近代国家の首都[ルビ:キャピタル]の条件を正確に把握していないと〈ミュゼアム〉の意味が浮かんでこない。パリ、北京、東京を比較して、ここに故宮、中央広場、国家的慰霊施設・国会、それに神殿が加わる。故宮が〈ミュゼアム〉になる。ルーブル、北京の故宮がそれにあたる。東京には故宮も神殿もない。宮城がその両者を兼ねている。つまり天皇がみずから〈ミュゼアム〉と神殿におさめる御神体の役を兼ねている。とみれば、近代国家の首都[ルビ:キャピタル]の条件に揃っている。
磯崎新津波前」連載「瓦礫[ルビ:デブリ]の未来」第5回、『現代思想』2017年12月号、9ページ。)

統治する王の身体の代理として、その王の居城を〈ミュゼアム〉に仕立てる。近代国家がその首都に美術館を設立してきた理由でもあるが、いまでは、擬似国家としての都市も企業も、新興宗教も、私的コレクターもそれぞれ美術館をつくりはじめた。あげくにアートが制度になった。本来は制度[ルビ:インスティテューション]がアートであったはずなのに、それが逆転して制度そのものになる。とすればたやすく権力に転化する。
(同上、10ページ。)