埼玉大学ヨーロッパ文化特殊講義

第2回:廃墟の表象史――ノスタルジーとカタストロフィー

【講義の概要・図版情報】
[画像]Yves Marchant & Romain Meffre 《Loew’s Palace Theater, Bridgeport》2000年代後半。
(公式サイト:http://www.marchandmeffre.com/index.html(2011年4月22日閲覧))


1.ルネサンスマニエリスムの絵画:キリスト教的世界との連関
[画像]サンドロ・ボッティチェッリ 《東方三博士の礼拝》1475年、ウフィツィ美術館=キリスト誕生以前の異教世界を、廃墟化した馬小屋が示す。主題は前景の人物であり、廃墟建築は「背景」。
[画像]ドメニコ・ギルランダイオ 《東方三博士の礼拝》1487年、ウフィツィ美術館=同上
[画像]ピーテル・ブリューゲル(父)バベルの塔》1563年、ウィーン美術史美術館=建設途中の光景であるが、この後に起こる「崩落の光景」を予見させる(廃墟そのものを描いているわけではない)。建築物が主題に、人物(ニムロデ王の一行)は点景と化す。
[画像]モンス・デジデリオ 《聖堂を破壊するユダ王国のアサ王(聖堂の倒壊)》17世紀、フィッツウィリアム美術館=神の怒りの体現として建築物が破壊される。デジデリオは破壊の瞬間やその直前、予兆を描く。
[引用]
モンス・デジデリオの絵のなかでは、建造物そのものが狂気をはらんでいる。[中略]狂気に耐ええなくなったときに、建物は崩壊し、爆裂し、炎上し、断片化する。(谷川渥『廃墟の美学』集英社新書、2003年、45ページ。)
[画像]モンス・デジデリオ《バベルの塔》1630年、個人蔵(ローマ)=崩落の直前、黄昏の陽光による明暗がドラマチックに塔を照らしている。
ルネサンスマニエリスム期の廃墟表象では、廃墟が描かれる際に、主題となるべき「物語」が要請されていた。


2.17世紀〜18世紀:廃墟熱(ロヴィニズム)の時代
[画像]クロード・ロラン 《カンポ・ヴァッチーノの眺め》1636年、ルーヴル美術館=ノスタルジックな画風の古代ローマ遺跡、旅行者(グランド・ツアリスト)たちによる鑑賞。
[画像]クロード・ロラン《イタリアの港湾風景》1642年、国立美術館(ベルリン)=理想的な田園風景の背景にローマ遺跡風の廃墟が置かれる。(理想郷としての田園/古代)
[画像]パウル・ブリル 《カンポ・ヴァッチーノの想像的風景》17世紀初め、ドレスデン古典絵画館。=理想化された古代ローマ遺跡。
[画像]パウル・ブリル《ローマの廃墟と滝のある光景》1610−15年頃、ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館=理想化された田園風景の中の古代遺跡。
([画像]ニコラ・プッサンアルカディアの牧人たち》1638年頃、ルーヴル美術館=理想的風景画の代表作。)
→グランド・ツアーの流行により、特にローマの古代遺跡が人気の観光地となる。
ローマの古代遺跡に理想の風景イメージを重ね合わせる=「理想的風景画」というジャンルの登場。
理想郷としての古典古代というイメージが共有される。


