遺棄された場所について

机周りの片付け中、書棚に戻そうとしてふと中を開いたところ、「abandoned places」論の参考になりそうな章を見つけた。「「空隙都市」東京」と題されたこの論考(初出『JA』1992年)では、経済成長の結果として東京に生まれた特異な領域を「空隙」と名指している。

建築零年

建築零年

 

 

 建物の「空隙」を挟む立面は、道路側の飾られたファサードとは裏腹にまったく何のデザイン的処理もなされず、そこには決まって給排水の配管や空調機が便宜のままに乱雑に露出し、「空隙」のゾーンは滅多に掃除されることもなく放置され、ゴミの堆積するにまかされている。

 この、「人間」からも「空間」からも見放され、打ち捨てられた――あるいは解放された――無数の「空隙」こそ、土地占有の神話と、経済の高度成長とが手を携えて東京に産み落とした比類のない都市的遺産――基盤――にほかならない。 

(上掲書、148ページ)

 

  私が注目するのは、「空間」から排除され、抑圧され、あるいは放置された領域の発見であり肯定である。この領域はいまだ名付けられてはいないが、明らかに「空間」とは異なるものとして、とりあえず仮に「空地」「空洞」「空隙」と呼ぶことにする。(上掲書、151ページ)