この4月から半期の間、埼玉大学で「ヨーロッパ文化特殊講義」を担当することになった。講義レジュメをウェブ公開することには、それなりのデメリットもあるだろうが(情報に簡単にフリーライドできてしまうため、授業料を支払い真面目に講義に出席している学生が割を喰う、など)、当面は自分のためのメモも兼ねてここにコピー&ペーストしておく。

【テーマ】
ヨーロッパ近代における「空間」と「身体」の表象史
【授業科目の到達目標】
文化的な諸現象・表象に対して、分析的・批評的な視点から考察し、記述することの基礎的な訓練を行う。また、学部時代に知るべき概念や目を通すべき文献に触れる。レポートの執筆を通して、アカデミックな文章を書くための「方法」と「ルール」を身につける。
【授業の内容】
ヨーロッパの近代社会において、「空間」と「身体」がいかに表象されてきたのか、そこにどのような「幻想」が投影されてきたのかを、テクストと視覚的イメージの両面から辿る。併せて、人文・社会学系の学生が学部時代に目を通しておくべき理論やキータームの紹介を行う。


【講義スケジュール】←12回に短縮の可能性あり
4月15日:イントロダクション


4月22日:廃墟の表象史――ノスタルジーとカタストロフィー
1.ルネサンスマニエリスム:神学的思想との連関
・[画像]サンドロ・ボッティチェッリ《東方三博士の礼拝》1475年、ウフィツィ美術館
←キリスト誕生以前の世界を表す廃墟
・[画像]モンス・デジデリオ《聖堂の倒壊》17世紀、フィッツウィリアム美術館。
←神の怒りの体現としての破壊
2.17世紀〜18世紀:「廃墟ブーム」
・[画像]クロード・ロラン《カンポ・ヴァッチーノの眺め》1636年、ルーヴル美術館
←黄昏時の陽光の中の古代ローマ遺跡、旅行者たちによる鑑賞
・[画像]パウル・ブリル《カンポ・ヴァッチーノの想像的風景》17世紀初め、ドレスデン古典絵画館。←理想化された古代ローマ遺跡
3.18〜19世紀:新たな時間認識とカタストロフィー
・[画像]ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《カンポ・ヴァッチーノの眺め》1772年、エッチング。←考古学的関心の発生
・[画像]ジャック=フィリップ・ル・バ《リスボンパトリアルカル広場》1757年、エッチング←1755年のリスボン大震災で崩壊した都市の姿を描く
4.20世紀:終末のディストピア
・[動画]アンドレイ・タルコフスキーノスタルジア』1983年←世界はまだ救われうるか?という問いが投げ掛けられる。


5月6日:異時間都市の考古学――カミッロ、カナレット、ピラネージ
・[画像]ジュリオ・カミッロ「記憶劇場」16世紀前半、書物の挿図。←半円状の空間に配置された記憶がミクロ・コスモスを形成する
・[画像]ジョヴァンニ・アントニオ・カナレット《想像上のリアルト橋とパッラーディオの建築物のある奇想的風景》1755−59年、パルマ・ナショナルギャラリー。
←現実のヴェネツィアカナル・グランデ沿岸の風景に、16世紀の建築家パッラーディオが近郊の街ヴィチェンツァに建てた二つの建築物と、画家が考案した想像上の橋を配置した図。
・[画像]ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《古代アッピア街道とアルデアティーノ街道の交差点》1756年、エッチング
←様々な古代遺跡・遺物の断片が、ローマのアッピア街道上に取り集められ、いわば空想上のアッサンブラージュを構成している。


5月13日:記憶装置(みんなのメモ帳)としての都市空間
・[画像]ピラネージによる古代ローマ都市表象(18世紀後半)←ローマの地層に累積した古代の記憶を、イメージとして召還する試み
アンドレ・ブルトン『ナジャ』1928年(小説)←パリの地名が喚起する記憶と連想
・W.G.ゼーバルトアウステルリッツ』2001年(小説)←都市と記念碑的建築物に固着した近代の歴史が語られる
・[画像]クリスチャン・ボルタンスキー《失われた家》1990年、ミクストメディア、ベルリン。
ホロコーストで殺害されたユダヤ人の名前を刻んだネームプレートを、彼らの住んでいた集合住宅跡地の近隣の建物の壁面に取り付けたインスタレーション。失われた「固有名」と失われた生、失われた時間をベルリンの都市空間の中に配置する試み


