミニズム・アートの文脈では定石になっているけれども、彼女は過剰に気負ったりすることなく、「女の子の寝室」といった雰囲気のスイートさ、一人の女としての色っぽさ、そういうものを大切にしている感じが心懐かしい。

    

以下は、ギャラリーのテーブル上にあったカタログ収録の片山氏自身によるテクストから、眼を惹かれた部分の抜粋。

私は義足を通して、廊下を感じることが出来ました。それ以降、私は土の感じも、コンクリートの上の砂埃も感じることが出来ます。義足は私の足になったようです。[…]と、同時に、義足を、装う『靴』としてみることができるようになりました。[…]『義足』だけではない物を私は発表します。私は障害者です、といった自動自己申告の役割だけでなく、人体の一部としてや、装飾品としての面をもつ、無限な表現の可能性をもったものを。眼鏡がそれに似ていますが、義足はそんなに流通しないでしょう。しかし、眼鏡のような感覚になってもいいんじゃないかと思います。
(群馬青年ビエンナーレ2005 エントリー文より)

私は高いところのものを取るとき、ダンボールと、ゴーギャン村上華岳、土田麦僊、萬鉄五郎熊谷守一の画集、ジーニアスの英和辞典を積み重ねて、そこに右足の切断面を乗っけて、一瞬だけヒョイと立つのです。そして目当てのものを取るのです。その時、ダンボールと、ゴーギャン村上華岳、土田麦僊、萬鉄五郎熊谷守一の画集、ジーニアスの英和辞典は私の足になるのです。
(《I have legs》2006年の作品写真に添えられた文章、当時のBlogより)