開放と放出

過日の日記(http://d.hatena.ne.jp/baby-alone/20080824)で触れた、フランスの新聞Libérationに掲載されたという田亀源五郎氏の紹介記事を、日々の無聊を慰めるために邦訳してみた。(いや、本当は暇ではないはずなんだけど。)独特の俗言が多くて、意外と手こずる。誤訳や誤解釈が多々あるだろうが、キュアスタディーズの徒や、田亀氏ファンや、あるいはただの好事家といった方々のご参考になれば。本来ならばリベラシオン紙のバックナンバーに当たるべきなのだが、ひとまずこちらのブログにあった転載から訳出している。(田亀氏ご本人のブログ記事はこちら→http://tagame.blogzine.jp/tagameblog/2007/02/post_ad2a.html

日本のポルノ(モザイクで全てが隠されている)を見たことのない者は、その緊縛趣味についてもまったくご存知ないであろう。実のところ、特に日本のゲイ・ポルノでは、絶頂がもたらされるためには陵辱が必要なのである。お前が縛り上げられ、手淫され、「ご主人様、いやです、やめて下さい」と叫びを上げているうち、潤滑剤で濡らされながら逸物を肛門に突っ込まれているうちに、司祭たちの言葉を借りるなら、不適切な聖器に正統の聖器を重ねられ、夢うつつの境地にあるうちに。おそらく、次のインターカルチュラルな問いが発せられることであろう。侵入を許し犯されるのは、女性のはずではないか、そうでなければ無意味だろう、と。田亀源五郎のマンガも、例に漏れずこの約定に従っている。さほどアブノーマルというわけではなく、それゆえ『彼方』彼の国のポルノロジー*においては、少々度が過ぎるくらいで、中央部にはモザイクも掛けられていない。正確に分類してみよう。田亀作品は「ヤオイ」ではない。ヤオイとは、もちろんポルノ指定の分野ではあるが、むしろ少女向けのセンチメンタルかつ官能的**なゲイの物語を指す。
新しく刊行された6冊は、彼のいつものデッサンに比べれば型に嵌った画風であるが、その第1巻は爆笑を呼ぶ調子で描かれている。40代の空手家である丹波は、アメリカで格闘家となるために途方もない契約書にサインしてしまう。初戦に敗北し疲労した丹波は、狂乱した対戦相手にリング上で乱暴に犯されてしまう。その間、興奮した観客たちは拍手喝采し、テレビは一部始終を放映する。引き裂かれたズボンの巨大な面と、串刺しにされた彼の菊門は、読者が女陰を連想することを想定してのものだろう。しかし、このことが明確なのは、冒頭場面に限られる。丹波は、非道なアメリカ人嗜虐者に監禁されてしまう。もっともこのアメリカ人は、丹波に練習向けの一室を用意し、あらゆる薬物を自由に摂取させる。哀れな主人公はトレーニングを続け、そして勝利を確信する。しかし、サドの書くジュスティーヌのように、彼は試合***に赴くたびに陵辱されてしまう。78ページでは、大量の勃起持続薬を投与される。その酒によって彼は性獣と化し、立て続けに8回も射精する。過剰、あまりにも過剰である。そして読者は、今度は自分の両脚の間が湿っていることに気付くだろう。しかしそれは、哄笑がもたらした涙である。
アメリカ人たちの後は、ナチス****の出番となる。ユーモアの精神をなんら持ち合わせていない、人喰い鬼、あるいは悪魔たちである。「神託」はその一例だ。とある警視は、捜査をその悦楽の最中に見る幻覚によって解決するために、若者による肛門性交を必要としている。
実のところ、『Arena』の全般的な背景は、今なら言えるだろう、完全にヘテロセクシュアルなものである。ストーリーの大半は、規範的で勇猛な男が囚われの身となり、群衆の目前でマッチョな男たちに無理矢理蹂躙され(「イヤイヤやめて!」)、地獄の棍棒を選択し、そして闘牛のように射精する場面で占められる。その後、彼は当然fiote*****「オカマ」扱いされるが、それは非常な恥辱となる。したがって、これらの恐怖体験はあまさず、読者の窃視欲望のために供されているのではなく、少年たちに性的倒錯という悪魔の所業を警戒するように唆しているのだと分かるだろう。父親はこのマンガを読むことを、その息子に命じるに違いない。

註*原文はla pornologie de là-bas。「ポルノグラフィー」という一般的な言葉が既に(売春の)研究という意味を有しているのだが、あえて「ー学」に相当する-logieという接尾語を付けた造語となっている。là-basがユイスマンスの作品を指すのか、単に「下半身」ないしは「肛門」の意味なのかは分からなかった。
註**à l'eau de foutre。おそらく、「à l'eau de rose」(感傷的な様を表す熟語)と、「精液(foutre)まみれ」というニュアンスを掛けているのだろう。
註***原文はle combat la fleur au paf, paf。意味不明。
註****commissaireやenquêteという単語が出てきているので、nazisというよりゲシュタポ(秘密警察)?原作を読んでいないので判断がつかないけれど。
註*****辞書類には記載のない単語。
palucher、empaffer、socratiserなど、辞書にない言葉が出てきた際に役立ったのがwiktionnaireというオンライン辞書である。元締めはwikctionaryというプロジェクトで、現在のところ172の言語に対応しているそうだ。
肝心のリベラシオン記事だが、トーンは幾分シニカルだ。(正直なところ、褒めているのか貶しているのか中立なのか、いまひとつ判断がつかない。)自分などはそもそも何がポルノ(ゲイ・ポルノを含め)の王道や約定なのかも分かっていないし、田亀作品に関してもほとんど無知なのであまり断定的なことは言えた義理ではないが、例えば『俺の先生』などは、男性と女性という「ノーマル」な二者に設定を置き換えれば、単なるシンデレラ願望(勇敢な王子様に救い出され、相思相愛のハッピーエンドを迎える受動的な主人公)の物語としても読めてしまう。それが政治的な視点から望ましいか、望ましくないかという当為判断はひとまず棚上げするとして、「ストレート」の恋愛モノ・性愛モノにありがちな約定が、ゲイ・ポルノの領域をもカヴァーしているということなのだろう。