埼玉大学ヨーロッパ文化特殊講義

第4回:記憶装置(みんなのメモ帳)としての都市空間

都市空間に蓄積されていく個人的・集合的記憶/その忘却と想起をめぐる表象の4類型
1.地層に累積した記憶を、イメージとして召還する試み:ピラネージの「古代ローマ
※ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi, 1720-1778):18世紀後半のローマで活躍した銅版画家・建築家・考古学者 。
・ピラネージの古代ローマ表象:既に消滅した、あるいは廃墟・遺跡として断片的に残存しているのみの古代ローマ都市・建築の姿を、半ば現存する資料の精査に、半ば想像に基づきつつ再現しようとしたもの。彼が古代ローマの「記憶」を、いかに想起しようとしたか?
→パランプセスト/マジック・メモとしてのローマ:記憶痕跡(エングラム)の残存する都市
・パランプセスト(羊皮紙):書き付けられた文字を消しても、筆圧による痕跡は残る。
ボードレール (19世紀フランスの文学者)は人間の記憶の機能をこのパランプセストに喩える。文字を消しても痕跡の残る羊皮紙の表層のように、忘却されたと思われる記憶も痕跡が脳に残存している、というのである。
[引用]ボードレール:脳髄はパランプセストである
「人間の脳髄は、天然の巨大なパランプセストでないとしたら、一体何であろうか。私の脳髄は一つのパランプセストだし、読者諸君のもまたそうである。観念や映像や感情の限りない層が、諸君の脳髄の上に、次々に、光のようにそっとつもった。そして、その一つ一つの層が、前の層を埋めたようにみえた。しかし実際には、どれ一つとして失われてはいない。」[中略]だから忘却は、一時のことに過ぎない。
・マジック・メモ(独:ヴンダーブロック):上部の二枚のシート(透明なセルロイドの保護膜と不透明のパラフィン紙)と下部の蝋板の三層構造をもつ玩具。保護膜の上から引っ掻くと、パラフィン紙が蝋板に貼り付いて文字や絵が浮かび上がり、二枚のシートを蝋板から引き剥がすと文字が消える。しかし蝋板には、書かれた文字の痕跡が重なり合いつつ残っている(パランプセストへの重ね書きと似た状態)。フロイト (19世紀オーストリア精神分析学者)は記憶の機構をマジック・メモとの類比で説明する。
[引用]マジック・メモについてのノート
カバー・シート全体[…]を蝋盤から持ち上げると、記載されていた内容は消滅し[…]マジック・メモは白紙の状態になり、新たなメモを書き込むことができるようになる。しかし、書き込んだ文字の持続的な痕跡が蝋のパッドの上に残っていて、光線の加減で読めるようになる。このようにこのパッドは、石盤のようにいつでも利用できる〈受入れ表面〉となるだけでなく、普通の白紙のように、記載した内容の持続的な痕跡ともなるのである。[…]片手でマジック・メモの表面にメモを書きながら、別の手で定期的にカバー・シートを蝋盤から剥がしていると想像すると、人間の心の知覚装置の機構についてわたしが思い描いているイメージに近くなろう。
[引用]「記憶痕跡の残存」のメタファーとしての都市ローマ
[人間の記憶痕跡に関しては]ひとたび形成されたものは何一つ消え去ることなく、すべてが何らかの形で存続し、たとえばその時点までの逆行など、適当なチャンスさえめぐり会えばふたたび表面に浮かび出ることもあるのだ。[…]かつてこれらのローマの囲いを満たしていた建造物は、ぜんぜん見えないか、ごく僅かの残骸があるだけだ。[…]まだいろいろの古いものがローマの地下ないしは近代建築の下に埋もれていることは確実だ。ローマのような歴史上の遺跡に見られる過ぎ去ったものの存続とは、以上に述べたような性質のものである。

