廃棄の文化誌 新装版―ゴミと資源のあいだ

廃棄の文化誌 新装版―ゴミと資源のあいだ

 
廃棄の文化誌―ゴミと資源のあいだ

廃棄の文化誌―ゴミと資源のあいだ

 

遺棄された場所(abandoned places)について、ずっと考えている。廃墟や廃屋、その他管理者不明のままに半ば壊れつつ存続している人工的構築物のある場所を包括するための、仮の概念だ。Ruinが古代ギリシア・ローマの遺跡や中世ゴシック寺院の廃墟などの、固有名を持ち歴史化された(さらには後代から文化的な価値を付与された)建造物を、あるいは災厄や大規模破壊(カタストロフィ)、黙示録的終末(アポカリプス)の後に出来した残骸を指すことが多いのに対して、abandoned placeは、より広汎で緩慢な含意――いわば都市の中の空虚や意味の欠落、合法的な管理体制からの逸脱といったような――を持ちうるのではないか。そのように考えているところに、たまたま別件の原稿のために検索した情報から、ケヴィン・リンチの著作『廃棄の文化誌』(原著1990年)で、「廃棄された場所(wastelands, waste places)」なる概念が取り上げられていることを知った。

著者の遺稿を元に死後出版された本書は、様々な事柄が列挙されており、さらには結論部分を欠いていて、明晰な要約を取り出すことが難しいのだが、「廃棄された場所」概念は私自身の規定とかなり近いように思う。今後のための覚え書きとして、いくつか抜粋しておく。

 

 放棄された都市のイメージは、空想科学小説の中によく登場する。そして、その多くは、恐怖と退廃の場所である。しかし、これは、真実を完全に言い当てているわけではない。廃墟の中での生活にも、それなりの喜びはあるからである。壁、屋根、歩道、金属、鋼管、ガラス、機械。有用な素材は豊富にある。その風景は、自然な世界のどこよりも、はるかに茫漠として、自由と危険が混在した、誘惑的なものになりそうである。

(1994年版、48ページ)

 

都市は、廃棄された空間で溢れている。屋上、人のいない建物、放棄された土地、鉄道の待避線、あるいは高速道路の下、その周囲の空間。このような空間は、無用で使用されていないように見えるかもしれない。しかし、詳しく観察してみると、倉庫やゴミ置き場あるいはシェルターなどにふさわしい、周縁的な有用性を備えているのがつねである。

(同上、170ページ) 

 

Waste「廃棄されたもの」は「空虚なもの」「荒廃されたもの」という意味のラテン語vastusに由来するが、vastusは、また「内容のないもの」「無益なもの」という意味のラテン語vanusに近く、vanusは、サンスクリット語では「不足しているもの」「不充分なもの」の意味である。Wasteは、本来「巨大で、空虚で、荒れ果てた、使い途のない、人間に敵対するもの」という意味であった。

(同上、192ページ)

 

廃棄物は、人間にとっては価値がなく、使われないまま、外見上は有用な結果をもたらすこともなく、ものが減少することである。それは、損失、放棄、減退、離脱であり、また死である。それは、生産と消費の後に残る、使用済みの、価値のない物質であり、使われたすべてのもの、trash屑ゴミ、litter残り物、junkガラクタ、impurity不純、そしてdirt不浄をも意味することになる。身の周りを見渡してみると、廃棄されたモノ(廃棄物)、廃棄された土地(荒廃地)、廃棄された時間(無駄な時間)、そして廃棄された人生(浪費された人生)がある。

(同上、193ページ) 

 

廃棄物は、低所得者の居住地、荒れ果てた田園地帯、「開発途上」の国々、地階、屋根裏部屋、裏庭、道路の縁、使われていない敷地、湿地、そして都市の外周という社会の周縁へ移される。今日、巨大な都市は、都市を取り囲んでいたこれらの廃棄された領域と田舎の貧困層を吸収し、都市内の低開発地域と、都市の周縁階層にした。

反抗する者、社会の周縁にいる者、不法入国者にとって、廃棄された土地は避難の場所である。[…]廃棄された土地は、絶望の場所である。しかし、同時に、残存生物を保護し、新しいモノ、新しい宗教、新しい政治、生まれて間もなくか弱いものを保護する。廃棄された土地は、夢を実現する場所であり、 反社会的な行為の場所であり、探検と成長の場所でもある。

都市の内側でも、廃棄された場所は似たような役割を演じる。子供たちは、人のいない空き地で遊んで、しばし大人たちからの管理から解放される。裏通りは、サービスのアクセスや廃棄物を置くために設けられていたが、子供や浮浪者や犯罪者にも使われていた。

(同上、200-201ページ)