サンセット大通りビリー・ワイルダー監督、1950年(goo映画)

いまや忘れ去られたサイレント時代の映画スターの、過去の栄光への妄執を、老いの見えはじめたグロリア・スワンソン(彼女自身もサイレント時代に活躍)が演ずる。このフィルムの供給元でもあるパラマウント・ピクチャーズは、劇中でもそのままの名前で登場する。当時のハリウッドを、やや自嘲気味に突き放し、メタな視点から描き出したサスペンス。

メタレベルでの語りと言えば、冒頭、豪邸のプールから脚本家の若い男の死体が引き上げられる際に、ニュースのレポーターのように第三者的な視点から事件を語っていた声が、実はこの物語の主人公である脚本家自身のものであるという荒唐さも面白い。冒頭とラストでは主人公は死んでしまっているのだが、彼自身のナレーションによる説明的な語りはそのまま続くのである。

スワンソンの住む大時代的な邸宅には、幾つもの装飾的な写真立と、一枚の立派なスクリーンがあり、その枠の中に映し出されるのは、大女優の栄えある過去の姿の数々である。その一方で、所々に配された鏡には、彼女の現在の老醜が残酷に映し出される。(応接間の暖炉の鏡に映された、泣きながら階段を昇っていく若作りのドレスの背中。寝室の三面鏡にぼんやり映る、自殺未遂をして床に寝かされた姿。必死の美顔術の後でも誤魔化せない老いをふと映し出す、居間や廊下の鏡。そして終盤、刑事や記者に囲まれたスワンソンが、狂気染みた虚ろな目で眺める手鏡。)

冒頭とラスト、カメラがプールの底から、水面に浮く脚本家とプールサイドに並んだ警官たちを捉えるシーン――プールによって切り取られた矩形の空間が水のせいで揺れ動いて、死んだ男と警官たちが同一の空間に浮かんでいるように見える――と、中盤、深夜に彼が後輩の女性を訪ねたところを、部屋の外から撮った場面――壁に穿たれた二つの窓のそれぞれに、ちょうど横向きの肖像画のように女性の顔と男性の顔が現れる――の二つは、印象に残るカメラワークだった。

さまざまな次元で「枠組」が入れ子構造をなしていて、それがスワンソンの芝居掛かりすぎた鬼気迫る演技や、召使マックス役のドイツ人の表現主義映画に出てきそうな風貌や、サスペンス感を高める螺旋階段や、部屋同士の相互関係が掴み難い邸宅の空間構造と相俟って、観ている者まで何処か別の小世界に閉じ込められているかのような、重苦しい錯覚を呼び起こす。

サンセット大通りは、スワンソン演じる大女優の邸宅のある通りの名で、もちろんサイレント時代の女優や彼女が活躍したメディアの現在を象徴した名でもあるのだろうけれど、作中にはもうひとつ、(映画)セットの大通りも登場する。すぐに作り物と分かるのに、妙な現実味を帯びた(遠近法が強調されているせいか、現実の通りよりも「現実的」にも見える)、奇妙な空間であった。