サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)

サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)

とある寄稿論文で、博士課程1年目の頃に考えていた「近代日本の文学・図像において、都市が『幻想』『異界』の出来する場となる」というテーマについて取り上げることになりそうなので、まずは内田百�の「東京日記」を再び紐解いてみた。
泉鏡花くらいまでは「深い山」などが異界への通路だけれど、大正期になると都市にぽっかりと「幻」が出現する。その背景には、幻燈や映画など一種の「幻影」を見る体験の一般化、夜の都会を彷徨するという経験の誕生、街燈や夜間列車などどこか非現実的なイメージをもたらすテクノロジーの導入などがあるのではないか、というのが今のところの仮説である。この分野に包括的な知識があるわけではないが、例えばフランスで「幻想文学」の典型といえば、ゴーティエやネルヴァルらによる伝承や神話を下敷きにした「フェアリーテイルconte de fées」ではないだろうか。近代都市に突如として異界への通路が開く、という趣向の背景(ないし基盤)にある、その時代(と地域)固有の心性や認識、知覚のあり方を探りたい。


「東京日記」(初出1938年)は徹頭徹尾、(とりわけ東京の)地名の小説である。三宅坂、日比谷の交差点、お濠(=皇居)、数寄屋橋の川、銀座、有楽町のガードの下、四谷見附の信号、麹町四丁目、半蔵門靖国神社、九段坂、神田の大通、錦糸堀、(東海道線省線電車の乗換駅である)横浜駅、東京駅、丸ビル、市ヶ谷の暗闇坂、四谷塩町、新宿の方角から四谷見附の方へ、仙台坂、天現寺橋麻布十番雑司ヶ谷の森、市ヶ谷見附、小石川原町(植物園の裏)、日比谷の公会堂、神田の須田町、九段方面、湯島切通し、春日町の交差点、本郷真砂町、伝通院、富坂……

同時にまた、電車、自動車、燈火、公衆電話といった、近代的なテクノロジーと結合したモティーフも、異界からの訪問者の出現と隣り合わせて配置されている。無人で走る自動車や、曇ったガラス戸を隔てた向こう側の電話ボックスとの混線といったモティーフは、これらのテクノロジーがもたらす「不確かさ」や「不安」に起因するのではないだろうか。

日常風景と異界との相互侵入は、中間領域とでも呼ぶべき時間帯と空間において発生する。夕暮れ時や月の出た夜、あるいは黒い霧、雨、稲妻といった気象(これらは人間の視覚を朧げにし、また陽光の下で見慣れた風景を異化する作用をもつだろう)、それから都市の中に存在する水辺。このような趣向自体は、中世の説話文学や中国の古典文学にも通ずる、伝統的なものである。1930年代の都市幻想においても、「あわいの領域」は幻想の出来する場として機能している。

「東京日記」の最初に収められているエピソードでは、異界に属する存在である「巨大な鰻」は、日比谷の交差点に止まる電車や、方々の建物の窓から溢れる燈火といったモティーフに象徴される、近代的なオフィス街としての東京と、皇居の濠や石垣に代表される「江戸」的な地形とが接する地点に出現する。


追記:中谷礼仁氏による示唆的な論考「不能なる「私」、「東京日記」論」から

これまで確固とした意味を育み、像を結んでいたはずの近代的な都市や人間の在り方が、作者の緻密な構成によってその意味をはく奪され、根こそぎ問われている。

二つの過去を同時に表すことができる主人公の記憶のメカニズムを巧みに用いることによって、「現実」のなかに「異界」がくりこまれてしまった状態、境界が朦朧となりつつある認識の状態をうかびあがらせている。

[内田百�の「東京日記」は]色々な時代に現れてきた都市の解読者たちのひとつの方法的原型になりえているのではないか。

追記その2:映画を見るというモダニズム的体験もまた、都市における幻想の系譜と親和的だっただろう。百罒は「旅順入城式」(1925年)で、映画内の空間と現実身体とが境界を失って融合するという経験を取り上げる。百罒と親交の深かった版画家、谷中安規の《街の本》シリーズにも「銀座シネマ」と題された一枚が収められているが、彼もまた「カリガリ博士」をはじめとするドイツ表現主義映画に親しんでいたことが知られている。