18世紀の身体と性の管理

知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)

18世紀における権力の技術にとって大きな新しい様相の一つは、経済的・政治的問題としての「人口」の問題であった。富としての人口であり、労働力あるいは労働能力としての人口であり、それ自体の増大と資源としてのその可能性との間の均衡関係において捉えた人口である。政府は気が付いたのだ。相手は、単に臣下でも「民衆」ですらもなく、「人口」という形で捉えられた住民であって、そこにはそれ固有の特殊な現象と、固有の変数があると。[…]このような人口をめぐる経済的・政治的問題の核心に、性があった。今や分析しなければならないのだ。出生率や結婚年齢を、正当なあるいは不倫に基づく出生を、性的交渉の早熟さや頻度、それを多産にしたり不毛にしたりするやり方、独身生活や禁忌の作用、避妊法の影響――[…]しかし、少なくとも恒常的に一つの社会が、その社会の未来と運命とは、単に市民の数や美徳、結婚のきまりや家族の構成の仕方だけではなく、各人が己が性[ルビ:セックス]を用いるその用い方に結びつけられていると言い出したのは、この時が始めてだ。[…]国家は、市民の性と市民の性の用い方の現状を知らねばならないが、市民の方も各人が、性の用い方を自分でコントロールできなければならない。国家と個人の間で、性は一つの賭金=目的に、しかも公の賭金=目的になった。言説と知と命令の大きな一つの網の目が、性を取り込むことになったのだ。
(上掲書、35-36ページ。)

レティフ・ド・ラ・ブルトンヌの『ポルノグラフ』や、ルドゥがその理想都市計画において構想した若者のための性的情念馴致のための施設「オイケマ」、サドの「放蕩の館」計画、その他同時期に湧出した公娼制度論の背景を押さえるための基本文献として。