ソドム百二十日 (河出文庫)

ソドム百二十日 (河出文庫)

一般的な意味での「旅行記」には該当しないだろうが、隔絶された場所に一種のユートピアが見出される点、そして「語り」に視点移動があるという点では、先述の『ユートピア』や『太陽の都』、『ガリバー旅行記』、『ロビンソン・クルーソー』などの系譜に繋がるものがあるだろう。
形状:幾重もの自然の障壁(登攀は困難を極める高い山、大地の亀裂、垂直の岩壁)、さらに外壁と深い堀に囲まれた、人里離れた城館(閉鎖空間)が舞台となる。
語り:全景を見渡す視点に立つ、第三者による語り。物語の舞台であるデュルセの城館に至るまでの臨場感ある風景描写は、旅行記ディスクールと共通しているように思われる。

ひとたびこの城門が閉まると、シリング城と呼ばれたデュルセの城館に足を踏み入れることがいかに困難となるかは、以下の描写によって如実にごろうじあられたい。
炭焼き部落を過ぎると、まずサン・ベルナール峰と同じくらい高い山をよじ登らなければならない。[…]こうしてたっぷり5分かかって、ようやく山頂に達すると、またしても新たな奇観が目の前にあらわれる。
(上掲書69-70ページ)
Dans le fait, la description suivante va faire voire combien, cette porte bien close, il devenait difficile de pouvoir parvenir à Silling, nom du château de Durcet. Dès qu'on avait passé la charbonnerie, on commençait à escalader une montagne presque aussi haute que le mont Saint-Bernard et d'un abord infiniment plus difficile, car il n'est possible de parvenir au sommet qu'à pied.[…] Il faut près de cinq grosses heures pour parvenir à la cime de la montagne, laquelle offre là une autre espèce de singularité[…]
(Sade, "Les cent vingt journèes de Sodome ou l'école du libértinage", dans Œuvre I, Paris:Gallimard, 1990, p.54.)

この後には、デュルセの城館についての綿密な描写が続く。同著者による『イタリア紀行』では、建築物や美術品ギャラリーが、まるで死後競売の品物リストのように、粘着的な緻密さと羅列癖でもって描写されている。快楽と悪徳の場を描き出す際のサドの文体は、彼自身による旅行記のものと類似している。この部分の描写は、サドによる一種の理想都市論と考えてもよいだろう。
なお、『ソドム百二十日』では、そこで展開される背徳的行為のほぼ全てが、予め明文化された規則によって、強制的な管理を受けることになっている。強権的な規則によって、理想都市内の(ここでは、世間一般とは隔たった意味での)秩序がコントロールされているのであり、この点でも「ユートピア」ないしは「理想都市」の言説と通底性がある。