Bunkamuraザ・ミュージアムの「マン・レイと女性たち」展へ。

著名な写真(《ガラスの涙》、《アングルのヴァイオリン》、ココ・シャネルのポートレイト……)やレディ・メイド作品(メトロノームに眼の写真を貼り付けた《破壊されるべきオブジェ》、アイロンに棘を貼った《贈り物》)、ソラリゼーションなどは講義でもよく紹介していたが、彼の活動の全貌については、ほとんど知らなかったことに気づく。デッサン、油彩画や版画(エッチングリトグラフ)、ブロンズなどの立体作品、さらにはアクセサリーのデザインも手がけていたことを知る。ウクライナベラルーシユダヤ人の移民2世で、マン・レイは第二の名前であることも初めて知った(ペンネームというわけではなく、一家で苗字をレイに変えたとのこと)。

自身(の名)をずらすこと、ずらす身振りによって「謎」を提示すること。自身(の記号や代理物)を用いて遊戯をすること、などについて考えさせられる。(マン・レイのモノグラフィー研究でもシュルレアリスム研究でも、すでに散々論じられていそうではあるが。)「謎」は謎であることが明らかだからこそ、解くべき「謎」たりうるのであって、完全に隠匿されていれば「謎」ですらない。「謎があること、謎であることの顕示」に、マン・レイは長けていたと思う。

マン・レイの写真には、マネキンや彫刻を写したものも多いが、それと同時に、「人間を人形や彫刻のように写している」ように思われる。身体の一部分を切り取った作品(女性の臀部をクロースアップした《祈り》など)でも、ポルノグラフィックだとかエロティックでは決してなく、ただ物質や表面のマティエールがそこにあるという感じ。ソラリゼーション技法や、ゼラチンシルバープリントの質感が、いっそう彫刻的・人形的な質感を強調しているのかもしれない。

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