5月27日:書物の中の都市/書物としての都市―ルドゥー、サド、ビュトール
テクストにおける「語り(ナラティヴ)」が持つ空間性、身体性を分析する。
・[画像]クロード=ニコラ・ルドゥー「ショーの理想都市」『芸術・習俗・法制との関係の下に考察された建築』1804年の挿図←ユートピア都市への紀行、フリーメイソン的世界観を体現した空間、テクストとイメージ(挿図)との連関など
マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』1785年(小説)←牢獄への下降
ミシェル・ビュトール『時間割』1956年←時間性、章立ての持つ幾何学


6月3日:「旅行」のディスクール1――観光旅行の系譜と他者への眼差し
グランド・ツアー、植民地とオリエンタリズム、ツアリズムの大衆化、「海辺」の誕生、「休暇」(ヴァカンス)」概念の変遷etc.
・[画像]ヨハン・ティシュバイン《ローマ近郊のゲーテ》1786年、フランクフルト国立研究所←イタリアに歴史や文化的教養を学びにやって来る上流階級の若者(グランド・ツアリスト)の代表例。
・[画像]ルキノ・ヴィスコンティ監督『ヴェニスに死す』(原作トマス・マン)1971年のスチール写真(ダーク・ボガート&ビョルン・アンドレセン)←海辺に観光旅行にやってきた休暇中のブルジョワ市民たち。


6月10日:「旅行」のディスクール2――ユートピアへの越境
・[図像]トマス・モア『ユートピア』1516年の挿図
・[図像]トンマーゾ・カンパネッラ『太陽の都』1602年の挿図
ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』1719年
・ジョナサン・スィフト『ガリヴァー旅行記』1726/35年
ヴォルテールカンディード』1759年
・ルドゥー『芸術・習俗・法制との関係の下に考察された建築』1804年


6月17日: 空間のナラティヴ――ミュージアムという装置
・[画像]オラ・ヴォルムの「驚異の部屋」『ヴォルムの博物館』1655年のタイトルページ←ヴンダー・カンマー(驚異の部屋)の系譜。博物学標本から古遺物まで、「珍奇」なものがひとつの部屋に渾然と取り集められている。
・[画像]アレクサンドル・ルノワールのフランス文化遺産博物館(1796年に政府承認)←ナショナル・ヒストリーを「展示」し語るための空間
・[画像]アビ・ヴァールブルクの「ムネモシュネ」←イメージ記憶の星座配置図


6月24日:探偵と遊歩者――近代都市の経験
・[画像]ヴァルター・ベンヤミン『パッサージュ論』1927〜35年頃のエッセー集←19世紀の都市(パリ)について
ボードレールパリの憂鬱』1869年刊行の詩集←近代都市と「群集」
・[画像]ギュスターヴ・カイユボット《窓辺の若い男》1875年、個人蔵。
・[画像]エドゥアール・マネ《バルコニー》1868年、オルセー美術館
←19世紀のフランス絵画に描かれた都市生活と眼差し
フィルム・ノワールの中の都市←探偵の眼差し


7月1日:身体表現の絵画史――ヌードとトルソ
・[画像]ヴェルヴェデーレのトルソ←18世紀人J.J.ヴィンケルマンにとっての理想の古代人の身体。孤立した人間=男性(man, homme, Mann)の身体(仏革命期の身体観)。断片性が示唆するもの。
・[画像]アドルフ・ブーグロー《ヴィーナスの誕生》1879年、オルセー美術館
←理想的身体をもつヴィーナス(文化的コードという衣裳をまとった裸体)
・[画像]ギュスターヴ・クールベ《世界の起源》1866年:分断されたリアルな身体


