皮膚と痕跡、というか、写真についての言説。ソンタグの『写真論』からの引用もしくは再引用。

写真論

写真論

ナダールは1900年、長い人生の終わりに出版した回顧録の中で、バルザックも写真を撮られることに同じような「漠然とした不安」をもっていたと伝えている。彼の釈明はナダールによれば次のようなものであった。

人はみな自然状態では一連の幽霊の影像を無限に重ね合わせ、限りなく薄い膜に覆われたもので出来ている……人間は決して想像は能わなかった、つまり幽霊から、なにか手に触れることの出来ないものから、なにか実体のあるものを作ること、無から物を作ることは出来なかった――ダゲールの操作は故にそれぞれ焦点を合わせた体の層の一枚を摑み、剥がし、使い果たすことであった

ソンタグ『写真論』160-161ページ。)

1850年ドラクロワは彼の『日記』にケンブリッジでおこなわれたある「写真術の実験」の成功を書き留めた。そこでは天文学者たちが太陽と月を撮影し、織女星の針の頭ほどの痕跡をえようとしていた。彼は次のような「珍らしい」所見を書き加えた。

ダゲレオタイプに写された星の光はそれと地球を隔てる空間を横切るのに20年を要したが故に、感光板に定着された光線は従って、我々が只今此の光を支配できた方法をダゲールが発見する遥か以前に天球を発していたのである。

同時に、パスカルがはじめてそういったときのこと、研究室で彼女がそう繰り返していたときのこと、すでに、すでに[パスカル・オジエの死後、デリダとその学生たちの前でテキサスで『ゴースト・ダンス』が上映されたときよりも以前に]、この幽霊性が作動していたことを、私は知っているのです。彼女はすでにいて、彼女はすでにそういっていて、そして彼女もわたしたちのように、たとえ彼女がその間死んでいなくても、ある日「わたしは死んだ」というのは死者であろうことを知っていたのです。すなわち、「わたしは死んでいる、なにを話したらよいのか、どこから来たのかわたしは知らないでいて、そしてあなたを見つめている」という死者です。さらに、この凝視はあらゆる可能な交換の彼岸で、非対称的なものであり続け、つまりアイ・ラインなきアイ・ライン、無限の夜のなかで、他者、自己の他者、自己の対峙、他の重なる視線を見定めて老い続ける眼差しのアイ・ラインそのままであるのです。
(上掲書、191ページ。)

ソンタグ『写真論』159ページ。)