都市というテクストと作品というコンテクストの相互作用

ウェブ検索でたまたま見つけた次の論文、「都市というテクストのコンテクストとしての作品」という視点が提示されていて、示唆を受ける。

渡辺裕「「文学散歩」と都市の記憶 : 本郷・無縁坂をめぐる言説史研究」、『美学藝術学研究』第35号、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美学芸術学研究室、2017年:https://doi.org/10.15083/00047661

作品というテクストが最終的な審級として存在し、都市の方はそれに付随する副次的なコンテクストにすぎないならば、文学散歩はせいぜい、背景を知ることによって作品の味わいを増す程度のものだということになろう。しかしながら、作品と都市の相互作用のメカニズムを明らかにしようというわれわれ の立場からするならば、文学散歩は、作品を現実の都市と結びつけ、重ね合わせる体験のできる貴重な場であり、そこにおいて作品がコンテクストとして都市というテクストの表象を豊かに作り上げてゆくと同時に、今度はその体験が作品の側にも投げ返され、その表象を変えてゆくというダイナミックな関係が、まさに生み出される場にほかならない。そのあり方を具体的な歴史相の中で捉えてゆくことによって、芸術作品が都市の記憶の形成に関与するメカニズムを最も端的に示すことができるのではないだろうか。別の言い方をするならば文学散歩は、文学作品という背景との関わりの中で都市の表象を作り出し、また都市という背景との関わりの中で作品の表象を作り出すことによって、それらをわれわれの記憶に刻み込んでゆく触媒装置として機能しているのである。