3.18〜19世紀:新たな時間認識とカタストロフィー
[画像]ジョヴァンニ・アントニオ・カナレット 《フォロ・ロマーノの廃墟:カピトリーノの丘を望む》18世紀、ウィンザー城=都市光景をリアルに描く(c.f.理想的風景画)。旅行の記念としての「ヴェドゥータ(都市景観画)」(一種の絵葉書)。「名所」の発生。
[画像]カナレット《コンスタンティヌス帝の凱旋門》1742年、ウィンザー城=ローマ遺跡の中のモニュメンタルな建造物を描く。グランド・ツアーの貴族たちが添景として描かれている。
[画像]ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《カンポ・ヴァッチーノの眺め》1772年、エッチング=考古学的関心の発生。
[画像]ピラネージ《古代アッピア街道とアルデアティーノ街道の交差点》『ローマの古代遺跡』1765年、エッチング=様々な古代遺跡・遺物の断片が、ローマのアッピア街道上に取り集められ、いわば空想上のアッサンブラージュを構成している。実在する古代の痕跡/断片から想像的に再構成された、失われた/非在の古代ローマの都市光景。
[画像]ミゲル=ティベリオ・ペデガシェ 下絵、ジャック=フィリップ・ル・バ 版画《リスボンパトリアルカル広場》『1755年11月1日の地震と大火によって生じたリスボンのいくつかの(最美の)廃墟』1757年、エッチング=1755年のリスボン大震災 で崩壊した都市の姿。自然災害によるカタストロフィーの記録でありつつ、当時の廃墟趣味の反映という側面もある(フランス語タイトルには「最美の」という形容が付されている)。
[画像]フェルディナンド・ブランビーラ、フアン・ガルベス《グラシア施療院の中庭》『サラゴザの廃墟』1812-13年、ラザロ・ガルディアーノ財団。
[画像]ブランビーラ、ガルベス《カルメン聖堂の内部》『サラゴザの廃墟』1812-13年、マドリード市庁舎=1808年のナポレオン軍の砲撃により破壊されたスペイン、サラゴザの都市情景。
[画像]ベルナルド・ベロット 《ドレスデン:クロイツキルヒェの廃墟》1765年、国立古典絵画館(ドレスデン)=1760年のプロイセン軍の砲撃により崩壊したドレスデンザクセン公国)の教会。人為的暴力が出現させた建築の屍を描く。
[画像]ユベール・ロベール 《取り壊し初日のバスティーユ牢獄》1789年、カルナヴァレ美術館(パリ)=革命によって破壊される旧体制の象徴(建築のギロチン処刑=死の瞬間化)。瞬間的に出来した「廃墟」が、永年の時間経過によって生まれた廃墟と同様の画法で描かれる。
[画像]ユベール・ロベール《ノートル・ダム橋界隈の住宅の取り壊し》1786年、カルナヴァレ美術館=瞬間的破壊による「廃墟」の例。
[画像]ユベール・ロベール《建設途中の外科医学校》1773年、カルナヴァレ美術館=建築途上の建物が崩壊しつつある廃墟を予見させる(c.f.ピーテル・ブリューゲル(父)バベルの塔》_
[画像]ユベール・ロベール《ルーヴル宮グランド・ギャラリーの想像上の景観》1796年、ルーヴル美術館=未来の企図としての廃墟。記憶を留める場であり、同時に美術作品の「墓場」でもある美術館が、「廃墟」のイメージで表象される。
[引用]
廃墟が私の内に呼び起こす思考は雄大である。全てが無に還り、全てが滅び、全てが過ぎ去る。世界だけが残る。時間だけが続く。この世界は何と古いのであろうか。私は二つの永遠の間を歩む。[…]私という儚い存在は、いったい何なのであろうか。この崩落した岩、この穿たれた谷底、この不安定に揺れる森、私の頭上で揺れる塊などの存在に比べるならば。私は墓の大理石が崩落し、塵芥と化すのを目にする。(Denis Diderot, Salons III, Ruins et paysages, Salons de 1767, Paris: Hermann, 1995, p. 338.引用部は拙訳による。)
[画像]ユベール・ロベール《ルーヴル宮グランド・ギャラリーの設計案》1796年、ルーヴル美術館。上記作品と対作品としてサロン出品された。天井からの採光方法を示した(一般的な)設計案。
[画像]ジョセフ・マイケル・ガンディ《イングランド銀行の鳥瞰図》1830年、ジョン・ソーン美術館(ロンドン)=未来の企図としての廃墟。屋根を剥ぐことで、ドールハウスのように内部を見せる効果もある=建築図面の「断面図」と類似の機能。いわば「建築の解剖模型」。
[画像]エティエンヌ=ルイ・ブレ 《カルーセルのオペラ:切断立面図》1781年、フランス国立図書館(パリ)=建築の「断面図」。
c.f.[画像]ゴードン・マッタ=クラーク 《分割32》1975年(ゼラチンシルバープリントをカット&コラージュ)、個人蔵(ニューヨーク)=本物の家屋を切断し「ドールハウス」・「建築の解剖模型」を人為的に実際に創り出してしまう試み。
[画像]ジェフリー・ワイアットヴィル設計のシャム・ルイン「アウグストゥス寺院」ヴァージニア・ウォーター=「時間の爪痕」を観想させ、「崇高」ないし「ピクチャレスク」な美をたたえた廃墟への賞賛は、ついに「時間経過による破壊や崩落を偽装する」庭園術を生みだす。


