パリの廃墟

パリの廃墟

図書館の地下書庫で、偶然背表紙の文字が目に飛び込んできて借りた一冊。1970年代のパリという都市の内外に、「廃墟」的な空間(一種のテラン・ヴァーグ?)を見出す、明確な目的地を持たないような散歩者の眼差しが描き出される。訳者の堀江敏幸氏も指摘している通り、この『パリの廃墟』ではときどきの空の相貌が、独特のうつくしい形容で描写されるのだが、レダにとっては「空」もまた、「廃墟」同様に都市の中に開けたヴォイドなのかもしれない。
現在構想中の、1980年代日本の「遺棄された場所(abandoned places)」のイメージとも通ずるモティーフである。

メモ:p. 50空き地(これらの空間の半分は放置されるべき) p. 85工事現場(「死海」が眠る巨大な穴、瓦礫の積みあげられた途方もなく大きな山) p. 190廃線(レールの枕木は消えたが、カーヴだけが残っている。「もちろん私にはどんな物音も聞こえないし、もちろんなにも起こらないし、これからもなにひとつ起こらないだろう」)
p. 208訳者あとがき、パリの再開発という時代背景、レオン=ポール・ファルグ『パリの歩行者』(1939年)やボードレールパリの憂鬱』との共通性とレダの特異性など。

ただし、レダは歴史と時間の堆積した空間を葬り去るこうした仕業を真正面から批判するわけではなく、かといって避けがたい事態だと容認するわけでもなく、じつに微妙な仕方で、その崩れかけた空間のなかに、あたらしいなにかを見出そうとする。大手企業の向上が取り壊されたあとの瓦礫の山、かつてパリをぐるりと取り巻いていた小環状線廃線と切り通しの土手に生える雑草、空き地にできた油の浮かぶ水たまり、日曜日のがらんとした住宅街。こうした「廃墟」をさまよう詩人は、いつも眼の前に「青い扉」を探し求め[…](208ページ)

堀江氏の訳文もまた淡々と静かにうつくしく、慌ただしい日々のなか、束の間の「愉楽読書」の時間となった。