ユートピア主義の哲学者が善というとしを建設するときと同じ純真で労をいとわない一貫した精神で、サドは、廃墟と焔の建物を建てる。彼の作品は、批評であるというよりもむしろユートピアである。裏返しのユートピア
オクタビオ・パス『エロスの彼方の世界――サド侯爵』西村英一郎訳、土曜美術社出版販売、1997年、30ページ)

人間は動物のなかに自分を見るが、動物は人間のなかに自分を見ない。動物の性の鏡に自らを映して眺めるとき、人間は、自分を変え、性を変える。エロティシズムは、性そのものではなくて、想像によって変形された性、すなわち、儀式、劇場である。それゆえに、エロティシズムは、逸脱や背徳から分かつことはできない。自然なエロティシズムという言い方は、不可能であるばかりか、動物的性への逆行であろう。
(同上、106ページ)

エロティックな儀式は、構成であり、その構成は同時に演戯である。それゆえ、その儀式においては、裸になることも変装、仮面である。
(同上、114ページ)