切り貼りされた草稿とメタ・イメージ

絵を書く

絵を書く

何かヒントが転がっていないかと捲ってみた『絵を書く』、桑田光平氏の論考「メディウムとしての写真」に面白い図版を見つける。ロラン・バルト『明るい部屋』の最初の手書き草稿と、そのトランスクリプション。トランスクリプション内の経線で囲まれた中央部分は、手書き草稿では後から紙切れを糊付けして加筆した部分(紙片は左端のみが草稿の余白部分に糊付されており、下に書かれた文章も読むことができる)に対応しているという。バルトの草稿の形式それ自体についての分析は、この論考ではなされていないが、「コラージュ」、「テクストの配置がもたらすメタレベルでの相互言及」、「ダイヤグラム」といった問題系を考える際に、面白い題材になりそうだ。


(図版は上掲書150-151ページより)


ここでは、初めに書かれたテクストの上に別のテクストが糊付されるが、しかし紙片を捲ることによって第一のテクストは可読的になる。余白部分に加筆された草稿は多いし、このバルト草稿にも「余白への加筆」が見られるが、この糊付部分は「同一平面上に存在する『枠外』のテクストが、『枠内』のテクストを補い、修正し、あるいは否定する」ような関係には置かれていない。紙片に書かれた加筆部分と、その下に隠された文章とを同時に視界に収めることは、二つのテクストが物理的に重なり合う関係に置かれているために、不可能である。


ところでピラネージの版画作品には、端の捲れ上がった小紙片というモティーフが頻繁に登場する。

ピラネージにあってはトロンプ・ルイユ(騙し絵)という遊戯的な趣向であったものが、バルトの草稿においては文字通りに具現化されているというべきだろうか。


枠内に書かれた(描かれた)情報に対する枠外からの干渉、という点では、先日赴いた「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(http://www.tbs.co.jp/leonardo2013/)で展示されていた、セバスティアーノ・レスタ神父の素描コレクション(アンブロジアーナ図書館所蔵)の内の一点も面白い。


(ザノービ・ラストゥリカーティ帰属「ミケランジェロの葬儀用モニュメントのための設計案」1564年、ペン等による素描、欄外にレスタ神父による註釈。
出典:展覧会カタログ『レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像』2013年)


素描そのものに描かれている葬儀用モニュメントも、生前のミケランジェロパトロンの姿や代表作ダヴィデ像が、「描かれたモニュメント内に描かれたレリーフ」という入れ子構造で表現されており、これ自体がメタ構造をとっている。だがそれ以上に、枠外に付されたレスタ神父によるメモ書きが、石碑やカルトリーノ、リボンといういわば騙し絵的形態をとって描かれていることが目を引く。「枠内」に置かれている素描の世界と親和性を保ちつつ、それを外部から俯瞰的に説明するための仕組である。表象レベルの複数性が、ここでは示唆的な形で現れ出ている。