秋雨の降る中、上京していた母と共に国立西洋美術館松方コレクション展へ。松方幸次郎の経営していた川崎造船所の経営破綻に伴う作品の散逸や、ロンドンの保管倉庫の火災による焼失などで、コレクションの全容は不明とされてきたけれども、2016年にロンドンで1,000点近い作品リストが見つかったのをはじめ、今日ではだいぶその概要が分かってきたようである。展覧会は、松方コレクションの目玉となる「名品」(ゴッホの《アルルの寝室》など)のほか、松方の書簡やロンドンで発見されたコレクション・リストの一部、画商や所有者の経緯の辿れるカンヴァス裏面の貼り紙など、美術コレクションという制度そのものを見せようとするものだった。

松方幸次郎は、そのときどきの「目利き」的なアドヴァイザーの勧めによって作品購入していたとのことで、実際にこのコレクション展を見ても、松方自身が美術に対してどのような好みを持っていたのかがまったく伝わってこない。いくら「素人」でも、いやむしろ「素人」だからこそ、一定の趣味(例えばノスタルジックで情緒的な風景画が好きだとか、分かりやすくロマン主義的な傾向がある、といったような)が反映されそうに思うのだが。唯一「個人」が出ていたのは、自身の事業と重なる船の絵をいくつか集めていたということくらいか。コレクターの内面や主観を感じさせない、不思議なコレクションである。

むしろ、「松方が何を集めたか」よりも、「彼が集めなかったのはどのような傾向の作品なのか」を考える方が、松方コレクションの性質が浮き彫りになるのかもしれない。例えば、作品購入先がフランスとイギリスの画商に集中していたためか、イタリアやドイツなどの作品は、ルネサンス時代のオールドマスター品数点を除けば見当たらない。マティス、スーティン、藤田嗣治、その他イギリスのマイナー画家たちなど、1910-20年代の同時代美術もそれなりに購入していたようだが、キュビスム青騎士ダダイスムのようないわゆる「前衛」の作品は無い、など。(もちろん、今回は展示されていなかっただけかもしれないし、散逸したり焼失したりした収蔵品の中には、この種の作品が一定数含まれていたのかもしれない。近年全貌が明らかになりつつあるという松方コレクションの包括的なリストを見ないと、確実なことは言えないが。)

最後に飾られていた、倉庫での長年の保管によって、カンヴァスの半分が浸蝕されてしまっているモネの巨大な絵画が、何か物質的な迫力――時間が物質を蝕み、それが芸術という人間の営為を無意味なものにしてしまう、その証拠が目の前に物質として投げ出されている――があって凄まじかった。