死者の固有名について

 人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。

石原吉郎『望郷と海』ちくま学芸文庫Kindle 版、2002年、No. 38。)

 

いわば一個の符号にすぎない一人の名前が、一人の人間にとってそれほど決定的な意味を持つのはなぜか。それは、まさしくそれが、一個のまぎれがたい符号だからであり、それが単なる番号におけるような連続性を、はっきりと拒んでいるからにほかならない。ここでは、疎外ということはむしろ救いであり、峻別されることは祝福である。

(石原、上掲書、No. 49。)

 

私は広島について、どのような発言をする意志ももたないが、それは、私が広島の目撃者でないというただ一つの理由からである。しかしそのうえで、あえていわせてもらえるなら、峠三吉の悲惨は、最後まで峠三吉ただ一人の悲惨である。この悲惨を不特定の、死者の集団の悲惨に置き代えること、さらに未来の死者の悲惨までもそれによって先取りしようとすることは、生き残ったものの不遜である。それがただ一人の悲惨であることが、つぐないがたい痛みのすべてである。さらに私は、無名戦士という名称に、いきどおりに似た反撥をおぼえる。無名という名称がありうるはずはない。倒れた兵士の一人一人には、確かな名称があったはずである。不幸にして、そのひとつひとつを確かめえなかったというのであれば、痛恨をこめてそのむねを、戦士の名称へ併記すべきである。

(石原、上掲書、No. 139-146。)

 

死者の身元がわからなくては、死者を記念することはできない。うたげの客たちの席順を正確に記憶していたシモニデスは、識別できないほど損傷した遺体のすべてに、その名を返してやることができた。こうして身元が確認できたので、死者の身内の者たちは、彼らをたたえ、しかるべく埋葬し、自分たちが正しい死者を嘆いていることに確信を持つことができた。[...]この伝説によってシモニデスの業績は、死と破壊を超克する人間の記憶の力として永遠にとどめられた。

(アライダ・アスマン『想起の空間』安川晴基訳、水声社、2007年、51ページ。)

 

 無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない。これらの記念碑は、故意にからっぽであるか、あるいはそこにだれがねむっているのかだれも知らない。そしてまさにその故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。これはかつてまったく例のないことであった。[…]これらの墓には、だれと特定しうる死骸や不死の魂こそないとはいえ、やはり鬼気せまる国民的想像力が満ちている。(これこそ、かくも多くの国民が、その不在の国民的帰属[ルビ:ナショナリティを明示する必要をまったく感じることのない理由である。〔そこには〕ドイツ人、アメリカ人、アルゼンチン人……以外、だれがねむっていよう。)[…]一方、ナショナリズムの想像力が死と不死に関わるとすれば、このことは、それが宗教的想像力と強い親和性を持っていることを示す。

ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』増補版、白石さや・白石隆訳、NTT出版、1997年、32ページ。)

 

出張報告より

6月8日(土)
9:00〜:自宅最寄り駅より出発、13:00過ぎに最初の目的地である京都大学総合博物館に到着。
13:00〜15:00:「タイムライン:時間に触れるためのいくつかの方法」展を見学、たまたま開催中であった展覧会関連のシンポジウムの一部(アーツ前橋館長・住友文彦氏の発表)も聴く。
15:20〜:京都大学最寄り駅を経ち、関西大学梅田サテライトへ。
16:40〜18:40:国際カンファレンス「Posthumanities in Asia」の基調講演、ロージ・ブライドッティ氏による
「今日の人文学における人間とは何か(What is the Human in the Humanities Today)」を聴く。
19:00:ホテルにチェックイン

6月9日(日)
9:00:ホテルをチェックアウト
9:30〜10:10:国際カンファレンス「Posthumanities in Asia」に参加し、毛利嘉孝氏によるレクチャー「アジアのポスト人文主義を考える(Considering Posthumanities in Asia)」を聴く。
10:20〜12:00:口頭発表セッション「ジェンダー」に参加、現代アートやハリウッドSF映画、日本のSF小説に登場するサイボーグやミュータントの表象とジェンダークィアネスについて、哲学的に考察した発表3本を聴く。
13:00〜13:40:アネケ・スメリク氏によるレクチャー「〈静寂〉、イリス・ヴァン・ハーペンのポストヒューマンデザイン('Seijaku': The Posthuman Design of Iris van Herpen)」を聴く。
13:50〜15:30:口頭発表セッション「身体」に参加、身体改造やフィリピンのSFにおけるクローン描写、日本のマンガにおける臓器移植と感染の描写、furry(獣人の融合したキャラクター)を題材に、ポストヒューマンの哲学と倫理学を思考する発表4本を聴く。
16:00〜17:40:口頭発表セッション「理論」に参加、レヴィナスデリダの思想における動物の位置づけの違い、バタイユ唯物論と「新しい唯物論」の比較、「想像力」の問題について、および「主体性/主観性」の問題について、哲学的考察を行なった発表4本を聴く。
18:00〜:関西大学梅田サテライトを出発、大阪駅より帰路につく。

京都大学総合博物館の「タイムライン」展は、展示作品そのものが興味深かったのはもちろんだが、大学博物館という様々な条件に限界のある場で、いかに「見せ、考えさせる」展示を作り上げるのかという観点でも工夫されたものであり、また、最新技術を用いた作品の化学的分析も「作品を構成している時間的プロセス」として展示している点も示唆的であった。

