ミュージアムについてであれ、コレクションについてであれ、調べている途中で必ず突き当たるのが、美術を鑑賞することによって内面を鍛錬・教化するという発想がどのようにして生まれてきたのかという問いである。それは単なる「見ることの悦楽」の追究ではなく、倫理的あるいは道徳的な態度を鑑賞者に要求するものだ。さらには、そこで教化されるべきは、たんなる趣味(taste)や鑑賞眼・批評眼、美的センスといったものに限らず、精神全般に渡るのである。

アメリカの美術史家ドナルド・プレッツィオージによる論考に、ミュージアムというモダニティが産出した視覚装置とそこでの観者のdisciplineについて論じたもの(Donald Preziosi, "Brain of the Earth's Body: Museums and the Framing of Modernity", ed. by Paul Duro, The Rhetoric of the Frame: Essays on the boundaries of the artwork, Cambridge University Press, 1996.)があるが、フーコーを援用した概括的なものに留まっている。ミュージアムの「啓蒙的」機能とは、事物に「分類・体系化」(リンネの博物学、百科事典、図書館とも通底する概念)を施し、進歩の概念に基づいて歴史を(あたかもそれが自然物であるかのように)構築し、そしてそれを観者に視覚的に提示することに存するとプレッツィオージは指摘する。しかし、なぜ芸術作品が、そしてそれらが収められるinstitution(制度/公的建築物)であるミュージアムがかかる「啓蒙的」な役割を負うことになるのか、かかる発想の源泉がどこにあり、どのような流布・伝播と変容の過程を辿ったのかについては、詳しくは述べられていない。

目下のところ問題なのは、日本における産業・金融資本形成期の個人コレクターの多くがダイダクティックな意図――日本国民を西洋美術の鑑賞によって涵養し、日本にとっての理想の未来像である西欧社会に近づく――を有していたことだ。例えば松方幸次郎や大原孫三郎であり、彼らは当然のように公開展示の場としての美術館を構想している。

プレッツィオージも指摘しているように、西欧近代のミュージアムは「国家」が「国民」を教化するための手段という側面を有していた。その端的な例が、1793年に発足したルーヴル美術館だろう。しかし、資本家階級の勃興に伴い、かかる「国民(民衆)教化」という発想は富裕な私人の間にも広まっていく。ロシアのモロゾフやシチューキン然り、イギリスのコートールド然り、前述の松方もまた然りである。同時にまた、ほぼ内発的に「近代化」を成し遂げた西欧と、西欧の制度を継受することで急速な近代化を図る必要のあった日本との間の差異も、見逃されるべきではないとも思う。