l'archivistique(アーカイヴス学、とでも訳せばいいのだろうか。archive(s)の語は、英語でも仏語でも通常複数形で用いられる。)の授業で、今度発表しなくてはならず、四苦八苦しているところ。
自分の専門分野に関する「アーカイヴス」の現状や性質・特徴、問題点などを報告するものなのだが、研究対象に関する資料の総体を適切に把握しているか否かという、歴史学研究者としての基礎体力も試されているように見受けられる。
l'épistémologie(方法論基礎?)の講義が延々と基礎文献の紹介だったり、スタージュ(インターン研修)が義務づけられていたりと、こちらの教育(formation=形成という言葉が使われる)はひたすら実践的。文化遺産が潤沢で、またそれが国家戦略ともなっているこの国では、歴史学の一端を担う実務家(conservateur, archiviste, documentaliste...)として即戦力・実戦力となる人材の育成が要請されているのだろう。職業修士課程(Master Pro)と合同のl'archivistiqueの授業は、特に実践的・文献実証的な性質が強い。
「美術史(美術の歴史)」の研究者を名乗るには、調査手続きに関する実践的な知識やノウハウがあまりにも欠けているという自覚があったので、基礎工事の欠落を補うという面で、おそらく良い修行になるだろう。

先週の金曜日には、市立図書館の版画室資料を閲覧してきた。ディジョン・アカデミーの蔵書であった17・8世紀の版画集が、数千冊単位で残っているのだ。この時代の資料に関しては、オンラインカタログはもちろん、検索用のカードすら整備されていない状態。版画集のいくつかをピックアップして作成したらしきリストに基づき、「イタリア風景」の版画が収められている巻を、ひとまず3冊ほど閲覧させてもらう。一枚づつ、あるいは薄い綴じ本として売られていた版画を後で綴じ直したのか、内容はかなりのごたまぜだった。ピラネージの『ローマのヴェドゥータVedute di Roma』シリーズ中の作品も、数十枚あった。
ピラネージの署名が入ったものの中に、イギリスの出版業者(F. Vivares at the Golden-Head in New Port street, Licesterfield)の銘入りの作品があったのだけれど、Luigi Ficacci編(Taschen刊)のカタログレゾネには収録されていない。版画の印刷・販売経路を辿る上で、もしかしたら重要な一点になりうるかも。F. Vivaresでひとまずオンライン検索すると、このようなページが出てきた。18世紀イギリスで風景版画を手掛けていた、版画家兼出版業者といったところか。Licesterfieldの検索では、こちらのpdfファイル一件のみが出てくる。この資料から憶測すると、18世紀のロンドンに存在した地名だろうか?この一点は、作者の表記も面白くて、「A book of Ruins in Rome Design'd on the spot by Piranesi」とある。「その場で描かれた」は、ピラネージより約一世代前のカナレットの謳い文句でもあったわけだが、ことイギリスの受容層にとって、この一種の「現場性」はイタリア風景画に欠かせない要素だったのだろう。ピラネージ自身の署名は、基本的に「主語+述語」の簡潔な構造で、主語部分のヴァリエーションとしては「ピラネージ」「建築家ピラネージ」「騎士ピラネージ」、述語部分は基本的にラテン語(略語)で「これを作った」「これを彫った」「これを描き彫った」など。on the spotはイギリスの業者が(勝手に)加えたのかもしれない。可能性としては、贋作ということもありうるけれど。

ピラネージは卓越した技法と手技の持ち主なので、ある意味では「逸脱者」や「破壊者」ではあっても、その画面構成は緻密で破綻がない。むしろ全く無名の版画家たちが、未熟で稚拙な技法で描くローマ(透視図法が狂ってキュビズム絵画のようになっていたり、装飾のために描き入れた額縁や天上の天使たちが訳の分からないパレルゴン構造を作り出していたり)の方が、妙に生々しい魅力と迫力があるように感じられた。
また、複製図版ではうまく伝わってこないのだが、ピラネージの彫った版画では、描画対象の表面の質感が、とてもリアルなのだ。石が崩れてささくれ立った廃墟の壁は、支持体の紙じたいが本当に毛羽立っているかのような錯覚を起こさせる。インクの黒色もかなり強烈で、近景の影の部分などは本当に「真っ黒」なのだ。光のない黒、事物が見えない状態としての黒ではなくて、なにかもっと物質的な、「黒」という存在そのものという感じ。近景の黒とは対照的に、遠景は線も陰影も優雅にぼかされていて、色彩を使わないメディアでありながら、空気遠近法の表現が巧みで驚く。