2日間にわたる国際カンファレンス「Posthumanities in Asia」では、最近日本でも著作の邦訳が刊行され話題となっているブライドッティ氏とスメリク氏による講演をはじめ、人文学における思考と実践の最前線を捕捉することができ、たいへん刺激を受け、また勉強になった。国際的な学術の場での共通言語である「ノンネイティヴによる英語」に、多少なりとも慣れることができたことも、今回の収穫の一つである。

遺棄された場所について

机周りの片付け中、書棚に戻そうとしてふと中を開いたところ、「abandoned places」論の参考になりそうな章を見つけた。「「空隙都市」東京」と題されたこの論考(初出『JA』1992年)では、経済成長の結果として東京に生まれた特異な領域を「空隙」と名指している。

建築零年

建築零年

 

 

 建物の「空隙」を挟む立面は、道路側の飾られたファサードとは裏腹にまったく何のデザイン的処理もなされず、そこには決まって給排水の配管や空調機が便宜のままに乱雑に露出し、「空隙」のゾーンは滅多に掃除されることもなく放置され、ゴミの堆積するにまかされている。

 この、「人間」からも「空間」からも見放され、打ち捨てられた――あるいは解放された――無数の「空隙」こそ、土地占有の神話と、経済の高度成長とが手を携えて東京に産み落とした比類のない都市的遺産――基盤――にほかならない。 

(上掲書、148ページ)

 

  私が注目するのは、「空間」から排除され、抑圧され、あるいは放置された領域の発見であり肯定である。この領域はいまだ名付けられてはいないが、明らかに「空間」とは異なるものとして、とりあえず仮に「空地」「空洞」「空隙」と呼ぶことにする。(上掲書、151ページ)

 

ゴールデン・ウィークもそろそろ終わりが見え始めた頃、アーツ千代田で開催中のシド・ミード展に行ってきた。
https://sydmead.skyfall.me

そのうち(いつ?)書こうと思っているのが、日本の1980年代サブカルチャーにおける廃墟モティーフの話なので、映画『ブレードランナー』の美術をはじめ、「サイバーパンク」ブームの牽引者だったミードにも触れておこうかと。

会場にはARを利用した展示の仕掛けもあり。すべて手書きと手塗りによるハイパーリアリズムの画力がまずは凄まじく(若描きとその20-30年後の作品を並べても、画風も技法もほとんど変わっていないのも凄い)、また「そうそう、私が物心ついたくらいの頃の「未来のイメージ」って、こんな感じだったよね」というノスタルジアもあって、さほどミードについて予備知識がなくても楽しめた。

明暗のコントラストが強く、宇宙空間とも朝焼けとも夕焼けともつかない不思議な色合いの空の表現も、1980年代的というか、ハイパーリアリズムと合わせて、ラッセンにも通じるものがあるように見える。

 会場には随分と若い人が多いと思ったら、ミードは「∀ガンダム」のメカニック・デザインも手掛けていたと知る。(照明落下事故がニュースになった六本木のディスコ「トゥーリア」は、シド・ミードによるインテリア・デザインが売りだったらしい、というトリヴィアルな知識はあっても、彼が日本の90年代アニメに関わっていたことは知らなかった。)

肝心の「1980年代のサイバーパンクブーム」については、実はさほど収穫がなかったのだが、こういうメカニック・マニアの世界には普段あまり触れる機会がないこともあり、新鮮で面白かった。

 

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アラン・レネ『去年マリエンバードで』を観る。冒頭のナレーションとカメラワークからして、圧倒的な「建築映画」だ。壁面を伝うロカイユ模様や格間の装飾のクロースアップ、たびたび映し出される庭園の透視図、鏡の間、そして整形庭園。ドラマを繰り広げる人間たち以上に、建築物と庭園が主人公にみえる。

 

鏡の効果。

 

鏡越しの会話(果たして二人の視線は交わっているのだろうか?)

 

整形庭園、シンメトリー。

土曜日の夕方、仕事はちょっと脇に置いて、国立西洋美術館の「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ ピュリスムの時代」展へ。ジャンヌレがル・コルビュジエになるまで(1910年代〜30年代初頭)の、オザンファンとの協働関係からキュビスムの影響を経て、初期の代表作サヴォア邸へという流れ。

ジャンヌレ時代の絵画作品をまとまった点数見られるだけでなく、同時代の画家や画商たちとの交流や、絵画作品と建築作品との関係についても浮かび上がってくる展覧会。「豆腐」のような白い立方体の存在感が気になっていた作品、《暖炉》の実物と習作が見られて良かった。

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拙論「世界解釈、世界構築としての建築の図的表現:J. -N. -L.デュランの『比較建築図集』と『建築講義要録』から」がリポジトリ公開されました。2017年と2018年の表象文化論学会大会での口頭発表を加筆修正したものです。

permalinkhttp://doi.org/10.18909/00001907

書誌情報:小澤京子「世界解釈、世界構築としての建築の図的表現:J. -N. -L. デュランの『比較建築図集』と『建築講義要録』から」、『和洋女子大学紀要』第60号、2019年、1-11ページ。