7月8日:ボディ・コントロール――「適切な身体」をめぐる言説と表象の歴史
・[画像]ハンス・ホルバイン(子)《ヘンリー8世の肖像》1537年頃、ウォーカー・アート・ギャラリー←詰め物をして膨らませた肩やふくらはぎ。王権や男性性の象徴としての力強さを誇張。
・[画像]Dior Homme(エディ・スリマンによるデザイン) 2007-08 A/Wショー写真←男性身体にとっての「理想美」を決定的に変える。


7月15日;身体の拡張――機械、メディア、ポスト・ヒューマン
・「機械性」の模倣
→シェーカー教徒の行動規範(工場生産の効率性にある種の純粋さのユートピアを見出す)
アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」(「芸術家による創作」に、固有性・一回性のある「オリジナリティ」を求めるのではなく、むしろ工場での大量生産を志向する=ポップ・アート)
→[動画]クラフトワーク「The Robots」(シンセサイザーによる電子音、加工・編集された「ロボットヴォイス」、こわばった機械的な動作。むしろ生身の人間ゆえのイレギュラーさを際立たせる結果に?)
・「人造人間」の系譜:ゴーレム伝説、ピュグマリオン神話、ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ1886年(小説)、カレル・チャペック『R.U.R』1921年(小説)、
[画像]フリッツ・ラングメトロポリス』1927年のスチール写真(人造人間マリア)、
ケネス・ブラナーブレード・ランナー』1982年(映画)、押井守イノセンス』2004年(アニメーション映画)etc.
・[画像]フセイン・チャラヤンがデザインする衣服の「man-machine」性
←メディア論者の先駆けマーシャル・マクルーハンによるテーゼ「身体の拡張としてのテクノロジー」を体現。
・[動画]クリス・カニンガム監督、ビョーク曲・歌・出演「All is Full of Love」PV、1998年←工場生産される人造人間の無機性と有機性(まばたき、水滴によって泡立つ皮膚の表面)の対比がもたらすエロティシズム、人形が主体性・自主性を持ち、他者との間にデュアルな関係性を取り結ぶ(←→femme objet、ナルシシズムの投影対象としての人形観)


7月22日: 皮膚と装飾――タトゥーと化粧
・「表層(皮膚)」の上の偽りの(?)皮膚:建築の外壁や塗装とのアナロジー
・タトゥーの問題系:偽装の表層か、治らない傷か?
[動画]ニコラ・フォルミケッティ監督、リック・ジュネスト(a.k.a Zombie Boy)出演、レディ・ガガ音楽、ティエリー・ミュグレー2011−12A/Wイメージムーヴィー
←皮を剥がれ解剖されたイメージを皮膚という表層に刻んだタトゥー


7月29日:表層との戯れ――鏡・顔・自己イメージの複数化
・鏡=ダブル・イメージという他者が表層に現れる
・皮膚の上で他者を演じる(?の化粧・タトゥーの問題系とも通底)
・整形手術と身体改造:他者になる、理想の自分になる、失われた自分を取り戻す。(マイケル・ジャクソン安部公房の小説『顔』、ジョン・ウー監督『フェイス・オフ』1997年etc.)
[画像]オルラン《Refiguration / Self-Hybridation #30》1999年←作品制作のたびに自らに整形手術を施し、「作品自体に成り済ます」あるいは「整形のプロセスと結果自体が作品である」ような、現代フランスの女性アーティスト。
ジェンダーの越境・往還のための化粧=シェークスピア演劇の少年女役からグラム・ロック、ニュー・ロマンティック・ムーヴメントにおける「化粧」(一方の極から他方の極への越境・移動。二項対立は保存される。)
[画像]Culture Club時代のボーイ・ジョージのトランスヴェスティズム(異性装)
c.f.ジェンダーの差異を溶解させる契機としての「ジェンダー・ベンディング」(ジャン・ボードリヤール


補講:まとめ


【参考図書】
レポート作成にあたって:
河野哲也『レポート・論文の書き方入門・第3版』慶應義塾大学出版会、2002年。
東京大学大学院教育学研究科学務委員会編「信頼される論文を書くために」2010年。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/wp-content/themes/p_u_tokyo/pdf/manual/manual_all.pdf](2011年4月14日閲覧)
西洋美術史俯瞰:
高階秀爾三浦篤西洋美術史ハンドブック』新書館、1997年。