挿図入り書籍の発展史

西村清和『イメージの修辞学――ことばと形象の交叉』三元社、2009年、第8章に概略史が記されている。もっともルネサンス期の聖書と、シェイクスピア以降のいわゆる「近代小説」や戯曲集が議論の中心。建築書や考古学関連の書籍(実際には、特定の地方ーーエジプト、ギリシア、ローマなどーーを巡る旅行記・見聞録の体を為しているものも多い)、自然科学書などには目配せされていない。

とりわけ近代の挿絵は[…]クリンガーもいうように、細部を省略し明暗の効果を強調することで、「強力な主観性」の表現と「詩化する特性」をもつ素描や版画こそは、近代リアリズム小説の画像化にもっともかなったメディアであるだろう。
(318ページ)

→テクストの内容や性質に随行して変遷するイラストレーションの特質

・中世以来:写本ミニアチュール
・1450年前後(活版印刷の開始):本文と挿絵をひとつの版木に彫る木版本(block book)の制作が、オランダを中心に半世紀ほど続く。イギリスでは挿絵のページのみ木版が用いられる(国・地方によって印刷術の慣行が異なる)。ほとんどが聖書(宗教主題の書物)。
e.g.ナタリス『福音書物語図解』アントウェルペン、1593年:一画面の中で展開する出来事の時系列順にアルファベットが振られ、欄外に短い説明が付される。
(c.f. コメニウス『世界図絵』(1658年)でも採られている手法)

歴史画においては時代遅れとなっていた異時同図法が16世紀になっても挿絵ではなお用いられており、本文のことばと挿絵とのつよいつながりを思わせる。(319ページ)

ルネサンス〜17世紀:「エンブレム」の時代

アラン=マリ・バシィは、ルネサンスから17世紀まで支配的であったエンブレムに典型的に見られる古いタイプの挿絵を「コード化された図像学的なレパートリーの時代のものである」とし、このようなことばとイメージの関係を隣接性ないし連辞の関係ととらえる。ここではイメージは「ことばと同族(homologue)なものとして、ただちにコード化される一連の「名前のネットワーク」のうちに読み取られる。[…]テクストの優位のもとで、イメージが言語的メッセージと連辞関係を形成するとき、その語りの構造は言語的メッセージの構造と類比的なものとなり、イメージはことばが示す「ひとつの意味=方向(un sens)にそって動く一本の同一の線にしたがう」。それは一挙に解読されるのではなく、書かれた文字と同様に、連続的で不可逆な前進的なやり方で読解される。それは「それに固有の構造の内部に、時間を、そして合理性を引き入れる」。こうしてイメージは、「もっぱら言語的なタイプの修辞学にしたがう」。
(319-320ページ。引用されているのはAlain-Marie Bassy, Du texte à illustration: Pour une sémiologie des étapes, in Semiotica, 11, 1974.

・16世紀半ば以降:特にオランダで主題の世俗化が進む(イソップ寓話フラマン語訳など)
・17世紀:『イソップ物語』、オウィディウス『変身譚』、アリオスト『狂えるオルランド』、ラ・フォンテーヌ『寓話』などの挿絵入り本が版を重ねて刊行される。


・18世紀:コルネイユモリエールシェイクスピアらの挿絵入り戯曲集
戯曲集に添えられた挿絵は、西村によれば「きわめて古くさいもの」。このような描かれ方がなされた背景について、西村が引くのはW.メルウィン・マーチャントの「この時代の画家たちは舞台装置も手掛けていた。また、ほとんどのシェイクスピア劇はもはや劇場で上演されなくなったため、挿絵が舞台上演の代替となった。つまりこれらの挿絵は、当代の芝居の慣習を口絵の用語に翻訳したもの」との説明である。(324ページ)
詩集、近代小説にも挿図が付けられるように。
初版時点で挿絵がついていたものに、デフォー『ロビンソン・クルーソー』(1719年)がある。

17世紀以降、とりわけ18世紀に徐々に顕著になる挿絵の変化は、それ以前の、バシィが「もっぱら言語的なタイプにしたがう」というイメージのありかたに対して、テクストの修辞学に還元されない自立的なイメージの出現ということができるだろう。イメージはもはや言語的メッセージを形象化することをやめて、それに固有の「形象のディスクール」を展開する。テクストに対する挿絵の関係のこの変化は、われわれのいいかたをすれば、挿絵がことばの修辞学とその時間継起にしたがう読解に従属するありかたから、瞬間のタブローにおけるイメージの自立性とその美的経験への移行という、18世紀に顕著になる変化である。そして挿絵におけるこうした変化は、当然のことながら小説の語りの近代化と手を携えている。
(330ページ)