Marquis de Sade, "Voyage à Naples", extrait de Voyage d'Italie, 1775-76.
http://www.amazon.fr/dp/2743618302/
マルキ・ド・サド『イタリア紀行』からの抜粋。この旅行記の原題は、Voyage d'Italie ou Dissertations critiques, historiques, politiques et philosophiques sur les villes de Florence, Rome et Naples。フィレンツェ、ローマ、ナポリの各都市について、「批評的、歴史的、政治的、哲学的」に綴ったものと謳う。
ナポリ紀行』は、ナポリの習俗と慣習、都市の内部、ナポリの周辺、ポッツォーリとその周辺、ヘラクラネウムのポルティチ、美術館、ポンペイ・スタビア・サレルノパエストゥム・カプリ、の各章に分けられている。章立てのタイトルが示す通り、社会的・教育的な見聞録という性格が強いのは、この旅が18世紀のグランド・ツアーに分類されるものだからだろうか。19世紀フランスの文学者たちによる紀行文と比較してみれば、この時代の特性が逆照射されてくるかもしれない。
ラクラネウムについて記した章の「Comme c'est le premier objet qui se présente naturellement à voir, ce sera aussi le premier dont je parlerai.(p.237)」の一文が端的に示す通り、この旅行記ではparcours(=旅程、空間を移動する「語り手」の身体の軌跡)とdiscours(語りの順序、流れ)がほぼ一致している。語り手は次々(ensuiteやd'aprèsの多用)にポルティチ(ヘラクラネウムの遺構の上に立てられた王宮)や美術館の部屋を巡りながら、その様子を書き出してみせる。当時のサロン評における絵画の「描写(description)」と共通した、緻密で羅列的な、文章という線的な手段で平面をつぶさに写し取ろうとするかのような文体は、著者の語りと読者の擬似的追体験、著者の視覚と読者の想像との共振をもたらすかのようだ。
視覚的な美を形容する際に、agréableという、「快」に結び付く単語を頻用しているのも特徴的である。人を「楽しませる」「愉楽を与える」ものとしての美。
建築の描写は几帳面で、その規模が何ピエ何プスかという数値を、読む方は飽きてしまうほどに並べ立てる。
この時代の大陸旅行者にほぼ共有されていた価値観であろうが、サドもまた、「古代」の美術を賞賛すべき価値とみなし、「現代」はそれに劣後する悪趣味として退けている。