未来の自分自身に向けた覚え書き

大伽藍

大伽藍

【色彩】

こうして、画面に横溢するあの高名な青は、玉座の両側にわたってほとんど同一の様式で、階梯状に、互いに対になりながら規則的に構築されている。しかもこの青、襞の部分を辛くも白で強調された衣服の全般にわたって拡がっている青は、異様に晴朗な青、未聞の無邪気さに満ちた青なのだ。(107ページ)

アンジェリコの薔薇色は軽やかとも言いがたく、天衣無縫とも称しがたい。濁った、水で洗った血の色、絹絆創膏の色だ。酒糟色でなければ幸いというところである。例としてはキリストの衣の袖口に見られる色をあげよう。聖人たちの頬の色となると、一層この薔薇色が重苦しい。いわば砂糖菓子の衣の色、卵入り捏粉に混ぜた木苺のシロップの色である。(109ページ)

その日は太陽が輝いていて、三箇の十二世紀のステンドグラスは常にもまして燦然としていた。[…]一切が宝石の、火花のきらめきである。ざわめき立つ青色の火の海である。この青はアブラハムのふりかざす剣の背景をなす、この空の青よりもまた一段と明るい。この薄い、清澄な青は、火をつけたポンス酒の炎か、燃える硫黄の粉末か、また、サファイアの放つ光輝かと紛う色だが、ここにサファイアと言ってもまだ若いサファイア、身を震わせる生娘のサファイアの色だ。(265-266ページ)

問題なのは、とデュルタルは、にわかに別種の想念に飛躍しつつ呟いた、この大伽藍が、その肌を最後まで汚されずにすんだのか、あるいはまた、十三世紀になってからやはり絵具をこてこてと塗られたのか、ということだ。ある種の人々は、中世にあってはすべての伽藍は彩色されていたと主張する。ロマネスク様式の教会堂についてはこの意見も当てはまるかも知れぬ、だがゴシックの教会に関してはどうなのだろう。いずれにせよ私としては、シャルトルの教会堂が、[…]我慢のならぬ色に塗りたくられたとは考えたくない。[…]というのも、そんな風に入墨をしてしまっては空間を狭める結果となろうし、穹窿を低め、列柱を見るからに鈍重なものにしてしまうだろうからだ。(282ページ)

【書物としての大聖堂】

しかし、と突然デュルタルはひとりごちた、もし私の説が正しいとすると、それだけでカトリシズムの全域を象徴できる建築、旧約と新約とを総合した「聖書」を代表する建築は、尖頭式ロマネスク、あるいは、なかばロマネスク様式、なかばゴシック様式の過渡的建築ということになろう。何ということだ、とデュルタルは呟いた。まったく予期しなかった結論に到達してしまったのである。そうした対応関係は、何も強いてただ一箇の教会堂の中に求められる必要もないのではないか。「聖書」が全一冊にまとめられる必要もないのと同様に。このシャルトルの教会でも、たしかに書物は別々の二巻本になってはいるが、作品はみごとに総合されているではないか。なぜなら、ゴシック様式の伽藍を下から支えているのは、まさにロマネスク様式の地下祭室なのだから。(40ページ)
結局は、とデュルタルはふたつの塔にはさまれた扉口、西正面の王の扉口の前に来た時呟いた、結局はこの壮大な、総計七百十九箇の彫像を持つ羊皮紙、文字の下に実は更に消されてしまった古い文字の眠っているこの伽藍の羊皮紙も、ビュルトオ神父が伽藍研究に当って用いた鍵を使えば、たやすく解読することができるはずだ。(142ページ)

【思弁の場としての地下室、あるいは墓】

ジュヴルザン神父の部屋は小さかった。新しい安物の壁紙を張りめぐらし、床には赤いタイルを敷いたこの部屋は、何となく墓穴の匂いがした。それも道理と思われるのは、この建物が伽藍の蔭になっていて、陽はまったく差さず、壁は乾く間もなく、羽目の下のあたりでは崩れて赤砂糖のようになり、徐々に凍てついたワニスのような地面に粉末となってこぼれてゆくのである。(43ページ)