☜このようなローマの都市の歴史における「記憶痕跡」の重層性を、ピラネージの造形原理は複数の次元で反復しているのではないか?
①ピラネージの用いた「エッチング腐蝕銅版画)」というメディア自体、制作過程の「痕跡」が、(紙には写らない)痕跡として残り、層を成す。  
工程の詳細が分かるサイト:武蔵野美術大学造形ファイル「エッチング
http://zokeifile.musabi.ac.jp/document.php?search_key=%83G%83b%83%60%83%93%83O
・ローマの地層に埋没した遺構の物理的な重層性。
[画像]ピラネージ《カンポ・ヴァッチーノの光景》1772年:古代都市の地層の上に土砂が積り、ルネサンス時代の教会や18世紀当時の商業施設、牛の放牧場などが設けられた情景。
フロイトによる仮定:異時代の歴史的遺構がいちどきにローマの地表に再建されたら?
「ローマは人間の住む都会ではなく、ローマと同じくらい古くて内容豊富な過去を持った心的存在で、したがってその中では、いったん生じたものはけっして姿を消しておらず、最近の発展段階と並んで昔の発展段階がすべていまなお存続しているものと考えてみよう 」。それは、例えばパラティウムの丘の上に諸皇帝の数々の宮殿やセプティミウス・セヴェレス帝時代の建築が蝟集する、矛盾に満ちた不可能な都市光景となる。「歴史的な時間の連続を空間的に描写しようとすれば、空間中に並列させる他はない。そして、同一の空間は、同時に二つのものを容れることはできない 」。 
[画像]ピラネージ《古代アッピア街道とアルデア街道の交差点》『ローマの古代遺跡』収録、1765年:フロイトの仮定する「空想の古代ローマ都市復元図」を、文字通りに体現。
[画像]《イクノグラフィア》『古代ローマのカンプス・マルティウス』収録、1762年。
垂直に積み重なった異なる時代の痕跡を、いかにして一つの基底面上に併置しうるのか?
・ピラネージは、帝政ローマ時代(起源3世紀初頭)の大理石地図「フォルマ・ウルビス・ロマエ」(5世紀初頭の地震により崩壊・埋没)の発掘された断片に基づき、古遺物断片や素描などの視覚的資料、またリウィウスやストラボン、オウィディウスら古代の著述家から17世紀までの文献資料を精査した上で、当時のローマの地勢図の復元を試みた。
・ピラネージの《イクノグラフィア》では、本来は異なる年代に属していたはずの様々な建築物が、同一平面上にコラージュされている。想像的に補完された古代都市の復元図《イクノグラフィア》には、相異なる複数の時代とその記憶が、ポリフォニーのように寄せ集まっている。
c.f.[画像]《古代ローマの大理石地図の断片》『ローマの古代遺跡』1756年:断片は断片のまま、一定の間隔を置いて併置されている。

