埼玉大学ヨーロッパ文化特殊講義

第5回:書物の中の都市/書物としての都市―ルドゥー、サド、ビュトール

書物について―その形而下学と形而上学

書物について―その形而下学と形而上学

1)視覚によって感知されるオブジェとしての書物:
ポール・ヴァレリー「見られたテクストと、読まれたテクストとは全く別個の二つのものになる*1
[図版1]ギョーム・アポリネールの「視る詩」『カリグラム』1918年。
[図版2]ロベール・マッサンのタイポグラフィー遊戯、ウジェーヌ・イヨネスコ『禿の女歌手』1950年のグラフィックデザイン
書物を「造形作品」「空間芸術」とする試み=リーヴル・ダルティスト(livre d’artiste):1960年代に登場。書物の形態を利用し造形芸術作品を作る試み。ビュトールに影響。
[図版3]ミシェル・ビュトール による「書物」:ジャン=ルー・ステインマンのドキュメンタリー『フランス文学小史』2007年より*2
[図版4]渡辺英司《蝶瞰図》(部分)2007-2008年、うらわ美術館「これは本ではない―ブック・アートの広がり」展より。
[図版5]Evguenia Jokhova, The Reading Fly(読書は飛翔する/読む羽虫/本の見返しの遊び紙), 2008.


2)建築としての書物/書物としての建築
ヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』初版1831年、決定版1832年:建築物を「書物」として読むこと/書物が建築に取って代わることの予言
[図版6]アルフレッド・バルブーによる『ノートル=ダム・ド・パリ』の挿絵(1882年)と、ユゴーが描いたクレクソグラフィー(染み絵)技法による建築物(《街》1866年)。

司教補佐はトゥーランジョーのほうを向いて、ことばをつづけた。[…]「だが手はじめにまず、大理石につづられたアルファベット文字、つまり秘密の書物の石のページともいうべきものを順々に読む方法をお教えしましょう。ギヨーム司教の正面玄関やサン=ジャン=ル=ロンの正面玄関からサント=シャペル礼拝堂へ、それからマリヴォー通りのニコラ・フラメル邸へ、つぎにサン=ジノサン墓地にある彼の墓へ、モンモランシ通りの彼の二つの施療院へとご案内しましょう。*3

「いやはや!先生の言われる書物とはいったいなんのことなのですか?」
「ここにその一冊が見えます」と司教補佐は答えた。
そして部屋の窓を開けると、ノートル=ダムの巨大な聖堂を指差した。[…]司教補佐はしばらく黙ってその巨大な建築物をながめていたが、やがて溜息をひとつつくと、右手を、テーブルにひろげてあった書物のほうへ伸ばし、左手を、ノートル=ダム聖堂のほうへ差し出して、悲しげな目を書物から建物に移しながら言った。
「ああ!これがあれを滅ぼすだろう」 *4


2° ジョリス=カルル・ユイスマンス 『大伽藍』1898年

しかし、と突然デュルタルはひとりごちた、もし私の説が正しいとすると、それだけでカトリシズムの全域を象徴できる建築、旧約と新約とを総合した「聖書」を代表する建築は、尖頭式ロマネスク、あるいは、なかばロマネスク様式、なかばゴシック様式の過渡的建築ということになろう。何ということだ、とデュルタルは呟いた。まったく予期しなかった結論に到達してしまったのである。そうした対応関係は、何も強いてただ 一箇の教会堂の中に求められる必要もないのではないか。「聖書」が全一冊にまとめられる必要もないのと同様に。このシャルトルの教会でも、たしかに書物は別々の二巻本になってはいるが、作品はみごとに総合されているではないか。なぜなら、ゴシック様式の伽藍を下から支えているのは、まさにロマネスク様式の地下祭室なのだから。*5
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結局は、とデュルタルはふたつの塔にはさまれた扉口、西正面の王の扉口の前に来た時呟いた、結局はこの壮大な、総計七百十九箇の彫像を持つ羊皮紙、文字の下に実は更に消されてしまった古い文字の眠っているこの伽藍の羊皮紙も、ビュルトオ神父が伽藍研究に当って用いた鍵を使えば、たやすく解読することができるはずだ。*6
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c.f.フランス19世紀〜20世紀前半の文学における「大聖堂」モティーフの支配:ユゴープルースト*7ユイスマンス。書物において「大聖堂を建てる」試み。19世紀には、ゴシック様式の聖堂は(カトリシズムと同時に)ナショナルな意識とも結合(フランス固有の起源としてのゴシック建築)。