4.20世紀:終末のディストピア
[画像]エルンスト・フリードリヒ編『戦争に反対する戦争』 より、第一次大戦で出来した廃墟の写真。
[画像][映像]ロベルト・ロッセリーニ 監督『ドイツ零年』1948年=第二次世界大戦で破壊されたベルリンの街並。救済の無いラスト(父を殺した少年の自殺)と廃墟化した都市光景が重なり合う。
[画像][映像]アンドレイ・タルコフスキー 監督『ノスタルジア』1983年
=イタリアを取材旅行中のロシア人作家アンドレイは、途上で「世界の終末が訪れる」との妄想に取り憑かれた狂人ドメニコと出会う。ドメニコによれば「蝋燭の火を消さずに温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」。映画のラストシーン(主人公の夢の中の光景)では、廃墟(トスカーナ地方に実在する聖ガルガーノ修道院)と故郷ロシアの家屋が二重写しとなる。故郷喪失者が最後に迷い込む場所として、故郷のヴィジョンの外側に廃墟がある。(ノスタルジアとは本来、故郷を離れて暮らす者に見られる病的な望郷の念のこと。17世紀のスイスの医者ヨハネス・ホーファーが命名。)
→アポカリプス(黙示録)的な世界観の象徴としての廃墟?閉鎖的な内部を創出せず、雪をはじめ様々なものが通り抜けていく、言わばpassage/passing(通路/一時的な)空間。
【文献】邦人名50音順・外国人名アルファベット順
○入門:
谷川渥『廃墟の美学』集英社新書、2003年。
谷川渥編『廃墟大全』中公文庫、2003年(初版:トレヴィル、1997年)。
○邦文で読める文献:
小澤京子「都市の解剖学:剥離・切断・露出」『10+1』No.40、2005年、218-232ページ
桐敷真次郎・岡田哲史『ピラネージと『カンプス・マルティウス』』本の友社、1993年:ピラネージの作品と生涯についての基礎的情報を網羅。
佐々木健一『フランスを中心とする18世紀美学史の研究 ウァトーからモーツァルトへ』岩波書店、1999年(第6章:廃墟の詩情(ポエジー)):18世紀廃墟ブームを西欧美学史の中に位置付けたもの。
谷川渥『形象と時間:クロノポリスの美学』白水社、1986年(第4章:廃墟):18世紀廃墟熱の背後にあった「時間概念」の変遷(距離化、投影、内省)を説く。
エドマンド・バーク[Edmund BURKE]『崇高と美の起源』中野好之訳、みすず書房、1999年。
アンドレ・ブルトン[André BRETON]『魔術的芸術(普及版)』巖谷國士他訳、河出書房新社、2002年:モンス・デジデリオに言及。
グスタフ・ルネ・ホッケ[Gustav René HOCKE]『迷宮としての世界』上下巻、種村季弘矢川澄子訳、岩波文庫、2010−2011年(下巻、第22章「夢の世界」):モンス・デジデリオに言及。
バーバラ.M.スタフォード[Barbara M. STAFFORD]『ボディ・クリティシズム』高山宏訳、国書刊行会、2006年(第1章:切開):ピラネージの廃墟を描いたエッチングと同時代の解剖学図面との類似関係を説く。
ヴィクトル・I.ストイキツァ[Victor I. STOIKITA]『絵画をいかに味わうか』岡田温司監訳、平凡社、2010年(第7章:美術館と廃墟/廃墟としての美術館):H.ロベールによるルーヴル廃墟案について。
○外国語文献
Denis DIDEROT, Salons III, Ruines et paysages, Salons de 1767, Paris : Hermann, 1995:ディドロの廃墟観、H.ロベールの廃墟画への批評など。
William GILPIN, Three Essays : on Picturesque Beauty ; on Picturesque Travel ; and on Sketching Landscape, Bristol : Thoemmes Press, 2001:「ピクチャレスク」概念について。
Roland MORTIER, La poétique des ruines en France : ses origines, ses variations, de la Renaissance à Victor Hugo, Genève : Droz, 1974:ルネサンス期からロマン主義まで、フランスにおける「廃墟」観の通史。

講義で配布したレジュメ上では、固有名詞に簡単な脚註を付けている。