ヴァラッロのサクロ・モンテ

聖書に記述された「聖なる場」を日常の現実空間において再現・再体験する試みが、15〜16世紀には盛んとなった。(この辺りの話は、フリブールで行われたワークショップでの、最初の発表者も触れていたような。枕にあった、バナナの横断面に磔刑のキリストの像を見いだす、というエピソードが面白かった。)
・キリストが辿った「悲しみの道」(ピラトの宮殿からゴルゴダの丘まで)を、都市空間の中に再現する:フリブール、ニュールンベルク、ルーヴァン等の都市には、都市の中心からゴルゴダに見立てた郊外までの道を「エルサレムへと至る道」と見なし、一定の「留(スタツィオーネ)」が設けられた。
・ヴァラッロのサクロ・モンテ:「パレスチナの神聖なトポグラフィーを再現する」意図で設計される。

記憶術を媒介に、イメージは現実と想像のあいだを往還する。エルサレムの都市は、カイーミの心のなかの記憶の「場」へと翻訳され、その後、サクロ・モンテにふたたび受肉する。この内と外との往還のプロセスは、そこで完結することはない。さらに、この地を訪れる信者は、ガイド役を務めた説教者たちの声が紡ぐイメージと、現実の「場」の喚起力に鼓舞されて、その心のなかに新たにエルサレムの地図を刻む。そして巡礼から帰還後は、自宅の一室で「心の巡礼」を反芻し、幾度もその地図は描きなおされる。このように、イメージとは外在化された形だけで完結して存在したわけではけっしてない。心の「場」に刻まれたイメージへと何度も翻訳されながら、それとの連動のなかで、時には息吹を与えられ、時には声を発し、見る者にはたらきかけたのである。当時、「記憶術」と並んで「忘却術」が探求されねばならなかったように、心のイメージは、執拗なまでに強迫的な力で人々の想像を支配することさえあっただろう。サクロ・モンテにおいて、この「場」による記憶術は、カイーミのトポミメーシス的構想において企図され、やがてガウデンツィオ・フェッラーリの「奥義「の演出によって新たな展開を遂げる。[…]これらの「賦活イメージ」によって、サクロ・モンテは、一種の雄弁なる「記憶の劇場」へと結晶化していくことになるのである。
(水野千依『イメージの地層ーールネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』名古屋大学出版会、2011年、502ページ。)

イメージの地層 -ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言-

イメージの地層 -ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言-