3)書物の中の都市/書物としての都市
テクストの中で都市の景観や構造が描写されている、というのみにとどまらず、書物の物質的・形態的な構造が一種の都市空間を構成している。またはナラティヴの構造が都市空間の広がりやその中に在る身体を示唆する。

以下の三名による書物を例として取り上げる。
1° クロード=ニコラ・ルドゥー (1736-1806)『芸術・習俗・法制との関係の下に考察された建築 』パリ、私家版、1804年(以下『建築論』と略称):ユートピア都市を巡る紀行文、フリーメイソン的世界観を体現した都市空間、テクストとイメージ(挿図)との連携から生じる身体感覚。
c.f. 「紙上建築(ペーパーアーキテクチュア)」の系譜:絵画・版画・書割り(もしくは現代のサイバースペース)など二次元のメディアに、仮想的に「建築物をつくる」試み。
マルキ・ド・サド 『ソドム百二十日』1785年:隔絶された城館への道のり、牢獄への下降。
ミシェル・ビュトール『時間割』1956年:時間性、章立ての持つ幾何学性。


☞以下では、ルドゥー(1°)の『建築論』に焦点を当てつつ、同時代人のサド(2°)や、「書物と都市」というテーマに因んだ独創的な文学作品を著しているビュトール(3°)を比較対照として取り上げる。
ルドゥー『建築論』:挿図入りのユートピア旅行記/建築物の百科事典ないし美術館としての機能
c.f. [図版7]ジャン=ニコラ=ルイ・デュラン『比較建築図集』第1巻、1800年 :様々な建築物の紙上博物館。
c.f. シャルル・ノディエ、アルフォンス・ド・カイユー、ジュスタン・テロール男爵『いにしえのフランス ピトレスクでロマンティックな旅』1820-78年 :文と図による建築巡りの仮想旅行。
[図版8]『いにしえのフランス…』扉頁とヴィオレ・ル・デュクによる石版画《カルカッソンヌの城》。


★境界としての扉絵(フロンティス・ピース)
[図版9]C.-N. ルドゥー (彫版 C.N. ヴァラン) 『建築論』フロンティスピース。
[引用]アンソニー・ヴィドラー「(『建築論』のフロンティスピースは)建築物の開口部のように、読者を書物の内部へと誘う…*8
・内外の交通はむしろカリアティド(女体柱)の掲げ持つドレープによって阻まれている。
・敷居の上から滑り落ちそうになっている建築図面→観者/読者の空間と書物内の空間を連結。(「騙し絵/トロンプ・ルイユ」の系譜に頻出する。)


★「一人の旅行者」
[図版10]ルドゥー『建築論』原著より:「一人の旅行者」=語り手=主人公≒作者(作者を連想させる「建築家」)
・『建築論』が基本的に採用する、一人称によるナラティヴ:17世紀〜18世紀に普及(随筆→小説)e.g. ラ・ロシュフコー『回想録』1662年/デフォー『ロビンソン・クルーソー』1719年。
[引用]モンテスキュー「(一人称は)情念について反省するようにし仕向けるというより、むしろ情念を感知せしむる*9」。
・『建築論』冒頭で語られる旅程=主人公の冒険譚(ショーの理想都市へのイニシエーション的入場)であると同時に、フリーメイソン流の世界観の反映(四大元素、光と闇)であり、またアルケ・スナンに実現した王立製塩所の平面構造[スライド]をなぞってもいる。