☞ピラネージの銅版画作品における二つのレベルでの「重層性」が、ローマの都市に蓄積された歴史の重層性、そして「記憶」の機構の重層性と共振し合う。
2.パリの地名が召還する記憶と自由連想 
アンドレ・ブルトン 『ナジャ』1928年
・『ナジャ』はパリで出会った女性との9日間の記録であり、事実に参照項を持ちつつ、自動記述(フロイトによる「無意識」の理論を援用したもの)の手法を用いた散文。
・テクストを記したページの途中に、様々な写真やナジャによるデッサンが挿入されている[画像]。 
・パリの具体的な地名やモニュメント、看板に書かれた店名などが、パリを巡る二人(ブルトンとナジャ)のうちにその場所の記憶を喚起する。
→M.コーエンによる指摘:「パリのゲニウス・ロキ(土地の霊)との邂逅の物語 」。
=土地の亡霊(≒特定の場所に結びついた記憶)の召還と憑依の物語として読むことができる。
←物語冒頭の疑問文「Qui suis je ? 」が持つ二重の意味と呼応:私は誰か?(suisはêtreの一人称単数現在)+私は誰を追いかけているのか?(suisはsuivreの一人称単数現在)。
☞数行後に「私は誰に取り憑いているのか?(qui je « honte » ?) 」と言い換えられる。
・物語の開始:1918年頃ブルトンの住んでいた「パンテオン広場の偉人ホテルを出発点として(写真)」、1927年夏に滞在中の「ヴァランジュヴィル-シュル-メールのアンゴの館(写真)」へ。(p.20)
・場所の亡霊による憑依①:「パリのモーベール広場にあるエティエンヌ・ドレの銅像(写真)」にブルトンは常に「惹き付けられ、同時に堪えがたい不快感におそわれる」(p. 20/29)。
←ドレがかつて焚刑に処せられた場(残虐な死の記憶)
・彷徨するブルトン:ナントのプロセ公園(pp. 32-33)/ボンヌ・ヌーヴェル通りからストラスブール大通り、サン・ドゥニ門(pp.35-36 )/ラファイエット通り、ユマニテの本屋(写真入)、オペラ座(p.67 )
★「なんという通りだか知らないが…教会の前のあの十字路」でナジャと出会う(p.68 )=固有名の無い場所で決定的な邂逅が起こる。
ナジャとの逢引 :ラファイエット通りとフォーブール-ポワソニエール通りの交わる角のバー(p.79)/ラ・ヌーヴェル・フランス(写真)(p.84 )/ショセ・ダンタン通り(p.89 )
・場所の亡霊による憑依②:ドーフィーヌという語の偶然の連関、フランス革命の記憶の刻まれたドーフィーヌ広場でのナジャの錯乱(pp.94-101)。「彼女は自分が行くつもりのサン-ルイ島ではなくて、ドーフィーヌ広場にタクシーを向かわせてしまう(p.94)」が、そこはブルトンの別の著作『溶ける魚』の挿話の舞台でもあり、彼に「取り憑いてくる場所」でもある。ナジャは「かつてこの広場で起ったこと、これからも起るであろうことに思いを馳せて、彼女は不安になっている(p.95)」。サン-トノレ通りの「王太子(ル・ドーファン)」バーへ辿り着き、ナジャの錯乱は収まる。
・マラケー河岸のレストラン・ドラボルド(p.116 )/「ル・ペルティエ」駅(p.117)/ドルボン書店の看板の上の手と「アンドレ…あなたはあたしのことを小説に書くわ」「あなたは別の名前をもつ」というナジャの予言(p. 119)/サン-ラザール駅、サン-ジェルマン(p.131)/サン-ジェルマンの城(写真)(p. 136 )/「ヴォードヴィル」劇場入口の「マツダ」ランプの広告燈(写真)(p. 158 )←ナジャが自身と結びつけたモティー
ブルトン(=語り手)自身による、場所をめぐる述懐:「この物語がたまたま導いてゆくことになる場所のいくつかを、もういちど見なおす」「そうした場所が…私の企図から身を守ろうとしているのがたしかめられ…『ナジャ』の挿図の部分はいかにも不充分なものである」(p.181) /私としては、「ひとつの町の外形」がどうなったのかについて[…]ここで思いをめぐらすつもりはない。[…]私はいま、この町が別のものになってゆくのを、いや、逃れ去ってゆくのすら眺めている。(p. 185 )

