M―と云う西洋絵画蒐集家についてちょっと調べていて、その関係で野上彌生子の『眞知子』を読む。これが意外と面白くて、ついうっかり読み進めてしまう。当時のプチブル階級における西洋文化の受容状況が、音楽・美術・文学から社会思想に至るまで、かなり詳細に書かれている。

主人公母娘の三越での買い物の場面も、90年代に興隆した文化社会学系デパート研究を先取りしているような記述だ。

箇々の店舗で売られたとすれば、少なくとも数丁の町を要した筈の物資が、一つの建物を何遍か上つたり下つたりするだけで手に入る。――たしかに大いなる便利に相違なかつた。これ等の組織は、そこに投下されてゐる資本の最初の企画に従つて、単に客を便利にするに留まるべきではなかつた。便利感以上の熱情を、必要以上の購買欲を、来るほどの客の上に焚きつけなければならなかつた。一月毎に変へる新しい流行、店内の新しい装飾と新しい陳列法、新しい色、模様、型、音楽、絵画、花、小鳥――さへも小鳥屋の店から奪つてゐる、その網羅と衆集と変化は、すべてその目的のためであつた。同時にまたそれは厖大な資本のみが発揮させ得る特殊の煽動力であつた。
眞知子はそこに無知覚状態の興奮を以っていぢり廻されてゐる、ちりめんや、絹や、めりんすの一束が、知らず知らずどこかの若女房の袖に入つたり、風呂敷に包み込まれたりすることの、生ずるのを決して怪しまなかつた。
野上弥生子『眞知子』岩波文庫、1952年、152-153頁.)

経済的困窮など無縁なはずの階級のご婦人による万引き(わけても布地やリボンを盗む例が多い)は、デパート勃興期のフランスやイギリスでも社会問題となったそうである。

プチブル階級の女学生に社会主義思想を絡めたビルドゥングス・ロマンというと、木下恵介監督の『女の園』を連想するけれど、この『真知子』も市川崑監督、高峰秀子主演で映画化されている。