「都市と書物とは、たがいに暗喩たりうるのではないか」から始まる、学術的エッセー。様々な雑誌に掲載された論考をまとめたものであり、「都市空間としての書物」について一貫した思考を展開しているわけではないが、その問題提起は「文学作品を都市論として分析する」立場にも、示唆を与えてくれるだろう。


著者はジョイスの小説『ユリシーズ』を例に、次のことを指摘する。すなわち、都市に刻印された歴史が、登場人物たちの彷徨を通して回帰する。人物が様々な地点で解読する「意味内容」の多層性と、読者がテクストから読み取る意味の多層性とが呼応し合う、というのである。

ジョイスの]『ユリシーズ』は1904年6月16日のダブリン市の物語である。しかし、ダブリン市とはゲール文明の時代からアイルランド独立運動にいたる歴史が、通りの名前や建築物に刻みつけられた町、いわば都市のたたずまいの無数の局面のひとつひとつが過剰なまでの意味内容を担わされた町である。しかもジョイスはこの都市とそこを歩きまわる人物たちの行動とを、神話や伝承やさまざまな過去の文学作品への参照をつめこんだ、多層的な文体で描く。こうして、作中人物がダブリン市のさまざまな地点に解読する意味の多層性と、読者がジョイスの文体に解読する意味の多層性とが交錯し、反響しあい、結果として、ただ一日のダブリン市の姿は巨大な歴史的記憶の集積と化する。『ユリシーズ』を読むとは、記憶の集積としての都市を読むことであり、この読書行為は単純な一回かぎりの行為として完結することはありえない。
(上掲書、12-13ページ)

このような「語られる都市の多層性」は、ブルトン『ナジャ』やゼーバルトの一連の小説にも共通するものであろう。

いかなる書物もそれ自体で充足した完璧な一冊であることはできない。だからこそ、いかなる書物も他の書物を眼覚めさせるモビールとなるのであり、そうした漸次的共鳴の果てに、唯一の書物の虚像がありありと浮かび上がるだろう。同様に、いかなる都市もそれ自体で充足した完璧な都市であることはできない。いかなる都市にあっても、ぼくらは他の都市を――より正確には他処を――想う、あるいはいかなる都市にも他処が介入してくる[引用者註:この後で著者は、ビュトール『心変わり』で主人公が、パリとローマを重ね合わせて想像する場面を挙げている]。開かれた都市のひとつのあり方がここにあると言えるだろう。
(上掲書、17ページ)

この記述は、ボグダン・ボグダノヴィッチの述懐を連想させる。

われわれのこの世界の数多い都市には、湾曲した鏡に映るように、ほかの多くの都市が映し出されているのだ。普遍的なものの微粒子が都市物質のかけらと塵のなかで煌めいている。
つねに嬉しい発見となるのは、新しい、未知の都市のなかに、よく知っていて愛している都市の面影を再び見いだすときである。そうした出会いは、あたかもわれわれが自分自身を他人のなかに、あるいは知人をわれわれ自身のなかに再発見するかのような、価値あるものである。長年に渡る都市との触れあいのなかで、わたしは食通の喜びとともに、フィレンツェの反映をミュンヘンに、ジョージアンの街バースの反映をハンブルクに、イスファハンの反映をオスマンのパリに、ヴェネツィアの反映をアムステルダムに、アムステルダムの反映をサンクト・ペテルブルグに、サンクト・ペテルブルグの反映をボストンとケンブリッジに見る。(…中略…)わたしはアテネの幻影をベルリンに、その逆にプロイセンギリシア古典主義の面影をアテネに味わってきた。(…中略…)わたしには自分が一目で、リスボンのかけらをサンフランシスコに、サンフランシスコのかけらをイスタンブールに、イスタンブールのかけらをベイルートに、ベイルートのかけらをベオグラードに、ナンシーのかけらをニューオリンズに、ニューオリンズのかけらを上海に再確認できそうに思える。
(Bogdanovic': Die Stadt und die Zukunft. Klagenfurt: Wieser, 1997, S.55.邦訳は[http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1031/:title=田中純
類推的都市のおもかげ──ノスタルジックな形態学」]より。)