メモ:ピュグマリオン伝説における「接触」と「見ること」

オウィディウス『変身物語』が伝えるキュプロス王ピュグマリオンの伝説
彼女たち[引用者註:ウェヌス神への不敬から史上初の売春婦にされ、最後は石へと変えられたプロポイトスの娘たち]が汚辱のうちに生活を送っているのを見たのが、ピュグマリオンだった。その結果、彼は、本来女性の心に与えられている数多くの欠陥にうんざりして、妻をめとることはなしに、独身生活を送っていた。が、そうこうするうちに、持ち前のすばらしい腕前によって、真っ白な象牙を刻み、生身の女ではありようもないほどの容姿を与えたまではよかったが、みずからのその作品に恋を覚えたのだ。その彫像は、ほんものの乙女のような姿をしていて、まるで生きているように思えたし、もし恥じらいによって妨げられなければ、動き出そうとしているようにおもわれた。それほどまでに、いわば、技巧が技巧を隠していたのだ。ピュグマリオンは呆然と像を眺め、この模像に胸の火を燃やした。
オウィディウス『変身物語』中村善也訳、岩波文庫1984年、73-74ページ。)


接触」という契機の重要性:ピュグマリオンは度々、この象牙像が柔らかい肉であるかのような錯覚を覚え、触れたり、口づけを与えたりする。ウェヌスの祭日に彼は「象牙の乙女に似た女」を妻として所望し、叶えられる。肉体を与えられた像を何度も「触る」ことで、ピュグマリオン受肉を確認する。
Cf. ヴィクトル・I.ストイキツァ「ピュグマリオン神話は、触覚的な名の下に視覚的なものに挑戦する 」(ヴィクトル・I.ストイキツァ『ピュグマリオン効果』松原知生訳、ありな書房、2006年、335ページ)。ストイキツァは、ピュグマリオンによる反復的な「触知」に「彫刻という行為」とのシンメトリーを見出し、この「触れること」に「創造的(モデリング)」、「知覚的(真実の証明)」、「エロティックな性質(愛撫)」の三つの審級を認めている(同書、31-32ページ)。

ピュグマリオンは、家に帰ると、自分が作った乙女の像に駆け寄った。寝床の上にかがみこんで、口づけを与えた。像は、何だか暖かいように思われた。ふたたび、口づけをする。手で胸に触れたりもする。そうすると、象牙が柔らかくなり、固さを失って、指に押さえられてへこむのだ。それは、ちょうど、ヒュメットス産の蜜蝋が、日の光で柔らかくなり、指でこねるといろんな形に変わり、こねまわされるということで、自在な形になりうる――ちょうどそんなふうだった。[…]恋いこがれるピュグマリオンは、何度も何度も、手で、彼の祈りの対象であった乙女を撫でさする。まぎれもない、人間のからだだった。親指で押さえると、血管の鼓動がわかるのだ。[…]そして、とうとう、ほんものの唇に、唇を重ねる。乙女は、口づけに気づいて顔を赤らめ、おずおずと目をあげて、日の光を仰ぎ、恋いこがれるピュグマリオンと、大空とを、同時に見た。
オウィディウス、上掲書、76-77ページ。)


もっとも『薔薇物語』(13世紀)に引用されているピュグマリオンの挿話では、彫像の「受肉」後になされる確認はむしろ視覚優位(「眺めるregarde」、数度反復される「見たveit」)であり、その後に「近寄って確かめる(se trait près e s'asseüre)」がくる 。(ギョーム・ド・ロリス、ジャン・ド・マン『薔薇物語』篠田勝英訳、ちくま文庫、2002年、341-342ページ。Guillaume de Lorris et Jean de Meung, Le roman de la rose, tome 5, Paris : Firmin-Didot, 1924, p. 72-73. [Gallica, ark:/12148/bpt6k51555])