★サドの「城塞=牢獄」とルドゥーの「都市」
サド『ソドム百二十日』:隔絶された場所に存在する一種のユートピア、そして「語り(ナラティヴ)」が暗示する視点と身体の移動:『ユートピア』や『太陽の都』、『ガリヴァー旅行記』、『ロビンソン・クルーソー』などの系譜。
形状:幾重もの自然の障壁(登攀は困難を極める高い山、大地の亀裂、垂直の岩壁)、さらに外壁と深い堀に囲まれた、人里離れた城館(閉鎖空間)が舞台となる。
語り:全景を見渡す視点に立つ、第三者による語り。物語の舞台であるデュルセの城館に至るまでの臨場感ある風景描写は、旅行記とも通底。

(『ソドム百二十日』の描写)
ひとたびこの城門が閉まると、シリング城と呼ばれたデュルセの城館に足を踏み入れることがいかに困難となるかは、以下の描写によって如実にごろうじあられたい。炭焼き部落を過ぎると、まずサン・ベルナール峰と同じくらい高い山をよじ登らなければならない。[…]こうしてたっぷり5分かかって、ようやく山頂に達すると、またしても新たな奇観が目の前にあらわれる。*10

(ベアトリス・ディディエによる『ソドム百二十日』分析)
サドは作中の人物をかならず長い道のりをたどらせてから、城のなかに入らせる。そして読者はいつもまずはるか遠くから威圧的で恐ろしい城の全体像を見せられ、その後で迷路のようにいりくんだ城内を案内される。*11


…次々に出現する城壁の描写がくる。[…]城はそのなかに広大な空間をかかえこんでいる。しかしこの空間はサドにおいては本質的に垂直であって、しかも下降する空間である。[…]作中の人物は塔にのぼるより、地下室に下りる方がはるかに多い。[…]作中の人物、それに読者がいったん城の中に入ると、恐るべき深淵が口を開けているばかりだ。深いからこそ地下の牢獄まで下りて行けるのはもちろんであるが、同時に死のイメージに下降して行くことにもなる。城は墓なのだ。*12

c.f.[図版11]アンソニー・ヴィドラー作成「シリングの城館に向かう道のりのダイアグラム」*13
・サドにおける主体の孤立性←→ルドゥーのコミューン性、旅の随行
・権力の眼差しが中央に位置するという構造:[図版12]『ソドム百二十日』の劇場的空間=[図版13]王立製塩所《監督官の家》のパノプティコン機能
・隔絶された内奥へと進み地下へと降下:サド=墓、犠牲者の死へと向かう旅←→ルドゥー=イニシエーション、再生。
c.f.[映像]ピエル・パオロ・パゾリーニ 『ソドムの市』1975年:サドによる空間のパゾリーニによる新解釈(サド的な暴力性を、ファシズムによる暴力と重ね合わせる)。モダンでフラットな邸館内の空間。


★道のりとしてのナラティヴ:ヌーヴォー・ロマンとの比較
ヌーヴォー・ロマンビュトール)作品:作中の登場人物が都市空間を彷徨・旅行する→語りによって、作中に都市空間が生起する、読者は書物内の空間を登場人物と共に(想像上で)進む。ビュトールらが作中で自覚的に行っている操作→ルドゥーの『建築論』で(無意識的に?)先取りされている。
ビュトール『時間割』(1956年) :主人公ルヴェルは就職のため初めてやって来たブレストンの街を、道に迷いながら歩き回る。小説のナラティヴは、ルヴェル(一人称の主人公)がブレストン到着の7ヶ月後から、日記形式で過去を回想し記述するという体裁で展開。回想の時系列は、順行(月初→月末)したり遡行(月末→月初)したり、6月の出来事と11月の出来事が交互に語られたりする。(回想を記した日付と、そこで語られている出来事の日付は一致しない。)空間と時間の両面において、読者を混乱させるような迷宮構造を持つ。
ビュトール『心変わり』(1957年) :主人公はパリからローマ行きの列車に乗り、ローマの街を恋人と歩き回る。克明な描写によって、パリ=ローマ間の空間移動、またローマの都市空間が想像的に再現される。語り手が主人公を「きみ/きみたち(vous)」と二人称で呼ぶ:ビュトール「一人称と三人称の中間の形式にある内的独白が必要だった」。

