黒沢清デヴィッド・リンチの映画を見ていてふと思ったこと。「映画内空間とカーテン」というのは結構面白いテーマなのではないか。二つの空間の間を区切りつつ、壁ほど堅固でなく窓のように透明でもなく、しかし扉より曖昧で、波打つ柔らかさと運動性があり、向こう側を覆い隠しつつも、何者かが通過してくる予感を持たせる。壁とも開口部とも違って、「建築」の部分には含まれていない。「絵画とカーテン」というテーマであれば、ヴォルフガング・ケンプ(『レンブラント『聖家族』―描かれたカーテンの内と外』)やストイキツァ(『絵画の自意識―初期近代におけるタブローの誕生』)による言及があるが、動画内のカーテンだとまた違う問題系に接続するのではないか。静止画でもできる(動画であることが必然性を持たない)ような空間分析ではなくて、ストーリー展開の中で担う役割(ほとんどが「サスペンス」や「予兆」の提供なのではないかと思うが)も含めた上での、カーテンというモティーフの分析。

という話をTwitterに書いたら、松浦寿輝『映画1+1』に映画におけるカーテンの話が登場する、というご指摘をいただく。M.A.ドーン『欲望への欲望―1940年代の女性映画』の「映画内での階段と女性」の話と合わせて、図書館でチェックして来よう。

映画 1+1

映画 1+1

レンブラント『聖家族』―描かれたカーテンの内と外 (作品とコンテクストSeries)

レンブラント『聖家族』―描かれたカーテンの内と外 (作品とコンテクストSeries)

絵画の自意識―初期近代におけるタブローの誕生

絵画の自意識―初期近代におけるタブローの誕生

欲望への欲望―1940年代の女性映画

欲望への欲望―1940年代の女性映画