世界の認識と書物の形式

ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化

ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化

メモ:スタッフォード『ボディ・クリティシズム』217-240ページ。
・引き裂かれた経験や知的体系の「傷」を可視化し、あるいは包帯を当てたテクストの視覚的形式が発生。一例がピエール・ベール(Pierre Bayle)の、「ポリフォニックなコメンタリー」を付された『歴史批評辞典』1697年。(Gallicaのリンク

・世界の把握と再表象の特権的な場としての書物。18世紀における、恣意的に無関係な語を連結することによる「テクストの統一性」の破壊。
・ばらばら(dismembered)でちぐはぐ(mismatch)な情報を、テクストやヴィジュアルで百科事典的に提示する=satire(雑録詩)
ベール以外の例として:
ケリュス伯『エジプト、エトルリアギリシア、ローマの古遺物集成』1752-1767年(Gallicaへのリンク
イーフレアム・チェンバース『百科』(1738年)フロンティスピース「視の総和」

G.B.ピラネージ『カピトリーノの石』(1761年)表題ページおよび「ローマ断片」


(添付した図版はすべて上掲書より)


☆18世紀のテクストとヴィジュアル・イメージに「断片性、異種混淆性、不調和や多重性」を見い出すのは、今となっては18世紀西欧文化論の王道になった感がある。(この『ボディ・クリティシズム』が原著1991年刊行、エリザベス・ワニング・ハリスの『The Unfinished Manner』が1994年、リンダ・ノックリンの『The Body in Pieces』は2001年だから、1990年代の潮流だろうか。)現在、スタッフォードのこの部分での指摘で刺激的なのは、書物のレイアウト(本文とそのパレルゴンとしての脚註、図版とそれを説明するテクストとの対応関係、ページ内に配置されたイメージ相互の関係性……)にも分析の眼を向けているところであろう。