戦争によって粉砕された顔貌を描くこと


図書館の書架の間を彷徨していて、面白そうな論文に出会す。
Emma CHAMBERS, "Fragmented Identities : Reading Subjectivity in Henry Tonks' Surgical Portraits", in Art History : Journal of the Association of Art Historians, vol.32, no.3, June 2009.
第一次大戦下のイギリスで活躍した外科医にして画家ヘンリー・トンクスによる、顔面を大幅に損傷した傷痍軍人たちの肖像についての論考。論者はディディエ・アンジューの『皮膚=自我』やジュリア・クリステヴァによる「アブジェクシオン」概念も援用しつつ、このパステルを用いた「外科的ポートレイト」を、解剖学図版、「顔」や「皮膚」と自我、戦争のメモリアルといった問題系のなかで論じる。そして、皮膚が崩れ、肉のはみ出した負傷者の「顔」が、観者とのインタラクションの中で「主体性」を帯びていることを説く。
内容自体は、いかにも「秀才」タイプの若手研究者が書きそうな、マイナーかつ小さなテーマを、理論と実証のバランスを取りつつ分析したもの。ただ、自分の問題関心にとって、非常にinspiringなテクストであった。
論者は厳密で禁欲的な線描に基づく従来的な解剖図や医学図版と、パステルを用いた粗い筆致のトンクスによる「外科的ポートレート」を対比させ、後者が「実用的な記録」以上のものである、としている。それ以上のことは、この論文では述べられていない。ここで例えば、「線描」と「色彩」、「形質」と「質量」、「ロジック」と「レトリック」の対比を、医学的合理性に基づき体系立ってメスが入れられていく「解剖された顔面」(=厳密な線描によるモノクロ画)と、瞬時の破壊によって顔が粉砕され、不定形で不気味な内部が溢れ出す「損傷された顔面」(=色彩を伴った粗描き)との二項対立に援用することも可能なのではないだろうか。18世紀に発明されたパステルは、人の肌を生き生きとリアルに描くことのできるメディウムとして重宝されるようになる。つまりトンクスによる外科的ポートレートには、従来的な銅版画やペン画による解剖図からも、同時代の医学用モノクロ写真からも脱落してしまう、人肌の生々しさが表現されている。それは触覚的な視覚情報であり、「肉(chair, flesh)」が現前しているという感覚である。(たぶん続く)

【関連文献】

  • Didier ANZIEU, Le moi-peau, Paris : Dunod, 1995(nouvelle ed.).
  • ANdrew BAMJI, "Facial surgery: The painter's experience" in Hugh Cecil and Peter Liddle, eds., Facing Armageddon: The First World War Experienced, London, 1996.
  • Joanna BOURKE, Dismembering the Male: Men's Bodies, Britain and the Great War, London, 1996.
  • Sander GILMAN, Making the Body Beautiful: A Cultural History of Aesthetic Surgery, Princeton, NJ and Oxford, 1999.
  • Sandra KEMP, Future, Face, London, 2004.
  • Julia KRISTEVA, Pouvoirs de l'horreur : essai sur l'abjection, Paris : Editions du Seuil, 1980.
  • Allan SEKULA, "The body and the archive", in Richard Bolton ed., The Contest of Meaning: Critical Histories of Photography, Cambridge, MA and London, 1990.
  • John TAGG, The Burden of Representation: Essays on Photographies and Histories, London, 1988.
  • Joanna WOODALL, Portraiture: Facing the Subject, Manchester, 1997.

【一次文献】

  • Charles BELL, Essays on the Anatomy of Expression in Painting, London, 1806.
  • Charles DARWIN, The Expression of the Emotions in Man and Animals, London, 1872.
  • Johan Caspar LAVATER, Essays on Physiognomy, London, 1789.

BIUM(Bibliothèque interuniversitaire de médecine et d'odontologie)のサイト上に、第一次大戦での顔面負傷者に関するヴァーチュアル展示がアップされていることをご教示頂きました。
http://www.bium.univ-paris5.fr/1418/debut.htm
顔面負傷者を指してgueules cassées(破壊された顎)という言葉が使われているが、上記のチェンバースの論文に依れば、当時のヘルメットは頭部の上半分のみを覆うものであったため、損傷は顔の下部に集中したのだと言う。この記録写真はDocteur F. BosanoというChirurgien-Dentisteによるものだそうだ。「口腔外科」という分野が当時既に存在していて、今日と同様、機能性と審美性の両面からの要請を取り扱っていたことに驚く。