絵画における真理〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

絵画における真理〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

自分の専門との絡みで、「パレルゴン」概念を援用することで美術史の新しい言及対象を見出す、という動向と適合的な部分ばかりを拾い読みしていたのだが、今回腰を据えて通読してみた。まずなによりも、カント(判断力批判)論であった。デリダの概念を換骨奪胎的に移入することで、従来的な美術史学が延命のためのエクスキューズを得るだけなら、それはこの思考体系に対してあまりにも不誠実なのではないか、と思う。だからと言って、デリダを精確に読解し解釈することが、美術史やイメージ研究を担う者にとっての使命であるわけでもないのだけれど。
レーベンシュテイン氏への言及が、この書で一度(彼によるメイヤー・シャピロの仏訳と、そして彼の「全著作」に目を通すべし、とデリダは註に書いている)、『基底材を猛り狂わせる』でも一度出てくる。
ひとまず、(美術史研究の文脈では)最も人口に膾炙していると思われる部分を抜粋。

パレルゴンは、作品(エルゴン)でもなく、作品の外にあるものでもなく、内部でも外部でもなく、上部でも下部でもなく、あらゆる対立を掻き乱しながら、しかも規定されぬままにあるわけではなく、そして作品に場所を与える(作品を生み出す)ものである。それがその場に置くもの――額縁や、タイトルや、署名や、解説[ルビ:レジャンド]の、もろもろの審級――は、もはや絵画に関する言説の内在的な秩序を、絵画の作品、その流通、その評価、その剰余価値、その投機、その権利、そしてそのヒエラルキーを、乱し続けずにはおかないだろう。
(上巻、16ページ)