リルケ『マルテの手記』の廃墟描写
- 作者: リルケ,大山定一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1953/06/12
- メディア: 文庫
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それから、あんな家があるといったら、果たして誰が僕を信じるだろうか。[…]果たしてあれが、家というものだろうか。間違いのないようにいえば、もはや家の姿を失ってしまった家である。上から下まで、まるでめちゃくちゃにこわしたあとのようであった。仮にも家と名づけられるのは、すぐ隣に並んでいる高い家々でなければならぬ。それは、壁ぎわまで容赦なく打ちくずされてしまったので、今にも倒壊しそうな危なげな家に見えた。高いペンキ塗りの柱の骨組だけが、船のマストのように、塵芥だめのような地盤と裸にされた外壁の間に傾きかかって立っているのだ。しかも、わずかに残されている外壁というのが、はなはだ曰くのある壁だった。それはかつてあった家(そうとでも考えるほかに仕方がないのだ)の外側の壁ではなくて、すでに外側の部分はきれいに剥げ落ちてしまっていた。家の中は見通しだった。どの階も、どの階も、部屋の壁がまる見えになっていた。やっと壁に張った布が残っているだけだ。ところどころ、床や天井などが、わずかにその残骸をのこしていた。部屋を区切っている壁のすぐ横には、外壁に沿うて、汚くよごれた白い空間がはさまり、便所のむきだしの銹びた導管が、気味悪げな、なが虫のくねるような、動物の腹わたのような形に這っている。ガス管のあとが天井の片隅に灰色の埃だらけな穴になって残っているし、方々のガス管がとてつもないところでくるりと輪を作り、色のはげおちた壁を突き抜いている。そして、壁の穴が黒々と、おそろしく乱暴にあけてあったりした。しかし、いちばん忘れがたい印象はやはり壁そのものだった。これら幾つかの部屋部屋のしぶとい生活は、あくまで頑固に強く持ちこたえている。生活はいくら叩き殺しても死にそうに見えなかった。必死に、わずかに残った爪で、しがみついているらしかった。ひと塊の残された床の上にも、まだ生活がへばりついているのだ。あるかないかわからぬような片隅の突角に生活がはいりこんでいる。壁の色にまで、そういう生活のしぶとさが現れていた。青い色は黴の生えた緑に、緑は灰色に、黄色は古ぼけた腐った白色に、壁はそうして徐々に、一年一年と変化し朽ちてきたのだ。鏡や肖像画や戸棚などの陰になって、少しはまだ新しく見えている壁にさえ、同じような年月の変化が見えた。そこには、さまざまの違った形が重なりあい、下手な絵の輪郭のように、幾度も幾度も描き直された線が残っている。道具の陰とはいえ、やはり蜘蛛の巣や埃でひどくよごれていた。急にそれが明るみに出されたのだ。はぎとられた嵌めこみの板壁。壁に張った布。床ぎわの末端が湿ってこさえたふくらみ。ずたずたに切れた襤褸きれ。もうだいぶ昔にできたらしい。汚い汚染。隔壁のこわれたあとが帯のように残っていて、一つ一つの区切られた壁。かつて青や緑や黄などの壁布が張ってあったところには、これら生活から立上る煙のようなものが漂うていた。[中略:ここでは廃屋に漂う瘴気から、生活と住人から漂う様々な臭いが描写され、そして家々を通り抜けつつも町から外に出ることのない風に話題が映る]――外壁という外壁は、最後の一重だけ残して、みんなうちこわされてしまっている、と僕はすでに書いておいたはずだ。僕はこの外壁のことばかり書き続けている。きっと人々は僕がずいぶん長い間ぼんやり家の前に立っていたと思うだろう。しかし本当は、僕はそんな落ちくずれた壁をみると、足が自然に走るように急ぎ出していた。一目で、なんとも言いようのない恐ろしさを感じたのだ。僕は一度にすべてがわかってしまった。落莫たるすがれた風物は、一度に僕の心に飛びこんで来た。それはむしろ、そのまま僕の心の内的風景であるかもしれなかった。
(上掲書、56-59ページ。)
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