十八世紀の恐怖―言説・表象・実践 (叢書・ウニベルシタス)

十八世紀の恐怖―言説・表象・実践 (叢書・ウニベルシタス)

緒論

■恐怖――実践と反省
恐怖から不安へ――幼い子供用に作られた最初の聖書画像集における巧みな演出(1774-1779年)
「懲罰の恐怖で犯罪をたじろがせよ」――18世紀の刑法学者たちにおける恐怖による教育
恐怖政治の恐怖
恐怖に打ち克つ

■恐怖の表象
シラノ・ド・ベルジュラックからカサノヴァまでの投獄の話におけるネズミへの恐怖
18世紀における不能の恐怖と叙述装置
身持ちの堅い貞淑な女性――18世紀小説の何人かのヒロインに見られる恐怖と欲望
迷宮の中で――ディドロクラヴサン
レヴェロニ・サン=シール、カゾット、ポトキ――三つの小説の恐怖

■空間の中の恐怖
洞窟への下降と死の恐怖の象徴的体験――18世紀のいくつかの旅行記について
克服された恐怖――18世紀のフランス人旅行者によるベドウィン神話の出現
旧体制との連続あるいは断絶? 山間の大恐怖――スイスとコレラ(1831-1832年

■現実態の恐怖。批評=フィクション
人間の恐怖


特にウーテ・ハイドマンによる「洞窟への下降と死の恐怖の象徴的体験」の章は、ルドゥのアルケ=スナンの王立製塩所/ショーの理想都市における入り口としての「洞窟」のイメージ、サドにおける処刑場としての地下空間、またルクーによる建築案に見られる「消化管」のイメージを検討する上でも参考になりそう。
例えば、トーマス・ブラウン卿による旅行記『ダービーシャー旅日記』(1662年――この旅行記の執筆は17世紀半ばである)に登場する、イングランドのカルストン洞窟の描写。この特異な造形をもつ洞窟は当時の好事家たちの関心の的となり、恐怖を喚起する形態により「悪魔のはらわた」と称されていた。

彼[ブラウン卿]は自分が行なった地下見学を、悪魔の「直腸」における滞在として描きながら、グロテスクなイメージを取り上げ、それを展開している。

我々は直腸にただ入り込んだばかりでなく、しばらく歩いた。道がよく糞便がなかったとしたら、はらわたの内部についてもっと発見できただろう。しかし怪物はその前日ひどく飲んでいたので、非常に早く排泄していた。そこで我々はステュクス川を流れに逆らって進むのはよくないと考えて[……]、再び地上世界に戻った。

[…]語り手は結局、グロテスクなイメージを展開して、タルタロスの暗闇の連想をそれ以上取り上げることはない。古代の冥界の隠喩は、この17世紀のテクストの中では限定されたものであり、[…]旅行者に自分の地下体験を描くためのふさわしいイメージ群を提供しているようには思えない。もっとも彼は、その描写を続ける気もないのである。
(上掲書、277-278ページ。)

この論考の著者ハイドマンはブラウン卿による「洞窟=腸」という隠喩について、限定的・否定的な立場を採っている。そもそも、このメタファーは17世紀当時イギリスで流布していたもので、ブラウン卿なる人物(医者であり作家)の独創ではない。しかし、地下道を人間の身体のメタファーで捉えようとする想像力には、留意しておく必要があるだろう。
ハイドマンはまた、同じカルストン洞窟の経験を描写した、ウィリアム・ブレイ(骨董商)の1777年のテクストを紹介する。洞窟を流れる川に沿って下ると、蝋燭で照らされた広大な空間に辿り着く。洞窟から地上に帰還すると、陽光は旅行者の上に筆舌に尽くしがたい印象をもたらす、という(上掲書279-280ページ参照)。これは、ルドゥ『建築論』の冒頭、ショーの理想都市への入場の場面(フリーメイソンの入信儀礼の模倣でもある)とよく似通った地下体験である。
また、腸管の比喩などとは別の想像力のあり方として、ウェルギリウスの描くアエネアスの冥界下りと重ね合わせる描写もあったという(カール・フィリップ・モーリッツ『あるドイツ人のイギリス旅行記 1782年』)。またハイドマンは、このモーリッツ(ドイツ最初の心理学雑誌『経験的心理学』の編集者)による「地下巡り」のもう一つのモデルとして、フリーメイソン入信儀礼も挙げる。実際、モーリッツはフリーメイソン会員だったという。