【聖堂のアントロポモルフィズム】
ウィトルウィウス以来の擬人体主義は、健康な成人男性の身体を前提としているが、ユイスマンスにおいては擬-屍体主義ともいうべきアントロポモルフィズムが展開されている。

…神父は、シャルトル大聖堂の内部全体を示す身振をしながら言った。
「イエスは死んでいます。すなわち、その頭蓋は祭壇、伸ばした腕は翼廊の二本の道、釘を打たれた両手は翼廊のふたつの扉です。下肢は現に私たちのいるこの身廊、釘で穴を穿たれた足は、さきほど私たちの入ってきた玄関口です。さて、よく見て下さい、この教会の軸線は計画的に偏らされているのです。つまりそれは、刑架の上でくずおれた肉体の姿勢をそのままに模しています。ランス大聖堂のようないくつかの伽藍では、身廊に比較して中央祭壇と内陣とが狭く押しつめられていて、息を引き取った後、肩の上にがっくりと落ちた頭と頸とを一層みごとに写しております。[…]時としては建築家が、救世主の遺骸のかわりに、その教会自身の名の由来する殉教者の遺骸を模したこともあるようです。[…]仮にこの説を採るとすると、たとえばサン・サヴァン教会のねじ曲がった軸線に、この教会の守護聖人、聖サヴァンの肉体を打ち砕いた車輪の軌跡を読み取ることも不可能ではないでしょう。(88ページ)

(この部分の後には、軸線のカーヴによって「ぐらぐらと動く身体」を模した教会堂の例が列挙される。)

【不完全な身体としての大聖堂】

狭くて息苦しいあの[ボオヴェ大聖堂の]中央祭壇から後陣のあたりでは、柱は互いに触れあいそうで、光線は全面ガラス張りの壁面にシャボン玉のように虹色にきらめいて、入ったとたんに人々を茫然たらしめます。何か妙な不安に襲われ、一種の悪い予感と内心の動揺とを感ずるのです。掛値のないところ、あの聖堂は健康でぴちぴちしているというわけにはまいりませんね。生きてゆくのにいろいろと術策を講じたり、支柱を求めたりせねばならぬという感じです。繊細たらんと欲してこれを得ずというところでしょうか、一生懸命背伸びをしてもすらりとした姿態にはほど遠いのです。どう言ったらいいか、つまり、骨が太いんですね。[…]そうです、ボオヴェの伽藍は、結論的に言えばランスやパリと同様に脂肪肥りの伽藍なのです。アミアンの聖堂、いや別してシャルトルの聖堂の持つ、卓越した瘠躯も、永遠の青年期の若々しい姿態をも持ってはいないのです。(95-96ページ)

【表層のマティエールへの注視】

デュルタルは、もう一度近々と寄って、その微細な付帯物を、取るに足りぬほどの細部を仔細に眺め、更に一層の近くから女王たちの衣裳を検討してみた。[…]あるものは急激に深い襞を刻むことなく、かすかな水面の震えのように縦に走り、あるものはまた平行線を描きつつ下に流れ、アンゼリカの茎のようにやや浮彫になって細かいギャザーを形づくる。石という硬い材質が素直に衣裳方の意に従って、縮織や綿入りの麻織、亜麻糸などを彫られる時にはしなやかに、錦や金襴の時には重々しくなる。(160ページ)

【付属物への眼差し】(シャルトルのファサード彫刻)

こまごまとした付属的部分が、何と丹念に刻まれていることでしょう。このサンダル、この手套、この盛装の肩衣、それにこの白衣、腕帛、ダルマチカ、六箇の十字架を刻印したパリウム、この三重冠、金を織りこんだ絹の円錐形の法王冠、それにこの胸牌、何というみごとな仕上げでしょう。どれもこれも、まるで彫金師の手になるように、打出し細工が、斜子模様が施されているではありませんか。(201ページ)