★世界のモデルとしてのイラストレーション:『百科全書』と『建築論』
・等角(等軸)投影(アイソメトリー)に近い透視図:[図版14]ルドゥー《樵夫の家》『建築論』とルイ=ジャック・グーシエ(ベランの下絵に基づく)《ロシュフォールの造船所》『百科全書』。
・[図版15]断面図:ルドゥー《監督官の家の断面図》 『建築論』1804年。
←世界を視覚的に掌握するための縮小模型としてのイラストレーション、書物はそれを配列・展示したミュージアムと化す。

多木浩二『比喩としての世界』より)
『百科全書』の図版は、哲学者や一般の人びとには理解できない技術的な「もの」の仕組みをいかに見えるものにするかが知識の獲得である、という考え方に立って示されている。隠されたものがあってはならない。[…]機械が「模型」に見えるのも、このような行動や漁業の図が博物館のパノラマに見えるのと同じである。つまり『百科全書』の図版は、見えるものとして産業や技術、自然を展示する博物館のモデルをつくっていたことになる。*14
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・しかし『建築論』でも『百科全書』でも、世界を遍く捕捉し描写したいという欲望は、言語と図像がもつ情報伝達媒体としての不完全さの前に失効する(ディドロの「靴下編機」説明)。
→ルドゥーは『建築論』を「ディドロの『百科全書』とアレクサンドル・ルノワール 流のミュージアムとの間 」に位置付けていた。
・ルドゥーにおいては「分類と展示」の思考体系を規定する秩序は希薄←→『百科全書』。

*1:ポール・ヴァレリー「書物および稿本について」渡辺一夫佐々木明訳、『ヴァレリー全集10 芸術論集』筑摩書房、1967年、280ページ。

*2:一部はYouTube上で試聴可能。http://www.youtube.com/watch?v=8yPSFJFf7VA(2011年5月26日閲覧)

*3:ヴィクトル・ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』辻昶・松下和則訳、新潮出版社、2000年、175ページ。

*4:同上

*5:J.K.ユイスマンス『大伽藍』出口裕弘訳、光風社出版、1985年、40ページ。

*6:同上、142ページ。

*7:プルーストの著作『失われた時を求めて』に登場する「大聖堂」モティーフについては、次の本格的な学術研究がある。黒岩俊介『聖堂の現象学プルーストの『失われた時を求めて』にみる』中央公論美術出版、2006年。

*8:Anthony Vidler, Claude-Nicolas Ledoux : architecture and social reform at the end of the Ancien Régime, Cambridge, Mass. : MIT Press, 1990, p.379.

*9:Jean Rousset, Forme et signification (1962), 6. tirage, Paris, 1973, p. 67.

*10:マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』澁澤龍彦訳、河出文庫、1991年、69-70ページ。

*11:ベアトリス・ディディエ「内部の城」山辺雅彦訳、『現代思想』vol. 6, no. 2, 1978, 80ページ[Béatrice Didier, Sade, essai, Paris : Denoël/Gontier, 1976]。

*12:同上、81ページ。

*13:Anthony Vidler, The Writing of the Walls : Architectural Theory in the Late Enlightenment, Princeton: Princeton Architectural Press, 1987, n.p.

*14:多木浩二『比喩としての世界:意味のかたち』青土社、1988年、277-278ページ。