3.都市と記念碑的建築物(モニュメント)に固着した近代の歴史/個人の記憶の想起と語り 

※W.G.ゼーバルトアウステルリッツ』2001年
アウステルリッツ』は、旅行者である「私」が聞いた、アウステルリッツという名の男(建築史家)による語りとして展開する。(歴史/記憶を叙述するnarratorの存在は、ゼーバルト作品における重要なモティーフでもある。)アウステルリッツは第二次大戦中の迫害を逃れるために幼くして国外移送されたユダヤ人であり、氏名・故郷・母語の喪失者であり、自らの消された記憶/歴史を再び見出すためにヨーロッパの諸都市を巡る旅を続けていた。「アントワープ、ロンドン、プラハ、テレージエンシュタット、マリーエンバード、ニュルンベルク、パリ……[中略]抑圧してきた過去を取り戻すべく彼が訪れるヨーロッパの諸都市。それは個人と歴史の深みへと降りていく旅だった 」。写真、固有名(地名、人名)、駅、博物館や図書館といった「アーカイヴ(記憶の集積庫)」といったモティーフが、記憶のリリーサー、あるいは記憶の固着する場として、メタフォリックに使用される。主人公が最初にアウステルリッツと出会うのは、アントワープ中央駅待合室でのことである。
★歴史と記憶の集積庫(アーカイヴス):大英博物館にほど近い、「書庫か紙の倉庫のよう」なアウステルリッツの仕事場(31ページ)=建築の歴史、アンドロメダ荘の陳列棚(キャビネ・ド・キュリオジテ)(82ページ)、国立公文書保管所(139-141ページ)=個人の忘却/消去された記憶の痕跡、フランス国立図書館(263ページ以降)=記憶の巨大な保存庫と分類システムとしての図書館、新館(現行のフランソワ・ミッテラン館)建設によって消去されつつある、過去の図書館体験。
★記憶のメタファーとしての写真/想起の主体としての写真
[引用]写真のプロセスで私を魅了してやまないのは、感光した紙にあたかも無から湧き上がってくるかのように現実の影が姿を現す一瞬」「それはちょうど記憶のようなもので」「記憶もまた夜の闇からぽっかりと心に浮かび上がってくる」「掴もうとするとまたすうっと暗くなってしまう、それもまた、現像液にひたしすぎた印画紙によく似ています。
[引用][かつての子守りヴェラがアウステルリッツに、本棚の本の間から偶然見つけた写真を示しつつ語る場面]忘却の底から浮かび上がって来たこういう写真には、独特ななんとも知れぬ謎めいたものがあるわ[…]まるで写真そのものに記憶があって[…]わたしたち生き残りと、もうこの世のひとでない彼らの、ありし日の姿を思い出しているかのように。[…]もう一枚の写真、ここに写っているのが[…]あなたよ、ジャック。[…]〈ジャック・アウステルリッツ、薔薇の女王の小姓〉、おりから遊びにいらしていたおじいさまの手で、裏側にそう書いてあるでしょう。
←長い不在の後に幼年期を過ごしたプラハのアパートに戻るという夢。無意志的記憶の惹起。
[画像]『アウステルリッツ』に挿図として用いられた写真。ベンヤミンが「写真小史」 で言及する、カフカ幼年時代の写真を連想させる。
アウステルリッツはこの翌日からテレジンへと旅をし、幼年時代の記憶を求めて街を彷徨う。かつての古道具屋のショウウインドウの鮮烈なイメージ記憶が立ち現れる 。
★「駅狂い」(33ページ):都市間の移動の結節点(旅行の間の束の間の停止点)、地名や歴史上の出来事が名前として留められる。本文中には登場しないが、Austerlitzもまたパリにある国鉄駅の名前である[画像]。
★特定の場に刻まれた、生の痕跡/死者の記念としての名前(c.f. ボルタンスキー《失われた家》)
[引用]敗戦がとうに決まっていた1944年5月になっても、西方からカウナスへの移送は続いていた。要塞の地下牢に囚われていた人々の最後のメッセージがそれを証している。牢獄の冷たい石灰の壁に、〈私たちは900名、フランス人〉の一文が誰かの手で刻みこまれていた、とジェイコブソンは書いている。ほかの人々は、日付と住所、名前のみしか残していない。ロブ、マルセル、サン・ナゼール市。ヴェクスレール、アブラム、リモージュ市。マックス・ステルン、パリ、18. 5. 44.。私はブレーンドンク要塞の水堀の畔で『へシェルの王国』第15章を読み終え、帰路についた。メヘレンに着いたときは、夕闇が立ちこめていた。

4.失われた「固有名」と空虚(ヴォイド)としてのモニュメント 

※ボルタンスキー 《失われた家》1990年(ミクストメディア、ベルリン)
 《失われた家(The Missing House》 は、1990年にベルリンで前年の壁崩壊を記念し開催された企画展『自由のはかなさ』への参加に際して制作されたインスタレーション(現存)。旧東ベルリンにある、第二次大戦中の空爆で中間部のみ爆破され、そのままの状態で存続していたアパートの敷地を利用したもの。[画像]更地となった部分に当時住んでいた住民の氏名を、公文書から確認(殆どがユダヤ人で収容所に連行されたと判明)。彼らの氏名、職業、居住期間を記した約20枚のプレートを、左右の棟の壁に貼付け作品とした。
★戦争のモニュメント?死者の慰霊碑?
→爆撃で失われ、更地のままであり続ける、都市空間の中の/都市の記憶のヴォイド(void)。《失われた家》は、「空虚(ヴォイド)」としてのモニュメントである。(死者の名を記したプレート/破壊と死の記憶を留めた更地)
c.f. イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオーの言う「テラン・ヴァーグ」:都市空間の中の放棄された場所、空虚で曖昧、不安定でそれゆえ開かれた可能性を有する場所 。《失われた家》とは似て非なる「都市空間の中の空白」。
★空虚であることが喚起する喪失と死←→一般的なモニュメント:「記念」(覚えていること、記憶を未来に渡すこと)を目的とし、記憶を留めるためのシンボリックなオブジェを置く。
★モニュメントとしてのヴォイド:e.g. ダニエル・リベスキント(1946−現在 :ユダヤポーランド人、後にアメリカに帰化)のベルリン・ユダヤ博物