北方旅行
8月中旬、東北から北陸にかけてを旅した。そのときのメモ。写真はFacebookに。
8/10(土)には青森県立美術館に赴き、まずは「メディシン・インフラ 鴻池朋子」展とその一環としての連続パフォーマンス「筆談ダンス」を見学した。この企画展は、「健全・健常」を外れた身体、「メディシン」が持つ霊媒的な、あるいは「他者になる」という意味合い、食べる・食べられる、寄生する・される、排泄する、死ぬことによる自然界との循環など、研究課題である「ファルマコン(毒/薬の両義性)」というテーマを考える上で、まさに重要な題材となるものであった。
合わせて、開催中の地方芸術祭「AOMORI GOKANアートフェス2024」の一環である栗林隆による展示「元気炉」も体験。「科学技術」というファルマコン的なものの象徴である「原子炉」のパロディとして、薬草を使ったスチームサウナを来場者参加型インスタレーションとした本作も、研究テーマに対する示唆を与えてくれた。
建築家・青木淳設計の美術館の建物は、導線が複雑で「どこに何があるのか」が予測しづらい平面図になっている(館内には案内が充実しているため、実際に迷うことはほとんどないが)。縄文時代の遺跡上にあるため、このような作りになっているとのこと。展示室に向かう回路も効率的な直線ではなく、スロープや細い通路などの迂回を経るのだが、そのことによって作品に辿り着くまでの行程が、一種の「巡礼」のようなものになっているという印象を受けた。
8/11(日)には、まず午前中に三沢市寺山修司記念館を訪れ、企画展「青女たち・女神たち寺山修司の女性論」と常設展示、映像資料・演劇資料の閲覧を行った。
元々計画していた研究テーマ(女性イメージ、「皮膚、疱瘡(皮膚病)、白塗り」の系譜)に加えて、寺山がかなり早い段階から「クィア」的な人物を意識的に演劇に登場させていたこと(『毛皮のマリー』、『星の王子様』など)に気づかされた。
寺山記念館でのフィールドワークが予定よりも早く終わったため、午後は十和田市現代美術館へ赴き、企画展「野良になる」と常設コレクションを体験・見学した。青森県美の「メディシン・インフラ 鴻池朋子」展と同様、十和田現美の「野良になる」も、人間-動物(昆虫や微生物、死者なども含む)-植物-無機物・人工物の間の人為的な境界を超えた「マルチスピーシーズ」や「アクターズネットワーク」がテーマになっているように見受けられた。この2つは昨今の人文学で国際的に注目されている概念であるが、それゆえ「便利なマジックワード」と化しているきらいもあり、この点についても今後掘り下げて考えるべきという課題を得られた。
8/12(月・祝)は山形に移動し、出羽桜美術館にて「斎藤真一 放浪記」ほか斎藤真一の絵画作品現物と制作の背景・文脈となる資料を閲覧した。画集などの複製メディアでは分からない作品の細部やマティエールを確認できた。
8/13(火)は山形-富山間の移動(所要時間は約6時間)に費やした。月曜祝日後の火曜日で、博物館・美術館・文書館の類は軒並み閉館ということもあり、この日は調査研究は行なっていない。
8/14(水)は富山県美術館に赴き、瀧口修造コレクション展ほか、常設の美術品・デザインプロダクトのコレクション、企画展の「民藝 MINGEI 美は暮らしのなかにある」展、内藤廣設計の建築につきフィールドワークを行なった。
瀧口の「オブジェ」コレクションとそれに関する言説からは、瀧口固有の思考のあり方だけでなく、同時代に重複する分野で美術批評家として活動した澁澤龍彦との「オブジェ」に対する捉え方の違いも浮かび上がってきた。
富山県美の特徴であるデザインコレクションや、館内のデザインへの徹底したこだわりからは、20世紀モダニズム建築以降の「建築とプロダクトデザイン(特に椅子)」の密接な関係という、「建築」や「身体とデザイン」を考える上での重要な論点にも気づくことができた。